小早川氏

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小早川氏(こばやかわうじ/こばやかわし)は、日本氏族の一つ。著名な一族は中世から近世にかけての武家

発祥

相模国を本拠地とする桓武平氏土肥氏の分枝で、鎌倉時代初期、源頼朝に仕えた土肥実平の子・遠平土肥郷の北部・小早川(現在の神奈川県小田原市早川付近)に拠って小早川の名字を称したのが始まりと伝わる[1]

遠平は平氏討伐の恩賞として平氏家人沼田氏の旧領であった安芸国沼田荘(ぬたのしょう、現在の広島県三原市本郷町付近)の地頭職を拝領し、これを譲られた養子・景平清和源氏平賀氏平賀義信の子)が、安芸国に移住した。

建永元年(1206年)、景平は長男の茂平に沼田本荘を与え、次男の季平には沼田新庄を与えた[2]。茂平は承久の乱で戦功を挙げ、同国の都宇荘つうのしょう・竹原荘(たけはらのしょう、どちらも現在の広島県竹原市周辺)の地頭職を加えられた。

沼田小早川氏

小早川氏嫡流の一族で、本家筋にあたる。茂平の三男・雅平が沼田本荘などを与えられ、高山城を本拠としたのが始まりである。

元弘の乱では朝平鎌倉方として六波羅探題に味方し付き従ったため、建武政権によって沼田本荘を没収されるが、竹原小早川家の取り成しなどにより、旧領を安堵されている。その後、宣平貞平春平の三代の間に芸予諸島に進出し、小早川水軍の基礎を築いた。その後煕平敬平で一時代を築くが、扶平 - 正平まではいずれも20代で早世し衰退した。

竹原小早川氏

茂平の四男・政景が、都宇・竹原荘、沼田荘梨子羽郷の一部を分与され、木村城を本拠としたのが始まりである。沼田小早川氏の分家筋にあたるが、元弘の乱以降は足利尊氏の下で戦い、室町幕府成立に貢献したこともあって徐々に勢力を拡大し、室町時代中期には本家・沼田小早川家と拮抗するまでに至った。

戦国時代の小早川氏

勢力の衰退と沼田・竹原両小早川の統合

戦国時代に入ると大内家傘下の国人領主となる。この頃、竹原・沼田両家で当主の早世が相次いだ。天文12年(1543年)には竹原家の興景が子を残さずに没したため、天文13年(1544年)に毛利家出身の興景夫人の従弟である隆景毛利元就の三男)が養子に迎えられた[3]

一方の沼田家でも、大内氏尼子氏の影響下で活動していたが、天文8年(1539年)には、尼子方に内通しようと画策し、逆に大内氏によって居城の高山城を占拠され、城番を置かれるという事態に陥った。当主の正平も軟禁状態に置かれるが、後に赦された。

天文11年(1542年)から始まる大内義隆による出雲遠征では、正平が従軍するも大敗を喫し、天文12年(1543年)に退却中に21歳の若さで討死。幼い嫡子繁平が後を継いだものの、繁平は幼くして失明(異説あり)する。大内家と毛利家の圧力、また強力な後ろ盾を望む重臣の要望により、後見役の重臣田坂全慶らは殺害されて繁平は出家させられた。

その後、竹原家の隆景が繁平の妹(問田大方)と結婚して沼田家を継ぎ、両小早川家は再統一されたが、それと同時に景平の系統は途絶えることになった。これ以降は毛利一門に組み込まれ、毛利家から多くの家臣が小早川家に送り込まれている。

名将・小早川隆景

隆景は兄の吉川元春とともに毛利家を支えて「両川」と呼ばれ(毛利両川体制)、主に山陽地方の経略を担当した。本能寺の変後、賤ヶ岳の戦い羽柴秀吉織田信長の後継者としての地位を確立すると、隆景は進んで毛利家を秀吉の天下統一事業に参加させ、天正13年(1585年)には四国征伐の功賞として伊予一国を与えられて独立した大名となった。天正15年(1587年)には九州征伐により筑前国名島35万石に転じ、豊臣政権下では五大老にまでなるが、文禄4年(1595年)に隠居した[3]

豊臣政権下の小早川氏

隆景には実子がなかったため、弟の秀包を養子としていたが、後に廃嫡して別家を立てさせた。これに伴い家督は、代わって秀吉の正室高台院の甥・羽柴秀俊が隆景の養子として継いだ(小早川秀秋[3]。この時点をもって、小早川氏は大江氏流毛利氏から豊臣氏羽柴氏に移ったといえる。慶長2年(1597年)の隆景の死後、毛利家から小早川家に送り込まれていた家臣、及び小早川家一門衆・譜代家臣の大半は毛利家に引き揚げており、これ以降の小早川本家は毛利氏一門から、豊臣氏一門の有力大名へと変化した。

秀秋は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでの功績により、徳川家康より備前岡山51万石に加増移封された。だが慶長7年(1602年)に21歳で嗣子無く没し、養子の系譜の小早川家は名実ともに断絶した。一方別家を立てた秀包は、後に毛利氏に戻り吉敷毛利家として明治維新を迎えた。

近代以降

明治に至り、小早川本家の養子秀秋で断絶した系譜の後継として、公爵毛利元徳の三男・三郎を当主とした小早川家が再興された[3]。三郎は早世し子がいなかったため、その弟の四郎が養子となって跡を継ぎ、華族に列して男爵爵位を授けられた[3]。その後、四郎の養子として毛利元昭の次男・元治が跡を継ぐ。モータージャーナリストの小早川隆治はその息子である[4]

系図

太字宗家(沼田家)の当主、斜字は竹原家の当主。

土肥実平
  ┣━━━━━━━━━━┓
 遠平(小早川始祖)  新開実重
  ┠───┐
 維平 小早川景平 
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 惟時  茂平                              (草井)季平   飯泉景光  小松時景
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 倫平 船木経平 経家 雅平 政景                                          忠茂     椋梨国平  小田信平 時廉
  ┃           ┃  ┠──┐                                        ┣━━━┓   ┣━━┓  ┃   ┃
 実綱         朝平 景宗 長政                                      赤川茂遠 清茂  定平 為平 親平  時家
  ┏━━━━━━━━━━┛  ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━┓    ┃   ┃   ┃     ┃
 宣平                                                祐景 高平   忠義  茂教  宗平    春平
  ┣━━┳━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓  ┠──┐    ┃   ┃   ┃
 資平 師平 貞平                     小泉氏平 小坂将平 浦氏実 生口惟平 俊平 重景 景継   清忠  貞茂  光平
  ┏━━━┳━┻━┳━━━┳━━━━┳━━━━┓       ┃        ┃   ┣━━━┓  ┣━━┓        ┃
 春平 土倉夏平 東房平 真良貞康 近宗広平 徳光時平     宗平       氏行  公実  守平 重宗 薬寿       政忠
  ┣━━━┳━━━━━┳━━━━┓              ┃        ┃   ┃      ┃           ┃
 則平 梨羽時春 徳光時則 江良承順              興平       氏安  隆平     実義          茂忠
  ┣━━┳━━┳━━┓                             ┃   │      ┃
 煕平 持平  教平 満平                            熙氏  守平     義春
  ┣━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━┓                 ┃          ┣━━┳━━┓
 敬平             乃美是景 生口元清               元安         仲義 徳平 春景
  ┣━━┳━━━━┳━━━━┓  ┃                      │          ┃
 扶平    梨羽康平   真正 家氏                     賢勝         弘景
  ┣━━┳━━┓         ┣━━┓                   ┃          ┃
 興平 義氏 常平        弘平 賢勝                  宗勝         盛景
  ┃     ┃         ┃                      ┃          ┃
 正平   平賀隆保       隆興                     盛勝         弘景
  ┣━━━┓           ┃                                 ┃
 繁平 問田大方         景興                                弘平
  │               ┃                                 ┃
 隆景              元興                                興景
  ├──┐            ┣━━┳━━┓                           │
 秀秋 秀包           元宣 就宣 就重                          隆景(のち沼田家も継承)
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 断絶 元鎮 能久           就貞 就易
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 三郎毛利元徳の次男)
  │
 四郎(三郎の弟)
  │
 元治毛利元昭の次男、四郎の甥)

脚注

参考文献

関連項目