小結

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小結(こむすび)とは、大相撲力士の地位の一つ。関脇の下、前頭の上。三役の最下位。幕内に属し、幕内の地位の中では横綱から数えると第四位に当たる。

概要

呼称の由来やその語源はわかっておらず、諸説があるにとどまる(最も一般的に広まっている説では、「小口の結び」からきているという)。本場所では幕内力士として15日間毎日取組が組まれる。

江戸時代の大相撲初期からある地位であり、必ず最低2名(東西1名ずつ)はおかれなければならない。昇進のための規定は特に設けられておらず、昇進要件が特に厳格である横綱・大関を除いた力士のうち、前場所の番付と成績を加味して上位2名が関脇、その次の2名が小結となることが多い。ただし、「番付は生き物」と俗称されるように、他の力士との兼ね合いによって番付は左右される。特に、小結は定員が少なく、さらに昇進の枠が限られてくるため、運・不運がものを言う。

関脇に比べると小結の地位で3人以上(以前の張出)が出ることは少ない。2006年11月場所に4小結(稀勢の里・黒海・安美錦・露鵬)となったが、それを最後に3小結以上の番付は現在に至るまで出ていない。近年の番付では東前頭筆頭の勝ち越しが昇進として最優先される傾向が強くなり、昇進枠が少ない場合、それより下の番付で単純計算で東前頭筆頭の力士を上回る成績を挙げたとしても、小結に昇進できない事例が見られるようになった。

小結から関脇への昇進は、関脇に負け越した力士がいなかったり、関脇の大関昇進によって三役の枠に空きが出なかったりした場合は小結で勝ち越していてもその地位に据え置かれることが多いが、おおむね11勝以上の好成績を挙げた場合は、たとえ関脇が全員勝ち越していても関脇昇進する(翌場所、関脇が3人以上に増える)[1]。逆に小結で負け越せば、原則としてすぐ平幕へ陥落する。

逆に、上位陣が軒並み負け越した場合には、前頭中位から下位で大勝ちした力士を昇進させることがある。過去には前頭5枚目で8勝7敗だった力士の昇進例がある。

平幕から小結を飛び越えて関脇に昇進する場合や、関脇から小結を通り越して平幕に陥落する場合があるため、小結よりも先に関脇を経験する力士(逸ノ城・琴勇輝・正代など)、関脇を経験したが小結には在籍しないまま引退する例(追風海・北勝力など)がある。

大関の昇進基準の目安は「3場所連続で三役にあって、その通算の勝ち星が33勝以上」であるため、小結での勝ち越しは後の大関昇進を検討する際に起点の成績とみなされる。平成以降大関に昇進した力士で昇進3場所前が平幕だった力士は照ノ富士栃ノ心のみである。戦前までは小結で優勝に近い成績を挙げて、関脇を飛び越して大関に昇進することもあったが、戦後においては全くない。1991年11月場所の小結・琴錦は、前場所に平幕優勝を飾っており、この11月場所の終盤で、琴錦が2場所連続優勝を果たせば、関脇を飛び越えて大関の地位に抜擢も検討するという声も上がったものの、結果的に琴錦は優勝を逃したために昇進の話題は出なかった。

近年の慣例として、小結は、初日に横綱との対戦が組まれる。西小結は東横綱と、東小結は西横綱との対戦が組まれる場合が多い。

協会からの給料は、三役と扱われ、関脇と同額である。

記録

小結で優勝した力士

場 所 地 位 四股名 成 績 翌場所 最高位
1931年(昭和6年)5月場所 東小結 武藏山武 10勝1敗
清水川
東小結(8勝2敗1休) 横綱
1932年(昭和7年)3月場所 西小結 沖ツ海福雄 9勝1敗 東関脇(6勝4敗1分) 関脇
1944年(昭和19年)1月場所 西小結 佐賀ノ花勝巳 13勝2敗 東関脇(7勝3敗) 大関
1957年(昭和32年)5月場所 西小結 安念山治
(のち羽黒山礎丞)
13勝2敗 西関脇(9勝6敗) 関脇
1974年(昭和49年)11月場所 西張出小結 魁傑將晃 12勝3敗
(○北の湖
東関脇(11勝4敗) 大関
1992年(平成4年)9月場所 西小結 貴花田光司
(のち貴乃花光司)
14勝1敗 西関脇(10勝5敗) 横綱
1993年(平成5年)3月場所 東小結 若花田勝
(のち若乃花勝)
14勝1敗 西関脇(10勝5敗) 横綱
2000年(平成12年)5月場所 西小結 魁皇博之 14勝1敗 東関脇(11勝4敗) 大関
  • 四股名は優勝当時の四股名。
  • 成績の()内は優勝同点力士。星は優勝決定戦。同制度は1947年(昭和22年)6月場所から導入、それ以前の優勝同点は上位者優勝。武藏山には他に小結での優勝同点がある(昭和5年10月場所)。
  • 武藏山の時代には2場所ごとの成績で番付編成が行われており、翌1932年(昭和7年)1月場所で西大関。この場所は春秋園事件のために開催されず、武藏山も一時脱走するがすぐに帰参し、同2月場所では西大関で5勝3敗。
  • 沖ツ海は現役死。
  • 安念山は新三役で優勝。

通算小結在位

順位 小結在位 四股名 最高位
1位 19場所 高見山大五郎 関脇
2位 15場所 安芸乃島勝巳 関脇
3位 14場所 出羽錦忠雄 関脇
4位 13場所 琴錦功宗 関脇
土佐ノ海敏生 関脇
栃煌山雄一郎 関脇☆
7位 12場所 出羽の花義貴 関脇
稀勢の里寛 横綱☆
9位 11場所 貴闘力忠茂 関脇
魁皇博之 大関
武双山正士 大関
  • 2018年5月現在。
  • ☆は2018年現時点で現役。
  • ※は年6場所制定着以前の入幕。
  • 小結が最高位の力士としては富士錦の10場所が最多。

小結連続在位

順位 小結在位 四股名 在位期間
1位 5場所 麒麟児將能 1969年1月場所-1969年9月場所
土佐ノ海敏生 1999年11月場所-2000年7月場所
琴光喜啓司 2004年5月場所-2005年1月場所
4位 4場所 信夫山治貞 1955年1月場所-1955年9月場所
朝潮太郎 1954年1月場所-1954年9月場所
高見山大五郎 1971年7月場所-1972年1月場所
出島武春 1998年9月場所-1999年3月場所
稀勢の里寛 2006年7月場所-2007年1月場所
  • 2018年現在。
  • ※は年6場所制定着以前の入幕。

同時最多在籍小結

番付上に小結が最も多く同時に在籍したのは4人で、現在までに14例がある。1961年9月場所から1962年1月場所まで3場所連続で4小結が続いたことがある(3場所とも小結だったのは岩風冨士錦で、あとの顔ぶれは毎場所入れ替わった)。

脚注

  1. 戦後、小結の地位で11勝以上挙げた力士で翌場所も小結に据え置かれた事例はない。


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