宮谷県

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宮谷県(みやざくけん)は、1869年明治2年)に安房国上総国下総国常陸国内の旧幕府領の管轄のために明治政府によって設置された。現在の千葉県南部・東部、茨城県南東部を管轄した。

概要

1869年明治2年)2月9日、安房・上総・下総・常陸4国内の旧幕府領旗本領を管轄する安房上総知県事に代わる本格的な行政組織として発足。県庁は上総国山辺郡大網宿字西宮谷(現・千葉県大網白里市大網3002)の本国寺[注釈 1]境内に置かれ、県名は名から定められた。なお、安房上総知県事時代の仮庁舎は上総国市原郡八幡村(現・千葉県市原市八幡)、同埴生郡長南宿の浄徳寺境内(現・長生郡長南町長南575)を経て、前述の同山辺郡大網宿と、移転を繰り返していた。

初代知事は、久留米藩士で安房上総監察兼知県事であった柴山典(文平)。県内部の抗争である宮谷騒動により罷免され、龍野藩士の柴原和が後任の知事に就任した(詳細は柴山典の項目を参照)。

1871年(明治4年)の第1次府県統合にともなう木更津県新治県の設置により廃止。柴原は木更津県の権令を引き続き務め、後に千葉県の初代権令、初代県令となり、現在の千葉県の基礎を築いた。

沿革

  • 1868年慶応4年)
  • 1868年(明治元年)12月16日 - 県庁仮庁舎を山辺郡大網宿宮谷の本国寺に移転。
  • 1869年(明治2年)2月9日 - 宮谷県が発足。柴山典を知事に任命(一時は権知事に)。
  • 1871年(明治4年)
    • 7月27日 - 柴山典が罷免。龍野藩士で岩鼻県大参事柴原和が知事に就任。
    • 11月13日 - 第1次府県統合により安房国・上総国の区域が木更津県に統合。同日宮谷県廃止。下総国・常陸国の区域は新治県に移管。

管轄地域

合計37万1,000石。戸口51,297戸281,077人(府藩県別人員表)。常陸国以外の地域の詳細は各郡の項目を参照。

なお相給が存在するため、村数の合計は一致しない。

歴代知事

安房上総知県事

  • 1868年(明治元年)7月2日 - 1869年(明治2年)2月9日 : 知県事・柴山典(久留米藩士)

宮谷県

  • 1869年(明治2年)2月9日 - 1869年(明治2年)7月19日 : 知事・柴山典
  • 1869年(明治2年)7月19日 - 1871年(明治4年)5月17日 : 権知事・柴山典
  • 1871年(明治4年)5月17日 - 1871年(明治4年)7月27日 : 知事・柴山典
  • 1871年(明治4年)7月27日 - 1871年(明治4年)11月13日 : 知事・柴原和(龍野藩士)

脚注

注釈

  1. 僧侶の養成機関である宮谷檀林を置く、日蓮宗の大寺である。本国寺境内は「宮谷県庁跡」として県指定史跡(1954年指定)となっている。

出典

関連項目

先代:
安房国上総国および
下総国常陸国の一部の
幕府領旗本領
船形藩
行政区の変遷
1868年 - 1871年 (安房上総知県事→宮谷県)
次代:
木更津県(安房国・上総国)
新治県(下総国・常陸国)