尖閣諸島

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尖閣諸島(せんかくしょとう)は、東シナ海の南西部にある島嶼群。石垣島北方約130 – 150kmの、北緯25度43分 - 56分、東経123度27分 - 124度34分の海域に点在する[1]尖閣列島(せんかくれっとう)ともいう。

日本実効支配しており、中華人民共和国および中華民国がそれぞれ領有権を主張している。「尖閣諸島」および「尖閣列島」は日本における呼称であり、中国では釣魚群島あるいは釣魚島及びその付属島嶼[2]台湾では釣魚台列嶼と呼ばれている。

構成

尖閣諸島は魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島、沖の北岩、沖の南岩、飛瀬などで構成される[2]。総面積は約5.56km2[2]。戦前には日本人居住者がいた時期もあったが、1940年(昭和15年)頃以降はいずれも無人島となっている[2]


主な島と岩礁は以下のとおり。面積と最高標高はそれぞれ沖縄県[3]と海上自衛隊[4]が作成した資料による。中国・台湾名はそれぞれ日本の新字体表記に変換してある。


日本名 中国名[5] 台湾名 米国名[6] 周辺地図 面積 最高標高 解説 画像
01/魚釣島
(うおつりしま)[7]
釣魚島 釣魚台 Uotsuri Shima 周辺地図 3.82 km2 363 m 石垣島北西方170km(尖閣諸島西端)に位置する[8]。尖閣諸島で最大の島[8]。250mの急峻な崖が東西に横断している。 150px
02/久場島
(くばしま)[7]
黄尾嶼 黄尾嶼 Kobi Sho 周辺地図 0.91 km2 117 m 在日米軍の排他的管理下にある。石垣島北方160km、魚釣島東北方22kmに位置する。 150px
03/大正島
(たいしょうとう)[7]
赤尾嶼 赤尾嶼 Akao Sho (Sikibi-sho) 周辺地図 0.06 km2 075 m 在日米軍の排他的管理下にある。石垣島北方150km、魚釣島東方103km(尖閣諸島東端)に位置する[8] 150px
04/北小島
(きたこじま)
北小島 北小島 周辺地図 0.31 km2 118 m 石垣島北西166km、西表島北方160kmに位置する[8] 150px
05/南小島
(みなみこじま)
南小島 南小島 Minami-ko Shima 周辺地図 0.40 km2 149 m 石垣島北西165km、西表島北方160kmに位置する[8]
06/沖の北岩
(おきのきたいわ)
北嶼 沖北岩 Okino-kita Iwa 周辺地図 0.05 km2 028 m 石垣島北方170km[8]、魚釣島東北方6kmに位置する。東の岩と西の岩という2つの岩礁からなる[9] 150px
07/沖の南岩
(おきのみなみいわ)
南嶼 沖南岩 Okino-minami Iwa 周辺地図 0.01 km2 013 m 石垣島北方167km[8]、魚釣島東方7.5kmに位置する。 150px
08/飛瀬
(とびせ)
飛嶼 飛瀨 Tobi Se 周辺地図 0.01 km2 002 m 石垣島北西167km[8]、魚釣島東方1.5kmに位置する。 150px

なお、2012年(平成24年)1月16日、日本政府は排他的経済水域 (EEZ) の基点となるにもかかわらず名称が不明であった離島について、地元自治体などに呼称を照会した上で、同年3月末までに命名する方針を示し[10]、3月2日には名称が決定した[11]。この中には、尖閣諸島近海の4島が含まれており、このうち久場島付近にある3島は北西小島北小島北東小島、大正島付近にある1島は北小島と名付けられた[11]。この結果、本諸島には計3つの北小島が存在することになった。

名称

「尖閣諸島」の名称は、日本政府からこの島を無償貸与された実業家古賀辰四郎の依頼により、1900年(明治33年)5月に当地を調査した高知県出身の教師、黒岩恒が命名したもので、島の尖っている形状と「イギリス海軍水路誌」にある "The Pinnacle Islands" の意訳に由来する。

沖縄方言では「ユクン・クバジマ」、八重山方言では「イーグン・クバジマ」と呼ばれていた。「ユクン」および「イーグン」は魚釣島を指しており、尖閣諸島の主要な島である魚釣島と久場島を合わせた名称である。なお、「ユクン」は「魚」、「イーグン」は「銛」、「クバ」は「ビロウ」という意味である[12]

日本政府の立場からは、尖閣諸島は沖縄県石垣市に属する島であり地籍を有している[2]。尖閣諸島の所在地は、沖縄県石垣市登野城2390番地-2394番地である[13]。石垣市では、2017年(平成29年)11月29日に12月定例市議会に尖閣諸島の字を「登野城」から「登野城尖閣」に変更する議案を上程する方針を固めた[14][15][16]ものの、手続き上の問題を理由として、議案上程を翌年以降に先送りしている[17]

字名変更について、中国外務省耿爽報道官は、2017年(平成29年)12月4日の記者会見で「日本側がどのようないんちきをやろうと、釣魚島(尖閣諸島の中国側名称)が中国に属している事実を変えることはできない」と反発している[18]

台湾では釣魚台列嶼[2]中国では釣魚群島あるいは釣魚島及びその付属島嶼などと呼ばれる[2]

地理

琉球諸島西方の東シナ海沖縄トラフの西側に位置する。ここはユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込んでおり、尖閣諸島は沖縄島から年々その距離が離れている。南西諸島からユーラシア大陸に続く大陸棚の上にある。

地質は火山性であり、岩盤がむき出しになっている。水源(河川や湖沼)は無い。農業に不適なことから定住者はいないが、第二次世界大戦前の一時期、日本人が開拓者にちなんだ通称「古賀村」集落を形成し、200人あまりが生活していた(その後経済的理由により放棄された)。また、大戦末期に石垣島から台湾へ民間人を疎開させる途中に遭難した民間船が漂着し、救助されるまでに50人以上が飢餓などで犠牲になる尖閣諸島戦時遭難事件が発生している。

付近海域は、好漁場であるためそれを餌とする大量の海鳥の生息地となっている。特に絶滅危惧種アホウドリ(1953年8月1日 - 4日に行われた、高良鉄夫琉球大学助教授、宮城元助助教授と琉球大学学生11人の尖閣諸島学術調査団による尖閣諸島調査において、尖閣諸島北小島でアホウドリ数羽の生息を非公式に確認[19][20][21]。その後、1971年4月1日に、池原貞雄琉球大学教授ら琉球大学学術調査団が尖閣諸島南小島でアホウドリ12羽が生息していることを公式に確認[22]。)やクロアシアホウドリ(1970年12月10日に、九州・長崎大学合同学術調査団は、尖閣諸島北小島でクロアシアホウドリ数羽を発見。1971年に、池原貞雄琉球大学教授ら琉球大学学術調査団が尖閣諸島北小島でクロアシアホウドリ6羽の生息を確認[23][22]。)の繁殖地となっている[24][25]。沖縄県がアメリカ軍に占領され、日本政府が主権を行使できなかった1960年代には、尖閣諸島に大量の台湾人漁民が「不法入域」していたため、1963年(昭和38年)5月15日 - 18日に行われた琉球大学の高良鉄夫教授らによる第四次調査で100万羽以上の海鳥が生息することを確認していたが[26][27]1968年(昭和43年)7月7日 - 9日に行われた第五次調査では、小島のカツオドリが20万羽から1万羽、北小島のセグロアジサシは50万羽から10万羽に激減していた[28][29]。これは台湾漁民が不法操業のついでに上陸し、海鳥や卵を大量に収奪していたからである[27][29]。その後も台湾漁民による不法上陸が報告されているが[30]、現在では上陸そのものが厳しく制限されており、保護されているため、元の海鳥の楽園となっている。

領有権に関する主張

ファイル:20100915Senkaku Islands Uotsuri Jima Kita Kojima Minami Kojima.jpg
民間機から見た尖閣諸島(左から魚釣島、北小島、南小島)

日本政府の公式見解は尖閣諸島の編入手続きは国際法で言う先占の法理手順を満たしており「この領域に領有権問題は存在しない」というものであるが、中国政府や台湾政府は、1971年以降から領有権を主張して「領有権問題が存在する」と主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属するが、台湾は宜蘭県に属すと主張している。

尖閣諸島周辺海域では2005年の沖縄近海における台湾漁船の抗議行動尖閣諸島中国漁船衝突事件のように、実効支配する日本と領有権を主張する台湾・中国側との間で、不法操業や不法越境・上陸をともなう国際問題がしばしば発生している。また、尖閣諸島の諸問題を巡って、両国民の間で2010年尖閣諸島抗議デモ2012年の中国における反日活動等のデモ活動が繰り返されている。さらに、2012年9月の日本政府による尖閣諸島国有化以降、中国の国家海洋局の監視船等の公船が尖閣諸島への領海侵犯を高頻度で繰り返しており、中国政府機関の航空機が領空侵犯も行っている[31](領海侵犯回数の詳細は尖閣諸島中国船領海侵犯事件を参照)。

中国と台湾が領有権を主張し始めたのは、1968年(昭和43年)に尖閣諸島付近海底調査で石油天然ガスなどの大量地下資源埋蔵の可能性が確認されて以降である。

日本側

概要

ファイル:1895senkaku.png
尖閣諸島の編入に関する内閣決議(1895年1月14日)

日本政府は、1885年(明治18年)以降、沖縄県当局等を通じて尖閣諸島の現地調査を幾度も行い、無人島であるだけでなく、清国を含むいずれの国にも属していない土地(無主地)であることを慎重に確認し、1895年(明治28年)1月14日に閣議決定を行い、日本の領土(沖縄県)に編入した[2]。一連の手続について、日本政府は「先占の法理」という国際法で認められる領有権取得の方法に合致するものと説明している[2]

1896年、沖縄の郡制施行により魚釣島と久場島はまもなく八重山郡に編入され、北小島、南小島と共に国有地に指定され地番が設定された[2]。同年9月、日本政府は実業家の古賀辰四郎に対して、魚釣島、久場島、北小島及び南小島を30年間無償で貸与することとし、無償貸与期間終了後は1年契約の有償貸与に改めた[2]1932年に4島は古賀辰四郎の嗣子である古賀善次に払い下げられ私有地となった。古賀親子はアホウドリの羽毛の採取、グアノ(海鳥糞)の採掘、鰹漁業、鰹節の製造等の事業を経営し、1909年には248人(99戸)の日本人が居住していた[2]。しかし、1940年(昭和15年)頃に古賀善次が尖閣諸島での事業を撤退し、居住していた人々も退去して再び無人島となった[2]。戦前には、以上のような民間人の事業活動のほか、国の機関や沖縄県による資源調査・地形調査等が実施され尖閣諸島に対する日本の有効な支配が継続していた[2]

1945年第二次世界大戦での日本の敗戦により、尖閣諸島を含む南西諸島は米軍の直接管理下に置かれ、のち、サンフランシスコ平和条約で日本は独立を回復したが、同条約第3条によって尖閣諸島を含む北緯29度以南の南西諸島は引き続き米国の施政下に置かれることとなった[2]。その後、沖縄返還協定に基づき、1972年5月に沖縄の一部として尖閣諸島の施政権も日本に返還された[2]

1978年(昭和53年)に政治団体日本青年社が魚釣島に私設灯台を建設し、保守管理してきた。日本国政府からの「灯台を正式に海図に記載し、今後は国が灯台の管理をしていきたい」との申し出により、2005年(平成17年)2月に灯台は国に譲渡され、海上保安庁によって魚釣島灯台として管理されている。その他、北小島にも灯台がある。

中曽根内閣1982年 - 1987年)の際に、海上保安庁は魚釣島に仮設ヘリポートを設置し、これに対して中国政府は抗議していた。現在、このヘリポートは撤去されている。中国人の不法侵入を受けヘリポートを常に使えるようにしないのかとの民主党の松原仁の質問に対し、小泉内閣杉浦正健内閣官房副長官は必要性や保守整備の観点から必要性がないと答弁している[32]

2000年(平成12年)には、魚釣島に尖閣神社が建立された。また、尖閣諸島防衛協会により日本国旗の碑が設置された。

各島の状況

ファイル:Senkaku bonito.jpg
1910年頃の尖閣諸島民とその住居と掲げられる日章旗
  • 南小島(沖縄県石垣市登野城2390)、北小島(沖縄県石垣市登野城2391)、魚釣島(沖縄県石垣市登野城2392)
南小島、北小島、魚釣島の3島は、1896年(明治29年)から民間人に無償貸与され、1932年(昭和7年)に払い下げ、2002年(平成14年)4月1日から国が賃借し、2012年(平成24年)9月11日に国が取得した[2]
  • 久場島(沖縄県石垣市登野城2393)
久場島は1896年(明治29年)から民間人に無償貸与され、1932年(昭和7年)に払い下げられ、以後は私有地となっているが、1972年(昭和47年)5月15日に開催された日米合同委員会において、日米地位協定第2条1(a)の規定に従い、黄尾嶼射爆撃場として、米軍による使用が許されることが合意され、米軍の使用に供するため、国が所有者から賃借している[2][33]
  • 大正島(沖縄県石垣市登野城2394)
大正島は一貫して国が保有しており、1972年(昭和47年)5月15日に開催された日米合同委員会において、日米地位協定第2条1(a)の規定に従い、赤尾嶼射爆撃場として、米軍による使用が許されることが合意された[2][33]
  • 沖の北岩、沖の南岩、飛瀬
沖の北岩、沖の南岩、飛瀬は、いずれも一貫して国が保有している[2]

尖閣諸島を開拓したのは、福岡県八女市出身の実業家古賀辰四郎であった。1870年代後半に沖縄に渡り、高級ボタン用の夜光貝輸出で富をなした古賀は、東シナ海の島の開拓にも乗り出し、1895年(明治28年)に政府から尖閣諸島を30年間の期限付きで無償貸与され、鰹節工場やアホウドリの羽の加工場を設けた。この当時の尖閣諸島には、一時は280名あまりの島民が暮していた。1932年(昭和7年)に長男善次に払い下げとなり、第二次世界大戦中の1940年代前半に事業中止にともない無人となる。その後、妻が所有し、1970年代に埼玉県内の親交のあった人物に売却した。

魚釣島、北小島、南小島の3島は、国有化前の2002年(平成14年)から日本国総務省埼玉県在住の地権者と賃借契約を締結していた[34]

2012年(平成24年)9月11日日本政府は魚釣島、北小島及び南小島の3島を埼玉県在住の地権者から購入し、日本国への所有権移転登記を完了した[35]。これによって私有地は久場島のみとなった[2]

尖閣諸島付近一帯の採掘鉱業権については、所有者とは別に、双日、コスモ石油、アラビア石油の出資会社である「うるま資源開発(株)」が設定している[36]

なお、日本政府は「尖閣諸島の平穏かつ安定的な維持及び管理のためという政府の魚釣島等の賃借の目的に照らして、原則として政府関係者を除き何人も尖閣諸島への上陸を認めないとの方針」をとっている[37]

在日米軍訓練区域

在沖縄米軍は、1950年代から、久場島及び大正島に射爆撃場を設置し、沖縄返還交渉の際の日米両国政府間の了解に従い、沖縄返還後も日米地位協定第2条1(a)に規定する施設・区域として引き続いて米軍提供施設となっている[2]

尖閣諸島には現在も在日米海軍の訓練区域が残っているが、1979年以降は使用されていない[38]

使用部隊 施設番号 名前 場所 管理部隊 使用開始日 提供開始日
海軍[38] FAC 6084 黄尾嶼射爆撃場 (Kobi Sho Range) 久場島 在沖米海軍
艦隊活動司令部[38]
1956年[38] 1972年5月15日[38]
FAC 6085 赤尾嶼射爆撃場 (Sekibi Sho Range) 大正島 1956年3月27日[38]

利用目的に合わせて、Kobi Sho RangeはKobi Sho Gunnery Rangeと命名されており、Sekibi Sho RangeはSekibi Sho Gunnery Rangeと命名されている[39]

黄尾嶼射爆撃場及び赤尾嶼射爆撃場については、日米合同委員会における合意で、米軍がその水域を使用する場合は、原則として15日前までに防衛省に通告することとなっているところ、1978年(昭和53年)6月以降はその通告がない[33]

なお地方公共団体職員等が黄尾嶼射爆撃場及び赤尾嶼射爆撃場への立入りを行おうとする場合には、平成8年12月2日の合衆国の施設及び区域への立入許可手続についての日米合同委員会における合意に定められている手続に従って米軍の許可を得る必要がある[33]

台湾側

台湾(中華民国)は1971年6月の外交部声明で公式に領有権を主張した[2]

中国側

中国は1971年12月の外交部声明で公式に領有権を主張した[2]

米国の立場

米国政府は尖閣諸島の領有権について最終的に判断する立場にないとしつつ、領有権をめぐる対立が存在するならば関係当事者間の平和的解決を期待するとの中立的立場を示す一方、尖閣諸島は1972年の沖縄返還以来日本の施政下にあり、日米安全保障条約第5条は日本の施政下にある領域に適用されるとの見解を示している[2]

領有をめぐる年表

毎日新聞』2010年9月19日版を元に概要のみ記す[40]

「尖閣諸島」切手

日本への返還直前の1972年4月14日、沖縄で郵便事業を行っていた琉球郵政庁記念切手「海洋シリーズ」第3集「海鳥と海と島」を発行したが、これは尖閣諸島の南小島でアホウドリ[注 1]が羽根を休める風景を描いたものだという。これは琉球郵政庁が切手を発行権限があるうちに、尖閣は沖縄の島であることを主張する切手を残すためであった。

公式には切手の題目は「海鳥」と題されているが、これは領有権を主張し始めた中華民国政府に対する配慮から、アメリカから発行中止命令[注 2]を受けないためのカモフラージュであった。1971年に琉球大学の調査によりクロアシアホウドリとアホウドリが尖閣諸島に生息することが確認されたことから、琉球郵政庁の切手発行担当者は原画担当者の安次富長昭にアホウドリを描くように指示、調査団の説明からイメージを膨らませたという。このようにして「琉球」の名で尖閣諸島切手が発行された[42][43][44]

また、担当者は第1集の「夕陽と島」でも魚釣島に沈む夕陽にしようと目論み、写真撮影のため原画技官を2週間に渡り出張させたが、悪天候のため尖閣諸島にたどり着けず、やむなく慶良間の海と島に変更されたという[45]

脚注

注釈

  1. 沖縄県内ではアホウドリがいるのは尖閣諸島に限られている。
  2. 1967年に切手の図案のなかで日章旗を星条旗よりも高い位置に置いたことから切手発行が禁じられ不発行切手になった前例があった。

出典

  1. 地形図、国土地理院
  2. 2.00 2.01 2.02 2.03 2.04 2.05 2.06 2.07 2.08 2.09 2.10 2.11 2.12 2.13 2.14 2.15 2.16 2.17 2.18 2.19 2.20 2.21 2.22 2.23 2.24 立法と調査334号「尖閣諸島をめぐる問題と日中関係」 (PDF)”. 参議院外交防衛委員会調査室 (2012年11月30日). . 2014閲覧.
  3. 沖縄県島しょ別面積一覧”. 沖縄県企画部土地対策課. 2012年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2011年9月2日閲覧.
  4. ご存知ですか? ガス田群 尖閣諸島 (PDF)”. 海上自衛隊第5航空群 (2009年10月7日). 2012年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2011年9月2日閲覧.
  5. 中華人民共和国駐日本国大使館: “釣魚島およびその一部付属島嶼の地理座標” (2012年9月15日). . 2013閲覧.
  6. PUB.158 SAILING DIRECTIONS (ENROUTE) JAPAN VOLUME 1 2017 SEVENTEENTH EDITION (PDF) アメリカ国家地球空間情報局 2017年、p.129
  7. 7.0 7.1 7.2 排他的経済水域等の基礎となる 低潮線を有する離島に関する調査報告書 (PDF)
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 8.6 8.7 尖閣諸島 (PDF) 石垣市
  9. 沖縄大百科事典刊行事務局 『沖縄大百科事典(上巻)』 沖縄タイムス社、1983年、594頁
  10. 尖閣周辺、39の無名離島に命名 EEZ基準で官房長官 共同通信(47NEWS)、2012年1月16日
  11. 11.0 11.1 名称不明離島の名称決定・地図等への記載について 総合海洋政策本部、2012年3月2日
  12. 上地龍典「時事問題解説NO.95 尖閣列島と竹島 中国・韓国との領土問題 - ウェイバックマシン(2004年5月17日アーカイブ分)」
  13. 石垣市議会 (2010年9月28日). “尖閣諸島海域における中国漁船領海侵犯に関する意見書 (PDF)”. 石垣市. . 2017閲覧.
  14. 尖閣諸島の字名変更へ 9月定例市議会 八重山毎日新聞、2017年9月20日
  15. 尖閣諸島:「石垣市尖閣」に地名変更へ 毎日新聞、2017年9月21日
  16. 産経新聞: “尖閣の地名、「登野城尖閣」に字名変更へ 沖縄・石垣市 対中牽制、日本領土の決意示す” (2017年11月30日). . 2017閲覧.
  17. “沖縄・石垣市「尖閣」字名明記、来年以降に先送りへ 中山義隆市長が表明 「手続き」理由も国と調整?”. 産経新聞. (2017年12月11日). http://www.sankei.com/politics/news/171211/plt1712110017-n1.html . 2017閲覧. 
  18. 産経新聞: “中国「いんちき」と反発 尖閣の字名変更” (2017年12月5日). . 2017閲覧.
  19. 尖閣研究 高良学術調査団資料集(下巻)pp213-250. 尖閣諸島文献資料編纂会編. 2007年10月1日刊
  20. 北小島の洋上に居たアホウドリ―尖閣列島生物調査(1953年8月)で実見―. 尖閣諸島文献資料編纂会
  21. 尖閣諸島調査団座談会. 尖閣諸島文献資料編纂会
  22. 22.0 22.1 尖閣列島学術調査報告. 琉球大学尖閣列島学術調査団編. 琉球大学. 1971年刊
  23. 沖縄の秘境を探る. 高良鉄夫. 沖縄新報社. 1980年刊. pp106-107
  24. 河野裕美 「アホウドリ」『沖縄県の絶滅のおそれのある野生生物(レッドデータおきなわ)-動物編-』、沖縄県文化環境部自然保護課編 、2005年、61-62頁。
  25. 長谷川博 「アホウドリの保護」 黒田長久監修 C.M.ペリンズ、A.L.A.ミドルトン編 『動物大百科7 鳥類I』、平凡社1986年、60-61頁。
  26. 朝日新聞1963年5月21日夕刊
  27. 27.0 27.1 尖閣研究 高良学術調査団資料集(上巻)pp161-210. 尖閣諸島文献資料編纂会編. 2007年10月1日刊
  28. 朝日新聞1968年7月18日夕刊
  29. 29.0 29.1 尖閣研究 高良学術調査団資料集(上巻)pp211-250. 尖閣諸島文献資料編纂会編. 2007年10月1日刊
  30. 朝日新聞1969年7月11日付け夕刊
  31. 中国機が尖閣沖で領空侵犯=魚釣島沖では監視船侵入-海空で示威行為、政府抗議、時事ドットコム 2012年12月13日
  32. 第162回国会 外務委員会 第14号(平成17年7月22日(金曜日))会議録”. 衆議院. . 2011年9月2日閲覧.
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  45. 「郵趣」2011年9月号6-7頁

参考文献

  • 角川地名大百科辞典編纂委員会 『角川地名大辞典47沖縄県』 角川書店、1986年
  • 沖縄大百科事典刊行事務局 『沖縄大百科事典(上巻)』 沖縄タイムス社、1983年
  • 沖縄大百科事典刊行事務局 『沖縄大百科事典(中巻)』 沖縄タイムス社、1983年
  • 日外アソシエーツ『島嶼大事典』 日外アソシエーツ、1991年
  • 芹田健太郎 『日本の領土』 中央公論新社、2002年
  • 『日本歴史地名体系(第48巻)沖縄県の地名』 平凡社、2002年

関連項目

外部リンク


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