夏島貝塚

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夏島貝塚(なつしまかいづか)は、神奈川県横須賀市夏島町に所在する縄文時代早期・初期に属する最古級の貝塚である。第一貝塚と第二貝塚に分かれ、1972年昭和47年)1月27日、島全体が国の史跡に指定された。また、出土品についても1998年平成10年)に国の重要文化財に指定された。

夏島貝塚の位置
夏島貝塚
位置図

地理

貝塚のある夏島は元来東京湾に浮かぶ島だったが、大正時代に周辺が埋立てられ、三浦半島から突出した半島の一部となっている。「夏島」という名称の由来は周辺に降雪があっても島に雪が積もらないことからといわれる[1]。埋立地は平坦な土地だが、かつて島だった部分は高台として残っている。夏島第一貝塚は標高 48 m の島部頂上に位置し、面積は約 150 m2 である。また第二貝塚は島部の中央にあり規模は小さい。貝塚には地殻変動により形成された断層も見られる。

明治時代前期に陸軍が夏島を買収すると伊藤博文の別荘が建てられ、1887年(明治20年)夏には大日本帝国憲法の草稿が作られた(夏島憲法)。大正に入ると横須賀海軍航空隊の基地となり、終戦後はアメリカ軍に接収されるが、1972年に返還された。返還後は一帯が工業地として整備され、近隣に日産自動車追浜工場や住友重機械工業横須賀製造所が立地する。

発掘調査

1941年の人類学雑誌夏島貝塚における採集物が紹介され、当時最古の日本人と考えられていた縄文人の生活を知る手がかりとして注目された。だが、戦前は要塞地帯のなかにあり、戦後は米軍の駐留により調査が行われなかった。しかし進駐軍の将校が明治大学考古学研究室の後藤守一教授らを講師に学習会を行っていた縁から、1950年1955年に明治大学による調査が実現した。貝塚は、関東ローム層の上に堆積し、縄文時代早期の遺物が層位的に検出された。とくに下層から出土した土器の一群には「夏島式」の名称が付され、従来知られていなかった特徴を有する土器群が出土し、その標式遺跡となった。

夏島第一貝塚は、三つの貝層が貝殻をほとんど含まない黒土の層をはさんで整然と堆積し、それぞれの層から縄文早期の土器が出土した。下の層から順に撚糸文系土器、貝殻沈線文系土器、貝殻条痕文系土器が出土しており、これらは早期初頭から終末までの土器である。特に最下層の褐色土層からは、厚いところで 15 cm 、長さ約 2 m 程のヤマトシジミマガキを主体とした土混じりの貝層(混土貝層)が検出された。この層の撚糸文系土器は単純な文様で底が尖っており、特に夏島式土器と呼ばれる。第二貝塚からは縄文早期後葉の土器が出土している。

縄文早期の土器は日本最古の土器として注目され、1959年に年代測定依頼先のミシガン大学から報告があり、出土した貝殻の放射性炭素年代測定では BP9450 ± 400 、木炭では BP9240 ± 500という年代が得られた。これはそれまでの考えより縄文時代の開始年代が5,000年近く遡ることを意味し、大きな論争になった。なお、今日では青森県大平山元I遺跡出土の土器の較正年代が16500年前と発表され、縄文時代の開始が一万年を超えることがはっきりしてきている。

第一階層から出土した遺物からは、貝類以外に魚類も利用していたことが分かる。出土量が多いボラクロダイスズキハモコチなどは水面近くを回遊する習性を持つことから、やヤスによる突き漁、小型の骨製U字型釣り針が出土していることから釣り針を用いた釣り漁、漁網を用いた漁などが行われていたことが推測できる。またマグロカツオなど外洋性の魚類も見られ、丸木舟によってかなり沖合へ乗り出して漁労活動していたと考えられる。

貝層下(ローム上面)から炉跡を検出し、遺物散布地も認められるので、住居跡の存在することが想定される。そのほか貝層からは、固い殻で覆われたドングリクルミなどの木の実をたたいて砕いたり、すり潰したりする石皿や磨石などの石器の道具類が貝層の中から出土している。また、シカイノシシなどの動物の骨や釣り針なども出土している。

これらの出土物を総合して、秋には木の実を採集し、森では動物を狩猟し、四季折々の海での漁労活動などがうまく組み合わされて、豊かな生活を送っていたと考えられる。

参考文献

  • 日本歴史地名大系(オンライン版) 小学館(『日本歴史地名大系』 平凡社、1979年 - 2002年 を基にしたデータベース)
  • 横須賀市自然・人文博物館編『三浦半島 自然と人文の世界』 神奈川新聞社、2000年、192-197頁

脚注

  1. 『三浦古尋録』

関連項目

外部リンク

座標: 東経139度38分58.4秒北緯35.32278度 東経139.649556度35.32278; 139.649556 テンプレート:考古学