富岡八幡宮

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富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)は、東京都江東区富岡にある八幡神社。通称を「深川八幡宮」ともいう。

江戸最大の八幡宮で、八月に行われる祭礼「深川八幡祭り」は江戸三大祭りの一つ。

また江戸勧進相撲発祥の神社で、境内には「横綱力士碑」をはじめ大相撲ゆかりの石碑が多数建立されている。

祭神

歴史

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歌川広重名所江戸百景』より「深川八幡山開き」。春に半月の間「山開き」として永代寺の庭園を一般公開したという。

創建

1627年寛永4年)、菅原道真公の末裔といわれる長盛法印が神託により、当時永代島にと呼ばれた小島に創祀したのが始まりとされる。当時は「永代嶋八幡宮」と呼ばれ、砂州の埋め立てにより60,508坪の社有地があった。

また八幡大神を尊崇した徳川将軍家の保護を受け、庶民にも「深川の八幡様」として親しまれた。広く美麗な庭園は人気の名所であったという。

なお、長盛法師は同じ地に別当寺院として永代寺も建立している。

当社の周囲には門前町(現在の門前仲町)が形成され、干拓地が沖合いに延びるにつれ商業地としても重要視された。

明治・大正

明治維新後の社格は、准勅祭社とされ、同制度の廃止後は記載がない府社とされたが、皇室の尊崇を受け続けた。

永代寺については、神仏分離令によって廃寺。現在の永代寺は、1896年(明治29年)に旧永代寺の塔頭・吉祥院が名前を引き継いだものである。

昭和以降

1945年昭和20年)3月10日の東京大空襲により焼失。その再建に努めたのが第18代宮司の富岡盛彦で、1956年(昭和31年)、現在の社殿が造営される。盛彦は後に神社本庁の事務総長(現在の総長)にもなり、神道の復興に努めた。

事件

1994年平成6年)10月に盛彦の息子である第19代宮司が体調を崩して引退し、その長男が1995年(平成7年)3月に第20代宮司となったが、1999年(平成11年)以降に金遣いの荒さや女癖の悪さなどが問題化し、2001年(平成13年)5月に解任され、先代の第19代宮司が宮司として復帰する[1]。第20代宮司は勘当状態となった後、新たに後継者とされた姉や父たちを恨んで脅迫を行ったり怪文書を撒いたりするなどしており、2006年(平成18年)に脅迫罪で逮捕されている。

2010年(平成22年)に第19代宮司が引退したため、富岡八幡宮はその長女を宮司として任命するよう神社本庁に具申していたが、正式な宮司への就任具申が3度にわたり認められなかったため、長女が「宮司代務者」となる宮司空席状態が7年ほど続いていた。そのため、富岡八幡宮は2017年(平成29年)9月に神社本庁からの離脱を決定し、単立神社となり、長女が第21代宮司に就任。別表神社としては、2010年(平成22年)の気多大社、2013年(平成25年)の梨木神社に続く本庁離脱となり、神社本庁のトップまで務めた有力神社の離脱として話題となった[2]

しかし、2017年(平成29年)12月7日、第21代目と、その運転手が、第20代宮司とその妻に日本刀で襲われ、第21代宮司は死亡し、運転手は重傷、第20代宮司は、妻を殺害した後に自殺した[3]。警察は、第20代宮司が、実姉が正式に宮司となったことに対して、自暴自棄になったものと見て、捜査に取り掛かった[4]。富岡八幡宮は9日、緊急の責任役員会議を開催、宮司の補佐や代理を務める丸山聡一・権宮司を、宮司代務者にすることに決めた。[5]

境内

  • 社殿
    社殿は、1683年天和3年)に焼失し、元禄16年には地震により損壊し、1923年大正12年)の関東大震災でも損壊し、さらに空襲でも被害を受けるなどし、再建や修復を繰り返した。現在の社殿は1956年(昭和31年)に造営され、鉄筋コンクリートを使用した、「重層型準八幡造り」となっている。
  • 末社
    • 七渡神社・粟島神社 - 七渡神社は七渡弁天と親しまれる地主神で、八幡宮が創祀される以前から祀られている。
    • 車析社・客神社
    • 野見宿禰神社 - 江戸勧進相撲発祥の地であることから、相撲の始祖である野見宿禰を祀っている。
    • 住吉社
    • 聖徳太子社
    • 天満天神社
    • 祖霊社・花本社 - 花本社は深川にゆかりの深い松尾芭蕉を御祭神としている。
    • 永昌五社稲荷神社
    • 鹿島神社・大鳥神社
    • 恵比須社・大黒社 - 恵比須社は深川七福神の恵比須さまである。
    • 富士浅間社・金刀比羅社
  • 昭和天皇の記念碑
    社殿が空襲を受けた後の1945年(昭和20年)3月18日、被災地を視察した昭和天皇侍従長藤田尚徳に「今度の場合は[6]、はるかに無残な感じだ。コンクリートの残骸などが残っているし、一段と胸が痛む。悲惨だね。侍従長! これで東京もとうとう焦土になったね」と語ったことを記念したものである。
  • 伊能忠敬の銅像
    江戸時代の測量家である伊能忠敬は、当時深川界隈に居住し、測量に出かける際は、安全祈願のため富岡八幡宮に必ず参拝に来ていたことから、2001年平成13年)に当社境内に銅像が建立された。
  • 資料館
    富岡八幡宮の歴史をはじめ深川や木場の歴史にまつわる資料が展示されている。
  • 力持碑
    東京都指定無形民俗文化財及び江東区登録無形民俗文化財となっている民俗芸能「深川の力持」を記念した石碑。
  • 木場の角乗碑
    東京都指定無形民俗文化財及び江東区登録無形民俗文化財となっている民俗芸能「木場の角乗」を記念した石碑。

祭礼

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深川八幡祭での水かけ神輿(2012年8月11日撮影)

祭礼である通称「深川八幡祭り」は、毎年8月15日を中心に行われ江戸三大祭りの一つに数えられる。

「わっしょい、わっしょい」の伝統的な掛け声と別名「水かけ祭り」と別称される通り、沿道の観衆から担ぎ手に清めの水が浴びせられる。

三年に一度、八幡宮の御鳳輦が渡御を行う年は本祭りと呼ばれ、各町の大人神輿50数基が勢ぞろいして連合渡御が行われる。

表参道の神輿庫には二基の御本社神輿が飾られており、平成3年に奉納された御本社一の宮神輿は台輪幅五尺(1.5メートル)、屋根の幅九尺三寸(2.9メートル)、高さは4メートルを優に超え、かつぎ棒を含めると4.5トン、鳳凰の胸には7カラットのダイヤモンドをはじめ、装飾の各所に宝石を配した日本一の大きさと豪華さを誇る。

またこれに続く二の宮神輿が1997年(平成9年)に製作され、本祭りの翌年に氏子各町を渡御している。

年中行事

  • 1月
    • 元旦 - 歳旦祭
  • 2月
    • 節分 - 節分祭
    • 8日 - 粟島神社献針祭
  • 6月
    • 17日 - 七渡神社例祭
    • 30日-大祓式
  • 7月
    • 1日 - 富士浅間神社例祭
  • 8月
    • 15日 - 例祭
  • 11月
    • 月中 - 七五三祝祭
    • 酉の日 - 酉の市
  • 12月
    • 31日 -大祓式

他、各末社の例祭日がある。

相撲とのかかわり

富岡八幡宮は1684年(貞享元年)に初めて寺社奉行の許しを得て勧進相撲が行われた、江戸勧進相撲(現在の大相撲の前身)発祥の神社として知られ、現在でも新横綱誕生の折には境内で奉納土俵入りなどの式典が執り行われるほか、相撲にまつわる数々の石碑が建つ。

2017年(平成29年)6月9日稀勢の里横綱力士碑の刻名式に参加して、自らの四股名を刻んだ[7]


氏子地域

ギャラリー

参考文献

  • 「富ヶ岡」(富岡八幡宮社報)
  • 「富岡八幡宮の御祭神と深川八幡祭り」(平成24年 松木伸也)
  • 「富岡八幡宮の御社殿と境内」(平成29年 松木伸也)
  • 「わっしょい深川2017 タウン誌深川別冊号」(クリオプロジェクト)

脚注

  1. 宮司退いた弟が日本刀を手にするまで 富岡八幡宮事件:朝日新聞デジタル(2017年12月9日)、2017年12月9日閲覧
  2. 神社本庁「恐怖政治」の実態、地方の大神社で全面戦争も、週刊ダイアモンド、2017年7月5日
  3. 宮司中傷の怪文書、殺害容疑の弟に警告 富岡八幡宮事件朝日新聞デジタル 2017年12月9日
  4. 富岡八幡宮殺傷:神社本庁離脱に危機感 自暴自棄で襲撃か毎日新聞ニュース(2017年12月8日)、2017年12月9日閲覧
  5. 「朝日新聞」朝刊社会面39頁(2017年12月15日)、2017年12月15日閲覧
  6. 昭和天皇皇太子時代に関東大震災被災地を視察している。
  7. 稀勢の里、横綱力士碑に刻名=大相撲

関連項目

外部リンク

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