巴戦

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巴戦(ともえせん)とは、大相撲における優勝決定戦の方式の一種で、本割の結果、相星力士(または優勝決定戦の途中の勝ち残り)が3人いる場合の優勝者決定のための戦いである。連続して2勝した力士が優勝となる。

解説

優勝決定戦に出場する3人の力士が土俵下でくじ引きをして、)が描かれた紙を引いた力士は休みとなり、残りの2人(「」「西」と書かれた紙を引いた力士がそれぞれ東・西から上がる)がまず対戦する。勝者は続けて休みの力士と対戦し、勝った場合は優勝が決まる。負けた場合はまた初戦で負けた力士が土俵に上がる。以後、2連勝する力士が出るまで続けられる。

取組が15番あり、かつ横綱大関といった強い力士がいる幕内において巴戦が行われた例は少ない(これまでで1996年平成8年)11月場所が最後)が、実力の均衡する十両や、7番しかない幕下以下ではしばしば行われる。なお、同点力士が5人・6人となった場合も、予選を行って3人に絞り、巴戦を行う。4人・7人・8人の場合は単純なトーナメント形式で決定戦を行い、巴戦は行わない。9人~12人の場合は5人または6人→3人と絞り巴戦となる。

3者の力量がまったく同じであれば平等な勝率は1/3(0.3333…)となるはずではあるが、巴戦の場合は確率から見ると○を引いた力士の優勝確率は4/14(勝率約0.286)であり他の2人は5/14(勝率約0.357)であって、○を引いた力士が不利となる[1]。状況から見ても、「東」または「西」を引いた力士は最初の対戦で負けても、一旦控えとなって次に○を引いた力士が勝てば再び対戦できるのに対し、○を引いた力士の場合は、最初に対戦する時に負けた時点で相手力士の優勝が決まってしまう。

幕内での優勝決定巴戦の一覧

幕内ではこれまでに、3人による決定戦で6度、5人による決定戦の決勝戦として1度、巴戦が行われている。

3人による決定戦

場所 本割成績 勝者 敗者 備考
1956年(昭和31年)3月場所 12勝3敗 大関若ノ花 前頭15若羽黒 史上初の巴戦であると同時に、出場全力士が昭和生まれのはじめての決定戦であり、結果、朝汐は最初の昭和生まれの優勝力士になった
若ノ花はのちの初代若乃花、朝汐はのち3代朝潮
関脇朝汐 東大関若ノ花
東前頭15若羽黒
1961年(昭和36年)9月場所 12勝3敗 西大関柏戸 西前頭4明武谷 大鵬と柏戸は場所後横綱
東大関大鵬 西大関柏戸
西前頭4明武谷
1965年(昭和40年)9月場所 12勝3敗 東張出横綱柏戸 東前頭5明武谷
西横綱佐田の山
1990年(平成2年)3月場所 13勝2敗 東大関小錦 西横綱北勝海 3人決定戦で4番を要したのは史上最多
霧島は場所後大関
東関脇霧島 東大関小錦
西横綱北勝海 東関脇霧島
東大関小錦
1993年(平成5年)7月場所 13勝2敗 東横綱 東関脇若ノ花 同期生3人による巴戦、若ノ花と貴ノ花は同部屋(二子山部屋
若ノ花はのちの3代若乃花、貴ノ花はのち貴乃花
若ノ花は場所後大関
東大関貴ノ花
1994年(平成6年)3月場所 12勝3敗 東張出大関貴ノ浪 東前頭12貴闘力 貴ノ浪と貴闘力は同部屋対戦(二子山部屋)
東横綱 東張出大関貴ノ浪
東前頭12貴闘力
  • 太字は優勝。

5人による決定戦

場所 本割成績 勝者 敗者 備考
1996年(平成8年)11月場所 11勝4敗 1回戦 西横綱曙 不戦勝 11勝での優勝は1972年1月場所の栃東、2017年9月場所の日馬富士と並ぶ15日制での最少勝ち星
若乃花と貴ノ浪は同部屋(二子山部屋)
西大関武蔵丸 東大関若乃花
東大関2貴ノ浪 西関脇魁皇
決勝戦 西大関武蔵丸 西横綱曙
東大関2貴ノ浪
  • 太字は優勝。

参考文献

  1. 巴戦の数理 私の備忘録

関連項目