天下統一

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天下統一(てんかとういつ/てんがとういつ)は統治すべき地域を一人の権力者の下で統治すること。

概要

古代中国の概念から来ており、天子が統治すべき地域を天下と呼んだ。中国において過去に天下統一した王朝は前漢後漢西晋がある。

日本では主に戦国時代から江戸時代初期にかけて、日本全土(琉球蝦夷地の大半を除く)を、自らの支配下に置き日本全土を統一する事を指す。日本でも古代から用いられた。中世以降には神国観が広まり、武家政権の正当化する論理となり、最高権力者は「天下人」と呼ばれた。

室町・戦国時代に「天下」は天皇王権を擁する室町将軍が管轄する京都とその周辺地域を意味し、天下人たる室町将軍は地方大名を従属・統制下におき紛争などを調停する役割が担わされていた。尾張国の織田信長は将軍足利義昭を擁して間接的に天下人としての役割を担い統一事業を推進し(天下布武)、元亀4年(1573年)には将軍義昭を追放し、天下人としての地位を自身が継承し統一政策を進めた。

信長が本能寺の変で自害すると織田家臣の豊臣秀吉が天下人の継承者としての地位に至り、統一政策を成し遂げた。「天下」の本来の意味では、その支配地域に境界はなく、秀吉は1590年に日本を統一すると、の征服を中核とした東アジアの統一を企画し、1592年からは朝鮮に出兵(文禄・慶長の役)するが、秀吉死去により途中終了する。

関ヶ原の戦いを経て、「天下」主催者としての地位が征夷大将軍職を世襲した徳川将軍家に継承されると、「天下」は日本列島に限る意味で用いられた。

関連項目