安芸郡 (広島県)

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安芸郡(あきぐん)は、広島県安芸国)の

人口116,751人、面積73.65km²、人口密度1,585人/km²。(2018年4月1日、推計人口

下記の4町を含む。

郡域

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記4町のほか、下記の区域にあたる[1]

  • 広島市
    • 東区の大部分(概ね牛田南、牛田東、中山西、中山南、矢賀町、矢賀、矢賀新町以北および東山町の一部)
    • 南区の一部(概ね仁保沖町、丹那町、山城町、南大河町、北大河町、西霞町、東霞町、西本浦町、東本浦町、仁保新町、仁保、小磯町より南東、元宇品町・宇品町・似島町および東駅町の一部)
    • 安芸区の大部分(阿戸町を除く)
  • 呉市の大部分(警固屋町、宮原村、和庄町、清水、東畑、上畑町、荘山田村、栃原町、苗代町以西、音戸町、倉橋町、下蒲刈町、蒲刈町各町)
  • 江田島市の一部(江田島町津久茂を除く江田島町各町)

歴史

律令制下に置かれた郡であるが、その領域は現在よりもずっと広かった。しかし、平安時代には南北に分けられ、それぞれ安北郡・安南郡となった。1664年寛文4年)、江戸幕府の指示により安北郡は高宮郡、安南郡は安芸郡と再改称。1898年明治31年)、高宮郡は沼田郡と合併して安佐郡となった。

近世以降の沿革

  • 明治初年時点では全域が安芸広島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り。(1町47村)
広島城下(一部)[2]、牛田村、新山村、戸坂村、中山村、温品村、矢賀村、府中村、仁保島、船越村、海田市、奥海田村、畑賀村、中野村、下瀬野村、上瀬野村、熊野村、苗代村、栃原村、川角村、平谷村、押込村、焼山村、矢野村、坂村、大屋村、吉浦、和庄村、庄山田村、宮原村、警固屋村、瀬戸島、蒲刈島、倉橋島、渡子島、江田島、大黒村、段原村、比治村、矢賀村、尾長村、古川村、大須賀村、明星院村、白島村[3]、山崎新開[4]、大須新開、東新開、皆実新開[5]
  • 明治4年7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により広島県の管轄となる。
  • 明治11年(1878年11月1日 - 郡区町村編制法の広島県での施行により、下記の変更が行われる。(38村)
    • 広島城下・大黒村・段原村・比治村・尾長村・大須賀村・白島村・大須新開・東新開・皆実新開および矢賀村の一部、沼田郡観音村・川添村・船入村・水主町新開・吉島新開・六町目村・江波新開・白島村[6]の区域をもって広島区が発足し、郡より離脱[7]
    • 残部に行政区画としての安芸郡が発足。郡役所が海田市村に設置。
  • 明治15年(1882年)(34村)
    • 新山村が牛田村に、山崎新田が広島区段原村にそれぞれ合併。
    • 明星院村および古川村の一部が広島区大須賀村に合併。
    • 古川村の残部が広島区尾長村に合併。
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。[ ]は合併した村。(1町29村)
  • 明治24年(1891年7月27日 - 蒲刈島村が分割し、一部(字向浦以西)に下蒲刈島村、残部(字田戸以東)に上蒲刈島村がそれぞれ発足。(1町30村)
  • 明治25年(1892年9月1日 - 和庄村が町制施行して和庄町となる。(2町29村)
  • 明治32年(1899年7月1日 - 郡制を施行。郡役所が和庄町に設置。
  • 明治35年(1902年
    • 4月1日 - 吉浦村の一部が分立して二川町が発足。(3町29村)
    • 9月1日 - 二川町・荘山田村・和庄町・宮原村が合併して呉町が発足。(2町27村)
    • 10月1日 - 呉町が市制施行して呉市となり、郡より離脱。(1町27村)
  • 明治37年(1904年) - 仁保島村の一部(宇品島)が広島市に編入。
  • 明治39年(1906年
  • 大正5年(1916年2月11日 - 吉浦村が町制施行して吉浦町となる。(4町24村)
  • 大正6年(1917年
  • 大正7年(1918年)10月1日 - 熊野村が町制施行して熊野町となる。(6町22村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正14年(1925年2月1日 - 江田島村が佐伯郡津久茂村を編入。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和3年(1928年
    • 4月1日 - 吉浦町・警固屋町が呉市に編入。(4町22村)
    • 11月1日 - 船越村が町制施行して船越町となる。(5町21村)
  • 昭和4年(1929年)4月1日 - 仁保村・矢賀村・牛田村が広島市に編入。(5町18村)
  • 昭和6年(1931年)4月1日(5町16村)
    • 本庄村の一部(平谷・川角)が熊野町に編入。
    • 焼山村および本庄村の残部(栃原・苗代・押込)が合併して昭和村が発足。
    • 上瀬野村・下瀬野村が合併して瀬野村が発足。
  • 昭和7年(1932年)4月1日 - 音戸町・渡子島村が合併し、改めて音戸町が発足。(5町15村)
  • 昭和12年(1937年1月1日 - 府中村が町制施行して府中町となる。(6町14村)
  • 昭和22年(1947年8月1日 - 下蒲刈島村の一部(向島)が分立して向村となる。(6町15村)
  • 昭和25年(1950年)8月1日 - 坂村が町制施行して坂町となる。(7町14村)
  • 昭和26年(1951年
  • 昭和27年(1952年)6月1日(11町11村)
    • 奥海田村が町制施行・改称して東海田町となる。
    • 倉橋島村が町制施行・改称して倉橋町となる。
  • 昭和30年(1955年4月10日 - 戸坂村が広島市に編入。(11町10村)
  • 昭和31年(1956年
    • 3月31日 - 温品村と安佐郡福木村が合併して安芸町が発足。(12町8村)
    • 4月1日 - 中山村が広島市に編入。(12町7村)
    • 9月30日
      • 畑賀村・中野村・瀬野村が合併して瀬野川町が発足。(13町4村)
      • 海田市町・東海田町が合併して海田町が発足。(12町4村)
      • 向村・上蒲刈島村が合併して蒲刈町が発足。(13町3村)
    • 10月1日 - 天応町・昭和村が呉市に編入。(12町2村)
  • 昭和37年(1962年)1月1日 - 下蒲刈島村が町制施行・改称して下蒲刈町となる。(13町1村)
  • 昭和48年(1973年3月20日 - 瀬野川町が広島市に編入。(12町1村)
  • 昭和49年(1974年)11月1日 - 安芸町・熊野跡村が広島市に編入。(11町)
  • 昭和50年(1975年)3月20日 - 矢野町・船越町が広島市に編入。(9町)
  • 平成15年(2003年)4月1日 - 下蒲刈町が呉市に編入。(8町)
  • 平成16年(2004年)11月1日 - 江田島町が佐伯郡能美町沖美町大柿町と合併して江田島市が発足し、郡より離脱。(7町)
  • 平成17年(2005年)3月20日 - 音戸町・倉橋町・蒲刈町が呉市に編入。(4町)

変遷表

脚注

  1. 住居表示実施地区の境界は未詳。
  2. 安芸郡・沼田郡にまたがる。無高のため記載なし。本項では便宜的に1町に数える。
  3. 通称・東白島村。西部は沼田郡に所属。
  4. 記載は山崎新田。
  5. 記載は皆実新田。
  6. 通称・西白島村。
  7. 明治15年に大黒村・皆実新開が合併して皆実村となる。白島村が白島東中町・白島北町・白島九軒町・東白島町・西白島町の各一部となる。矢賀村の一部が蟹屋村および愛宕町・猿猴橋町・荒神町の各一部となる。

参考文献

関連項目