川内 (広島市)

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川内
—  町丁  —
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 Flag of Hiroshima Prefecture.svg 広島県
市町村 Flag of Hiroshima, Hiroshima.svg 広島市
安佐南区
人口 (2018)[1]
 - 計 14,833人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 731-0102

川内(かわうち)とは広島市安佐南区の地名。一丁目から六丁目までが設置されている。郵便番号731-0102(安佐南郵便局管区)。2018年6月末現在の人口は14,833人[1]

地理

古川太田川の間に位置し、中筋を境にする。


歴史

1888年(明治21年)まで、広島県沼田郡温井村、広島県沼田郡中調子村。中調子は、もと中庄子。棚守房顕[2]記には、中小師と記されており、厳島領であった。

1889年(明治22年)の大合併により、沼田郡温井村、中調子村の2村が合併し沼田郡川内村となる。

原爆により、住民約180人が爆心地近くの勤労動員先で亡くなった[3][4]

太平洋戦争後の1955年(昭和30年)に沼田郡八木村沼田郡緑井村と合併し安佐郡佐東町となる。1973年(昭和48年)に、広島市と合併し広島市佐東町。1980年広島市が政令指定都市に指定され広島市安佐南区川内となる。[5]

文化財

  • 八幡神社 (中調子) - 仲哀天皇応神天皇仁徳天皇を祀る。武田義信の祈願所として建立されたと伝えられている。
  • 八幡神社 (温井) - 応神天皇を祀る。
  • 明圓寺 - 福島山と號す。慶長9年に行空により創立される。
  • 浄行寺(じょうぎょうじ) - 「温井村にあり竜頭山と號し、永正5(1508)年戊辰僧浄覚開基」とあり山号は竜頭山と號していたが、明治20年代に本願寺の「燈」運動に刺激され、竜燈山と改めた[6]。禅宗であったが、天正2年に浄土真宗改宗。

施設

交通

道路

人口・世帯数

2018年6月末の人口・世帯数は以下の通り[1]

町名 人口 世帯数
川内一丁目 3,644 1,492
川内二丁目 2,619 1,029
川内三丁目 1,838 685
川内四丁目 1,587 662
川内五丁目 2,510 1,011
川内六丁目 2,635 1,019
14,833 5,898

ゆかりの人物

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 広島市 人口,世帯数(町丁目別) 2018年8月9日閲覧。
  2. 棚守職は、神棚を守ると云う意の厳島神社の職名で、大宮棚守、客人宮(まろうどのみや)棚守、外宮棚守の三職があった。棚守房顕(たなもりふさあき)は、1495年(明応4年)に厳島社本殿の棚守に生まれた人物。
  3. 戦後の川内地区「苦楽の記録」
  4. 川内村国民義勇隊
  5. 市町村数の変遷と明治・昭和の大合併の特徴
  6. 芸藩通志

参考文献

  • 『郡役所廃止記念 安佐郡誌 (復刻版)』芸備風土研究会、1975年(昭和50年)

関連項目