封建主義

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封建主義(ほうけんしゅぎ)とは、

  • 封土(収穫をうむような領土で、褒美や収入として臣下・家来に与えるもの)を与えたり受け取ったりすることによって成立する主人と臣下(家来)の関係[1]。また、そうした関係が社会の基本なのだ、とする考え方・主張のこと[1]
  • 英語のfeudalismの訳語として、(封建制という訳語の代わりに)用いられることもある。→封建制も参照のこと。

概説

日本においては、封建制社会の始期・終期・性格について多様な説が提起されている。始期については(1)律令体制の確立、(2)荘園体制の成立、(3)鎌倉幕府の成立、(4)室町幕府の成立、(5)豊織政権の成立、等々に集約できる。その社会の画期や終期について、太閤検地を一つの画期とみなして江戸時代の終わり、即ち明治維新までを封建時代とするのが一般的である。

呉智英の見解

なお呉智英は、封建主義という語は、主に「進歩的」な立場から前近代的な権威主義家父長主義的なシステムや風習を批判的に捉えた概念だ、と説明し、批判対象があたかも封建制時代のものであるかのような時代錯誤である、という意味合いが強く極めてスラング的な用語法である、と説明し、直接的な封建制との関係を指摘する場合は殆ど無い、と説明した。 また、日本において「封建」の語が広く用いられたのは当の封建制時代に終止符が打たれた明治維新後の文明開化の時期と、第二次世界大戦の敗戦に伴う被占領後にGHQの指示による体制変更がなされた時期だと言う。いずれも強大な権力によって全国民社会文化日常生活思考の根本的変更を指令された時期であり、旧来の権威価値観を排除し、「進歩」へのほぼ「思考停止」的な「追従」を求める際に「封建」「封建的」という語が積極的に用いられた、と言う。また明治の日本は朝鮮に対して(本来の学術的な意味での)「封建制」の放棄を強く求め、これが内政干渉軍事進出、戦争の大義名分の一つとされた、と主張した。

脚注

  1. 1.0 1.1 デジタル大辞泉「封建主義」[1]

関連項目