新日本プロレス

提供: miniwiki
2018/8/26/ (日) 16:04時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索



新日本プロレスリング株式会社(しんにほんプロレスリングかぶしきがいしゃ)は、日本プロレス団体。通称「新日本プロレス(しんにほんプロレス)」。業務提携先に興行部門として自主興行をプロモートする新日本プロモーション株式会社(しんにほんプロモーションかぶしきがいしゃ)と関西興行をプロモートする新日本プロレスリング新日企画(しんにほんプロレスリングしんにちきかく)がある。

Contents

概要

  • 1971年12月、日本プロレスに対しクーデターを画策したとして、アントニオ猪木が日本プロレス選手会を除名され、日本プロレスから永久追放された(詳しくは「密告事件」を参照)。
  • 1972年1月13日、アントニオ猪木が新日本プロレスリング株式会社を設立。
  • 1972年3月6日、大田区体育館で新日本プロレスの旗揚げ戦を開催。
  • 「KING OF SPORTS」を標榜して「ストロングスタイル」と呼ばれるファイトスタイルを掲げている。
  • リングドクターを取り入れて健康管理をする面においては他団体と大きく差別化が図られている。
  • 過去に元佐川急便代表取締役会長の佐川清が筆頭株主として名を連ねたこともあった。
  • 2005年まで日本プロスポーツ協会に加盟していた。
  • 2005年11月14日、アントニオ猪木が保有していた新日本プロレスの株式51.5%をユークスが取得してユークスの子会社になった(後に全株式を取得)。
  • 2012年1月31日、ユークスが保有していた新日本プロレスの全株式をブシロードグループパブリッシング(現:ブシロード)に5億円で譲渡してブシロードグループパブリッシングの子会社になりブシロードグループパブリッシング代表取締役社長の木谷高明がオーナーになった。
  • 2014年に債務超過状態から脱し、2017年7月期の売上高は38億5000万円、純資産額は9億3000万円を記録した。以降は無借金経営を継続している[1]

歴史

1970年代

1972年
1973年
1974年
1975年
  • 8月3日、アメリカのルイジアナ州ニューオーリンズで開かれたNWA年次総会でアントニオ猪木がプロモーターとしてNWAに加盟を申請したが全日本プロレスの圧力で認めらなかった。しかし、坂口征二と新間寿が加盟名義人として認められ、「NWA世界ヘビー級王者は新日本プロレスに参戦しない」という条件で加盟が承認された。
1976年
1977年
  • 8月2日、日本武道館でアントニオ猪木対全米プロ空手世界ヘビー級王者のザ・モンスターマンによる異種格闘技戦が行われてアントニオ猪木が勝利。
  • 10月25日、日本武道館でアントニオ猪木対プロボクサーのチャック・ウェプナーによる異種格闘技戦が行われてアントニオ猪木の勝利。
1978年
  • 4月4日、アメリカのフィラデルフィア・アリーナでアントニオ猪木対全米プロ空手のザ・ランバージャックによる異種格闘技戦が行われてアントニオ猪木の勝利。
  • 5月、第1回「MSGシリーズ」を開催。優勝はアントニオ猪木。
  • 11月9日、フランクフルトのフェストホールでアントニオ猪木対プロボクサーのカール・ミルデンバーガーによる異種格闘技戦が行われてアントニオ猪木の勝利。
  • 11月と12月、第1回「プレ日本選手権」を開催。優勝はアントニオ猪木。
  • 12月18日、アントニオ猪木がビンス・マクマホン・シニアから世界の強豪を相手に行われた数々の異種格闘技での功績を称えてWWF世界マーシャルアーツ王座が贈呈されてアントニオ猪木が初代WWF世界マーシャルアーツ王者に認定。
1979年
  • 6月17日、パキスタンのカダフィスタジアムでアントニオ猪木対格闘家のジュベール・ペールワンによる異種格闘技戦が行われて引き分け。
1980年

1980年代

1981年
1982年
1983年
  • 5月、第1回「IWGPリーグ戦」を開催。優勝者はハルク・ホーガン
  • 8月4日、この日の対寺西勇戦を最後に突如タイガーマスクが引退。
  • 8月25日、アントニオ猪木が代表取締役社長、坂口征二が取締役副社長を退任。専務取締役兼営業本部長の新間寿は謹慎処分。山本小鉄ら3名による取締役体制を発足。
  • 11月1日、アントニオ猪木が代表取締役社長、坂口征二が取締役副社長へ復帰。山本小鉄ら3人の取締役体制は短命に終わった。
1984年
  • 6月14日、蔵前国技館で開催した第2回「IWGPリーグ戦」決勝戦でアントニオ猪木対ハルク・ホーガンが行われ、アントニオ猪木が優勝したが、長州力の乱入を経てアントニオ猪木がリングアウト勝ちという不透明な決着に激怒したファンが物を投げたり放火騒ぎや2階席のイスを破壊するなど暴動寸前状態に発展。
  • 9月21日、この日の試合を最後に長州力ら維新軍が離脱しジャパンプロレスに合流。
1985年
1986年
1987年
  • 3月26日、大阪城ホールで行われたアントニオ猪木対マサ斎藤戦で海賊男(正体はブラック・キャット)が乱入し、マサ斉藤に手錠をかけて連れ去りファンが暴動を起こした。
  • 6月12日、IWGPヘビー級王座を創設。初代王者はアントニオ猪木。
  • 10月4日、巌流島でノーピープルマッチがアントニオ猪木対マサ斎藤戦で行われ、2時間5分14秒にも及ぶ決闘の末アントニオ猪木の勝利(詳しくは「巌流島の戦い」を参照)。
  • 12月27日、両国国技館にたけしプロレス軍団が登場。当初行われる予定だったメインイベントのアントニオ猪木対長州力戦を中止してアントニオ猪木対ビッグバン・ベイダー戦に急遽変更。対戦カード変更に加えてアントニオ猪木がビッグバン・ベイダーに3分弱で敗れるという試合結果に(当初は藤波辰巳&木村健悟組対マサ斎藤&ビッグバン・ベイダー組のタッグマッチと、アントニオ猪木対長州力のシングルマッチ。1回目の対戦カード変更で、藤波辰巳&木村健悟組対マサ斉藤&長州力組のタッグマッチと、アントニオ猪木対ビッグバン・ベイダーのシングルマッチ。2回目の対戦カード変更でアントニオ猪木対ビッグバン・ベイダーの前に、アントニオ猪木対長州力が組まれた。従ってアントニオ猪木と長州力は1日に2試合を戦った)ファンが激怒してリングに物を投げ込んだり座布団を破いたり設備が破壊されるなどプロレス史上最悪の暴動に発展して新日本プロレスは日本相撲協会から両国国技館の無期限使用禁止を言い渡された(1989年2月、両国国技館の無期限使用禁止を解除された)。
1988年
1989年

1990年代

1990年
  • 2月10日、東京ドーム大会を開催。全日本プロレスからジャンボ鶴田天龍源一郎らが参加し、新日本との対抗戦が2試合行なわれる。
  • 12月20日、新日本プロレスとWCWが業務提携を結んだことを発表。
1991年
1992年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
1993年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 5月5日、福岡ドーム大会を開催。
1994年
1995年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 5月3日、福岡ドーム大会を開催。
  • 10月9日、東京ドーム大会を開催。
  • 10月29日、大阪ATCホールで藤波辰爾が主催する興行「無我」を開催。
1996年
1997年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月12日、東京ドーム大会を開催。
  • 5月3日、大阪ドーム大会を開催。
  • 8月10日、ナゴヤドーム大会を開催。
  • 11月2日、福岡ドーム大会を開催。
1998年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月4日、東京ドーム大会を開催。アントニオ猪木の引退試合が行われる。
  • 8月8日、大阪ドーム大会を開催。IWGPジュニアタッグ王座を創設。初代王者は大谷晋二郎&高岩竜一組。
1999年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月10日、東京ドーム大会を開催。新日本プロレス初の「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」が蝶野正洋対大仁田厚戦で行われて(ただし新日本プロレスは公式試合として認めず第0試合にした)両者KOによる引き分け。
  • 6月24日、藤波辰爾が代表取締役社長に就任。前代表取締役社長の坂口征二は代表取締役会長に就任。
  • 8月28日、神宮球場大会を開催。
  • 10月11日、東京ドーム大会を開催。
  • 10月、第1回「G1 TAG LEAGUE」を開催。優勝は武藤敬司&スコット・ノートン組。

2000年代

2000年
  • 新日本プロレスがWCWの経営悪化を理由に業務提携を解消したことを発表。
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月7日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月14日、気仙沼市総合体育館で行われた福田雅一柴田勝頼戦の試合中に福田が意識不明となり、4月19日に死去した。試合中の事故による死亡は日本の男子プロレスでは史上初。
  • 5月5日、福岡ドーム大会を開催。
2001年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月9日、大阪ドーム大会を開催。
  • 5月5日、福岡ドーム大会を開催。
  • 7月20日、札幌ドーム大会を開催。
  • 10月18日、東京ドーム大会を開催。
2002年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月1日、アメリカにLA道場(現:猪木道場)がオープン。
  • 5月2日、東京ドーム大会を開催。
  • 9月6日、石川県産業展示館3号館で女子プロレスラーのジョーニー・ローラーが参戦。新日本プロレス初となる男女混合試合が行われた。
  • 10月14日、東京ドーム大会を開催。
2003年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月23日、IWGP U-30無差別級王座を創設。初代王者は棚橋弘至
  • 5月2日、東京ドーム大会を開催。新日本プロレス初の独自ルールによる総合格闘技戦「アルティメット・クラッシュ」が行われた。
  • 10月13日、東京ドーム大会を開催。
2004年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 5月3日、東京ドーム大会を開催。
  • 6月23日、経営コンサルタントの草間政一が代表取締役社長に就任。前代表取締役社長の藤波辰爾は取締役副会長に就任。
  • 11月3日、大阪ドーム大会を開催。
2005年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 4月、第1回「NEW JAPAN CUP」を開催。優勝は棚橋弘至。
  • 5月14日、東京ドーム大会を開催。
  • 5月26日、草間政一が代表取締役社長を解任されて後任としてアントニオ猪木の娘婿であるサイモン・ケリー猪木が代表取締役社長に就任。
  • 10月8日、東京ドーム大会を開催。
  • 10月、新日本プロレス総合格闘技部門を発足。
  • 11月14日、アントニオ猪木が保有していた新日本プロレスの株式51.5%をユークスが取得してユークスの子会社になった(後に全株式を取得)。
2006年
  • 1月4日、東京ドーム大会を開催。
  • 5月13日、新宿FACEで新日本プロレスとは別ブランドとなる興行「WRESTLE LAND」を開催。
  • 5月21日、新木場1stRINGで新日本プロレスとは別ブランドとなる興行「LOCK UP」を開催。
  • 7月、ブロック・レスナーが「契約上のトラブル」を理由に訪日を拒否。これを受けて新日本プロレスはブロック・レスナーが保持するIWGPヘビー級王座(3代目)を剥奪したがブロック・レスナーがIWGPヘビー級王座(3代目)のチャンピオンベルトを返還しなかった為に新日本プロレスは2代目IWGPヘビー級王座のチャンピオンベルトを使用。
2007年
  • 1月4日、東京ドームで新日本プロレス&全日本プロレス創立35周年記念大会「レッスルキングダム in 東京ドーム」を開催。
  • 3月6日、後楽園ホールで第1回「NJPWグレーテストレスラーズ」授賞式が行われてアントニオ猪木、坂口征二、星野勘太郎、山本小鉄が表彰。
  • 3月9日、サイモン・ケリー猪木が代表取締役社長を辞任。
  • 4月25日、取締役副社長の菅林直樹が代表取締役社長に就任。
  • 5月25日、新日本プロレス総合格闘技部門がNEW JAPAN FACTORYとしてリニューアル。
  • 6月29日、両国国技館で行われたIGFの旗揚げ戦でブロック・レスナーがカート・アングルと非公式のIWGPヘビー級選手権試合を行いカート・アングルが勝利して3代目IWGPヘビー級王座を獲得。
2008年
  • 1月4日、東京ドーム大会「レッスルキングダムII in 東京ドーム」を開催。
  • 2月17日、両国国技館で2代目IWGPヘビー級王座を保持するIWGPヘビー級王者の中邑真輔対3代目IWGPヘビー級王座を保持するカート・アングルによる「IWGPヘビー級選手権試合 ベルト統一戦」が行われて中邑真輔がIWGPヘビー級王座防衛に成功すると共に2つのIWGPヘビー級王座を統一。
  • 3月9日、愛知県体育館で新調された4代目IWGPヘビー級王座がIWGPヘビー級王者の中邑真輔に贈呈。
  • 5月5日、後楽園ホールで蝶野正洋がゼネラルマネージャーを務める興行「PREMIUM」を開催。
2009年

2010年代

2010年
2011年
2012年
2013年
  • 1月4日、東京ドーム大会「レッスルキングダム7 〜EVOLUTION〜 in 東京ドーム」を開催。
  • 5月、新日本プロレス選手寮のリフォームが終わり新しい新日本プロレス選手寮が完成。
  • 9月24日、代表取締役社長の菅林直樹が代表取締役会長に就任。経営企画部兼商品部で執行役員の手塚要が代表権のない取締役社長に就任[3]。取締役会長の木谷高明は退任。
2014年
2015年
  • 1月4日、東京ドーム大会「WRESTLE KINGDOM 9 in 東京ドーム」を開催。
  • 7月2日、新日本プロレス公式サイトへの不正アクセスにより約1万8000件の個人情報が流失していたことが判明して謝罪会見が行われた。
2016年
2017年
2018年

他団体との交流

全日本プロレス

1979年8月26日、日本武道館で新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレスによる合同興行「東京スポーツ新聞社創立20周年記念大会 プロレス夢のオールスター戦」を開催。「プロレス夢のオールスター戦」でアントニオ猪木とジャイアント馬場のタッグチーム「BI砲」が一夜限りの復活。1981年、新日本プロレスと全日本プロレスで外国人選手の引き抜き合戦が行われてアブドーラ・ザ・ブッチャータイガー・ジェット・シンディック・マードックワフー・マクダニエルスタン・ハンセンが新日本プロレスと全日本プロレスを行き来するなど反目関係にあった。1982年2月7日、ホテルニューオータニでアントニオ猪木とジャイアント馬場よる会談が行われて外国人選手の「引き抜き防止協定」が結ばれたが1984年にダイナマイト・キッドデイビーボーイ・スミス、1985年にブルーザー・ブロディの外国人選手の引き抜き合戦が再び行われた。1984年8月、越中詩郎が全日本プロレスを退団してアジアプロレスに移籍。1985年8月、越中詩郎が新日本プロレスに移籍。1984年10月9日、新日本プロレスを退団した長州力アニマル浜口マサ斎藤キラー・カーン小林邦昭寺西勇谷津嘉章永源遙栗栖正伸保永昇男仲野信市新倉史祐笹崎伸司ジャパンプロレスを設立して全日本プロレスと業務提携を結ぶと同時に専属選手契約を締結。1985年8月、スーパー・ストロング・マシンヒロ斎藤高野拳磁のユニット「カルガリー・ハリケーンズ」が新日本プロレスを退団してジャパンプロレスに移籍。1987年3月23日、ジャパンプロレスが全日本プロレスとの契約を解消。3月30日、ジャパンプロレスが崩壊。長州力、マサ斎藤、小林邦昭、保永昇男、スーパー・ストロング・マシン、ヒロ斎藤が新日本プロレスに再入団。ジャパンプロレスでデビューした佐々木健介馳浩が新日本プロレスに移籍。寺西勇、谷津嘉章、永源遙、栗栖正伸、仲野信市、高野拳磁が全日本プロレスに残留。新倉史祐がSWSに移籍。キラー・カーンがWWF(現:WWE)に移籍。笹崎伸司が引退。1990年2月10日、坂口征二体制の下で行われた新日本プロレス東京ドーム大会で当初メインイベンターを飾る予定であったリック・フレアーが訪日をキャンセルしたため坂口征二はジャイアント馬場に選手の貸し出しを頼みジャンボ鶴田天龍源一郎谷津嘉章タイガーマスク(2代目)、スタン・ハンセンが参戦。1996年1月、馳浩が新日本プロレスを退団して11月、全日本プロレスに移籍。 2000年8月11日、新日本プロレス両国国技館大会に全日本プロレスの渕正信が来場して長らく対立関係にあった新日本プロレスと全日本プロレスの交流が始まる。9月2日、全日本プロレス日本武道館大会に蝶野正洋が参戦。9月16日、新日本プロレス愛知県体育館大会に渕正信、太陽ケアが参戦。10月9日、新日本プロレス東京ドーム大会に川田利明、渕正信、スティーブ・ウイリアムスが参戦。10月21日、全日本プロレス愛知県体育館大会に蝶野正洋、天山広吉小島聡ヒロ斎藤後藤達俊小原道由が参戦。12月14日、新日本プロレス大阪府立体育会館大会に川田利明、渕正信が参戦。2001年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に川田利明が参戦。1月28日、全日本プロレス東京ドーム大会に佐々木健介武藤敬司獣神サンダー・ライガーが参戦。2月3日、新日本プロレス北海道立総合体育センターに川田利明、荒谷望誉、渕正信が参戦。2月18日、太陽ケアと3月17日、馳浩がユニット「BATT」のメンバーに加わり新日本プロレスに参戦。4月14日、全日本プロレス日本武道館大会に武藤敬司、天山広吉、小島聡が参戦。4月9日、新日本プロレス大阪ドーム大会に川田利明、太陽ケア、渕正信が参戦。5月5日、新日本プロレス福岡ドーム大会に太陽ケア、馳浩が参戦。6月6日、新日本プロレス日本武道館大会に川田利明、馳浩、長井満也、渕正信、垣原賢人マイク・バートンが参戦。 6月8日、全日本プロレス日本武道館大会に天山広吉、小島聡、ヒロ斎藤が参戦。6月8日、全日本プロレス日本武道館大会に永田裕志中西学吉江豊真壁伸也が参戦、武藤敬司が天龍源一郎の三冠ヘビー級王座を獲得。7月14日、全日本プロレス日本武道館大会に武藤敬司が参戦。7月20日、新日本プロレス札幌ドーム大会に太陽ケアが参戦。9月8日、全日本プロレス日本武道館大会に武藤敬司、蝶野正洋、木戸修棚橋弘至が参戦。9月8日、スティーブ・ウイリアムス、マイク・ロトンドジム・スティールマイク・バートンがヒールユニット「TEAM 2000」のメンバーに加わった。9月16日、新日本プロレス名古屋レインボーホール大会に川田利明、長井満也が参戦。10月22日、全日本プロレス新潟市体育館大会に武藤敬司が参戦。10月27日、全日本プロレス日本武道館大会に武藤敬司、蝶野正洋が参戦。10月28日、新日本プロレス福岡国際センターに太陽ケアが参戦。2002年1月、武藤敬司、小島聡、ケンドー・カシンが新日本プロレスを退団して2月26日、全日本プロレスに移籍したため交流が一時期凍結された。2003年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に小島聡が参戦。2004年6月12日、全日本プロレス愛知県体育館に永田裕志が参戦。11月3日、全日本プロレス両国国技館大会に長井満也、成瀬昌由が参戦。2005年に2月20日、新日本プロレス両国国技館大会に小島聡が参戦。3月26日、新日本プロレス両国国技館大会に小島聡が参戦。5月14日、新日本プロレス東京ドーム大会に小島聡が参戦。2007年、新日本プロレス東京ドーム大会で新日本プロレス&全日本プロレス創立35周年記念大会「レッスルキングダム in 東京ドーム」を開催。2008年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に武藤敬司の化身「グレート・ムタ」が参戦。3月1日、全日本プロレス両国国技館大会に棚橋弘至が参戦。4月27日、新日本プロレス大阪府立体育会館大会に武藤敬司が参戦。7月21日、新日本プロレス月寒アルファコートドーム大会に武藤敬司が参戦。8月31日、新日本プロレス両国国技館大会に武藤敬司が参戦。9月21日、新日本プロレス神戸ワールド記念ホール大会に武藤敬司が参戦。10月13日、新日本プロレス両国国技館大会に武藤敬司が参戦。2009年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に武藤敬司が参戦。10月12日、新日本プロレス両国国技館大会に武藤敬司が参戦。2010年2月28日、後楽園ホールで新日本プロレス、全日本プロレスの全面協力のもと江崎グリコスポーツフーズ営業部長兼プロダクトマネージャーの桑原弘樹のプロデュース興行「グリコ・パワープロダクション・ドリームマッチ」を開催。5月31日、小島聡が全日本プロレスを退団して8月にフリーとして新日本プロレスに参戦。6月19日、全日本プロレス両国国技館大会に永田裕志が参戦。8月27日、日本武道館で新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアによる合同興行「ALL TOGETHER 東日本大震災復興支援チャリティープロレス」を開催。2011年9月19日、フリーとして新日本プロレスに参戦していた小島聡が新日本プロレスに再入団。12月14日、新日本プロレス後楽園ホール大会にカズ・ハヤシが参戦。2012年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会に武藤敬司、船木誠勝河野真幸が参戦。2月19日、仙台サンプラザホールで新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアによる合同興行「ALL TOGETHER〜もう一回、ひとつになろうぜ〜」を開催。4月16日、全日本プロレスのBUSHIが新日本プロレスに1年間レンタル移籍。7月1日、両国国技館で新日本プロレス、全日本プロレスによる合同興行「カードファイト!! ヴァンガード PRESENTS 新日本プロレスリング&全日本プロ・レスリング創立40周年記念大会 サマーナイトフィーバー in 両国 WE ARE PRO-WRESTLING LOVE!」を開催。10月27日と28日、台湾の国立台湾大学総合体育館で新日本プロレス、全日本プロレスによる合同興行「カードファイト!! ヴァンガード PRESENTS 新日本プロレスリング&全日本プロ・レスリング創立40周年記念大会 We are Prowrestling LOVE! in TAIWAN」を開催。2013年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に武藤敬司が参戦。1月18日、新日本プロレスに1年間レンタル移籍していたBUSHIが新日本プロレスに完全移籍。2012年11月1日、全日本プロレスのオーナーとなった白石伸生がFacebookで他団体に対する問題発言を繰り返して新日本プロレスも槍玉に上げたため新日本プロレスとの関係が一気に悪化して他団体との交流を凍結する鎖国宣言を行うなどしたため交流が途絶えた。2016年5月13日、新日本プロレス主催の大会「SUPER J-CUP」に全日本プロレスが参加することが発表されて交流を再開。

プロレスリング・ノア

2001年10月18日、新日本プロレス東京ドーム大会に秋山準が参戦。2002年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に秋山準が参戦。4月7日、プロレスリング・ノア有明コロシアム大会に中西学、吉江豊が参戦。5月2日、新日本プロレス東京ドーム大会に三沢光晴が参戦。8月29日、新日本プロレス日本武道館大会にKENTA橋誠が参戦。8月29日、新日本プロレス日本武道館大会に金丸義信菊池毅が参戦。9月23日、プロレスリング・ノア日本武道館大会にエル・サムライ、成瀬昌由が参戦。2003年1月26日、プロレスリング・ノア神戸ワールド記念ホール大会に獣神サンダー・ライガー、金本浩二が参戦。5月2日、新日本プロレス東京ドーム大会に小橋建太が参戦。6月10日、新日本プロレス大阪府立体育会館に丸藤正道鈴木鼓太郎が参戦。9月12日、プロレスリング・ノア日本武道館大会に永田裕志が参戦。11月30日、プロレスリング・ノア北海道立総合体育センターに永田裕志、棚橋弘至が参戦。12月6日、プロレスリング・ノア横浜文化体育館大会に永田裕志、棚橋弘至が参戦。2004年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に杉浦貴が参戦。1月10日、プロレスリング・ノア日本武道館大会に永田裕志、棚橋弘至が参戦。2月15日、プロレスリング・ノア両国国技館大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。3月6日、プロレスリング・ノア日本武道館大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。4月28日、広島県立総合体育館大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。5月21日、宮城県スポーツセンター大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。7月10日、プロレスリング・ノア東京ドーム大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2005年5月14日、新日本プロレス東京ドーム大会に三沢光晴が参戦。7月18日、プロレスリング・ノア東京ドーム大会に棚橋弘至が参戦。2006年、当時、新日本プロレス代表取締役社長のサイモン・ケリー猪木テレビ朝日日本テレビとの間で取り決められていたバーター契約を一方的に白紙化としてプロレスリング・ノアより絶縁宣言を受ける(後に当時、プロレスリング・ノア渉外部長の仲田龍がバーター契約の存在を否定)。当時、新日本プロレスの親会社「ユークス」はプロレスリング・ノアに関する版権を借りられなくなり、プロレスをモチーフにしたテレビゲーム「レッスルキングダム」に登場していたプロレスリング・ノアの選手は次回作のテレビゲーム「レッスルキングダム2 プロレスリング世界大戦」に登場しなかった。2008年9月27日、プロレスリング・ノア大阪府立体育会館大会に高橋裕二郎内藤哲也が参戦。2009年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に三沢光晴、秋山準、杉浦貴、佐野巧真が参戦。5月5日、新日本プロレス後楽園ホール大会に森嶋猛、杉浦貴、青木篤志が参戦。5月6日、プロレスリング・ノア日本武道館大会に天山広吉、獣神サンダー・ライガー、金本浩二、岡田かずちか、が参戦。6月13日、三沢光晴が試合中に急死した際に新日本プロレスの選手が葬儀に参列。6月20日、新日本プロレス大阪府立体育会館第1競技場大会に杉浦貴、潮崎豪が参戦。10月12日、新日本プロレス両国国技館大会に小橋建太と秋山準が参戦。2010年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に杉浦貴、潮崎豪、モハメド・ヨネ、丸藤正道が参戦。1月30日、新日本プロレス後楽園ホール大会に丸藤正道が参戦。3月5日、新日本プロレス後楽園ホール大会に丸藤正道が参戦。4月4日、新日本プロレス後楽園ホール大会に丸藤正道が参戦。5月3日、新日本プロレス福岡国際センター大会に丸藤正道が参戦。5月8日、新日本プロレスJCBホール大会に丸藤正道が参戦。6月19日、新日本プロレス大阪府立体育会館第1競技場大会に丸藤正道が参戦。8月22日、プロレスリング・ノア有明コロシアム大会に金本浩二、タイガーマスク(4代目)が参戦。8月28日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に金本浩二、タイガーマスク(4代目)が参戦。11月23日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に金本浩二、タイガーマスク(4代目)が参戦。12月24日、プロレスリング・ノアディファ有明大会に金本浩二、タイガーマスク(4代目)が参戦。2011年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に杉浦貴、潮崎豪が参戦。8月27日、日本武道館で新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアによる合同興行「ALL TOGETHER 東日本大震災復興支援チャリティープロレス」を開催。8月30日、新日本プロレス後楽園ホール大会に秋山準が参戦。2012年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に丸藤正道、杉浦貴、潮崎豪が参戦。2月19日、仙台サンプラザホールで新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアによる合同興行「ALL TOGETHE〜もう一回、ひとつになろうぜ〜」を開催。新日本プロレスG1 CLIMAX22に丸藤正道が参戦。9月9日、新日本プロレス東金アリーナ大会に秋山準が参戦。9月17日、プロレスリング・ノア大阪府立体育会館第1競技場大会に永田裕志が参戦。11月3日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に天山広吉、小島聡が参戦。2013年1月19日、プロレスリング・ノア松山市総合コミュニティセンター大会に永田裕志、小島聡、渡辺高章が参戦。1月20日、プロレスリング・ノア博多スターレーン大会に永田裕志、小島聡、渡辺高章が参戦。1月22日、プロレスリング・ノア伊佐市体育センター大会に永田裕志、小島聡、渡辺高章が参戦。1月23日、プロレスリング・ノアサンアリーナせんだい大会に永田裕志、小島聡、渡辺高章が参戦。1月25日、プロレスリング・ノア宮崎市北部記念体育館大会に永田裕志、小島聡、渡辺高章が参戦。1月27日、プロレスリング・ノア大阪府立体育会館大会に永田裕志、小島聡、獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク(4代目)、渡辺高章が参戦。2月9日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に矢野通飯塚高史キャプテン・ニュージャパンが参戦。2月23日、プロレスリング・ノアディファ有明大会に矢野通、飯塚高史が参戦。2月24日、プロレスリング・ノアグリーンドーム前橋サブイベントエリア大会に矢野通、飯塚高史が参戦。3月10日、プロレスリング・ノア横浜文化体育館大会で矢野通&飯塚高史組が丸藤正道&杉浦貴組のGHCタッグ王座を獲得。4月14日、プロレスリング・ノア新潟市体育館大会に小島聡が参戦。5月12日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に矢野通、飯塚高史が参戦。6月1日、プロレスリング・ノア広島産業会館西展示館大会に矢野通、飯塚高史、高橋裕二郎が参戦。6月2日、プロレスリング・ノア博多スターレーン大会に飯塚高史、高橋裕二郎が参戦。6月2日、プロレスリング・ノア博多スターレーン大会に矢野通が参戦。6月3日、プロレスリング・ノア大分イベントホール大会に矢野通、飯塚高史、高橋裕二郎が参戦。6月8日、プロレスリング・ノアナスキーホール・梅田大会に矢野通、飯塚高史が参戦。6月23日、プロレスリング・ノア三条市厚生福祉会館大会に永田裕志が参戦。6月30日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に矢野通、飯塚高史、高橋裕二郎が参戦。7月7日、プロレスリング・ノア有明コロシアム大会に矢野通、飯塚高史が参戦。7月26日、プロレスリング・ノア新発田市カルチャーセンター大会に小島聡が参戦。7月28日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会で獣神サンダー・ライガー&タイガーマスク(4代目)組がGHCジュニアヘビー級タッグ王座を獲得。8月24日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に中邑真輔、獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク(4代目)が参戦。9月15日、プロレスリング・ノア佐世保市体育文化館大会に獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク(4代目)が参戦。9月16日、プロレスリング・ノア博多スターレーン大会に獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク(4代目)が参戦。9月22日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に永田裕志、獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク(4代目)、渡辺高章が参戦。10月5日、プロレスリング・ノア横浜文化体育館大会に中邑真輔、獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク(4代目)、YOSHI-HASHIが参戦。11月8日、プロレスリング・ノア新潟市体育館大会に獣神サンダーライガー、タイガーマスク(4代目)が参戦。11月27日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に永田裕志、獣神サンダーライガーが参戦。12月7日、プロレスリング・ノア有明コロシアム大会に永田裕志、獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク(4代目)が参戦。2014年1月3日、新日本プロレスディファ有明大会に原田大輔熊野準が参戦。1月19日、プロレスリング・ノア博多スターレーン大会に永田裕志、獣神サンダー・ライガーが参戦。1月20日、プロレスリング・ノアサンアリーナせんだい大会に永田裕志が参戦。1月22日、プロレスリング・ノア熊本市食品流通交流会館大会に永田裕志が参戦。プロレスリング・ノア大阪府立体育会館第2競技場大会に永田裕志、獣神サンダー・ライガーが参戦。2月8日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に永田裕志が参戦。2月22日、プロレスリング・ノアディファ有明大会に永田裕志が参戦。3月8日、プロレスリング・ノア有明コロシアム大会に永田裕志、内藤哲也、矢野通、飯塚高史、YOSHI-HASHI、獣神サンダー・ライガーが参戦。3月21日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に永田裕志、小島聡、獣神サンダー・ライガー、田中翔が参戦。4月20日、プロレスリング・ノア名古屋国際会議場大会に永田裕志が参戦。5月17日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に永田裕志が参戦。6月13日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に永田裕志が参戦。6月22日、プロレスリング・ノア大阪府立体育会館第2競技場大会に永田裕志、獣神サンダー・ライガーが参戦。7月5日、プロレスリング・ノア有明コロシアム大会に永田裕志が参戦。10月12日、プロレスリング・ノア横浜文化体育館大会に永田裕志、中西学、天山広吉、小島聡が参戦。11月24日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク(4代目)が参戦。12月6日、プロレスリング・ノア有明コロシアム大会に天山広吉、小島聡、獣神サンダー・ライガー、タイガーマスク(4代目)が参戦。12月27日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に永田裕志、天山広吉、小島聡が参戦。2015年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に丸藤正道、シェイン・ヘイストマイキー・ニコルスが参戦。1月10日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に小島聡が参戦。2月22日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に中西学、天山広吉、小松洋平が参戦。3月15日、プロレスリング・ノア有明コロシアム大会に中西学、天山広吉が参戦。7月18日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会〜8月5日、プロレスリング・ノアディファ有明大会まで中西学が参戦。10月4日、プロレスリング・ノア名古屋国際会議場大会に永田裕志、田中翔が参戦。10月16日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会〜11月8日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会まで小島聡が参戦。2016年5月20日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会〜7月16日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会まで矢野通が参戦。新日本プロレスG1 CLIMAX26に丸藤正道、中嶋勝彦が参戦。8月12日、新日本プロレス両国国技館大会に小峠篤司が参戦。8月14日、新日本プロレス両国国技館大会に潮崎豪、マイバッハ谷口マサ北宮が参戦。9月10日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会〜9月23日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会まで矢野通が参戦。10月8日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会で邪道&外道(28代目)組がGHCジュニアヘビー級タッグ王座を獲得。10月8日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会にオカダ・カズチカ、矢野通、YOSHI-HASHIが参戦。10月10日、新日本プロレス両国国技館大会に丸藤正道、潮崎豪、マイバッハ谷口、中嶋勝彦、マサ北宮が参戦。10月11日、プロレスリング・ノア千葉ポートアリーナ・サブアリーナ大会〜10月21日、プロレスリング・ノア銚子市体育館大会まで矢野通が参戦。新日本プロレス第5回SUPER Jr. TAG TOURNAMENT石森太二が参戦。10月22日、プロレスリング・ノアディファ有明大会に柴田勝頼真壁刀義本間朋晃ジュース・ロビンソン、矢野通、邪道、外道が参戦。10月23日、プロレスリング・ノア横浜文化体育館大会に柴田勝頼、真壁刀義、本間朋晃、矢野通、邪道、外道が参戦。11月3日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会〜11月23日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会まで矢野通が参戦。12月24日、プロレスリング・ノア後楽園ホール大会に邪道、外道が参戦。

プロレスリングZERO1

プロレスリングZERO-ONE→プロレスリングZERO1-MAX→プロレスリングZERO1

2001年3月2日、プロレスリングZERO-ONE両国国技館大会で開催された旗揚げ戦に永田裕志が参戦。2002年5月2日、新日本プロレス東京ドーム大会に橋本真也が参戦。2006年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に大谷晋二郎高岩竜一田中将斗佐藤耕平崔領二佐々木義人神風が参戦。6月24日、プロレスリングZERO1-MAXディファ有明大会に中西学が参戦。7月17日、新日本プロレス月寒ドーム大会に大森隆男が参戦。2007年9月9日、新日本プロレス東金アリーナ大会に大谷晋二郎が参戦。2008年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に高岩竜一、田中将斗が参戦。3月2日、プロレスリングZERO1-MAX後楽園ホール大会に中西学、金本浩二、田口隆祐、高橋裕二郎、内藤哲也、平澤光秀が参戦。3月2日、プロレスリングZERO1-MAX後楽園ホール大会に中邑真輔が参戦。3月25日、プロレスリングZERO1-MAX旭川地場産業振興センター大会に中西学、平澤光秀が参戦。3月26日、函館市民体育館大会に中西学、平澤光秀が参戦。3月29日、プロレスリングZERO1-MAX札幌テイセンホール大会に中西学、平澤光秀が参戦。4月29日、プロレスリングZERO1-MAX後楽園ホール大会に蝶野正洋が参戦。5月10日、プロレスリングZERO1-MAX大阪府立体育会館第2競技場大会に中西学、金本浩二、田口隆祐、高橋裕二郎が参戦。5月21日、プロレスリングZERO1-MAXZepp Fukuoka大会に中西学、金本浩二が参戦。5月25日、プロレスリングZERO1-MAX名古屋テレピアホール大会に中西学、金本浩二が参戦。5月29日、プロレスリングZERO1-MAX後楽園ホール大会に永田裕志、中西学、田中稔、高橋裕二郎、内藤哲也が参戦。8月、田中将斗がヒールユニット「CHAOS」のメンバーに加わり新日本プロレスに参戦。10月12日、プロレスリングZERO1-MAX栃木県総合文化センター大会に永田裕志、平澤光秀が参戦。10月13日、プロレスリングZERO1-MAX両国国技館大会に永田裕志が参戦。12月17日、プロレスリングZERO1-MAX新宿FACE大会に永田裕志が参戦。2009年1月1日、プロレスリングZERO1後楽園ホール大会に金本浩二が参戦。1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に田中将斗が参戦。2月27日、プロレスリングZERO1後楽園ホール大会に永田裕志が参戦。9月27日、新日本プロレス神戸ワールド記念ホール大会で邪道外道がプロレスリングZERO1の田中将斗とユニット「コンプリート・プレイヤーズ」を再結成。10月12日、新日本プロレス両国国技館大会に大谷晋二郎と田中将斗と佐藤耕平が参戦。2010年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に田中将斗が参戦。2011年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に田中将斗が参戦。5月26日、新日本プロレス後楽園ホール大会でプロレスリングZERO1の田中将斗と邪道と外道のユニット「コンプリート・プレイヤーズ」に高橋裕二郎がメンバーーに加わった。10月2日、プロレスリングZERO1靖国神社大会に天山広吉が参戦。10月3日、新日本プロレス後楽園ホール大会に大谷晋二郎が参戦。2012年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に田中将斗が参戦。2013年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に大谷晋二郎、田中将斗が参戦。2月3日、新日本プロレス後楽園ホール大会に田中将斗が参戦。5月3日、新日本プロレス福岡国際センター大会に田中将斗が参戦。7月20日、新日本プロレス秋田市立体育館大会に田中将斗が参戦。9月29日、新日本プロレス神戸ワールド記念ホール大会に田中将斗が参戦。11月9日、新日本プロレス大阪府立体育会館大会に田中将斗が参戦。

WRESTLE-1

2013年9月22日、WRESTLE-1石川県産業展示館3号館大会に中西学が参戦。10月6日、WRESTLE-1後楽園ホール大会に中西学が参戦。11月16日、WRESTLE-1後楽園ホール大会に小島聡が参戦。2014年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に武藤敬司の化身「グレート・ムタ」が参戦。1月31日、WRESTLE-1後楽園ホール大会に獣神サンダーライガーが参戦。3月2日、WRESTLE-1両国国技館大会に小島聡が参戦。

DDTプロレスリング

2002年6月7日、新日本プロレス日本武道館大会にポイズン澤田JULIE佐々木貴MIKAMI蛇影が参戦。2008年5月6日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。6月17日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガー、内藤哲也が参戦。2009年5月5日、新日本プロレス後楽園ホール大会に飯伏幸太が参戦。2010年3月14日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に真壁刀義が参戦。10月11日、新日本プロレス両国国技館大会に飯伏幸太、ケニー・オメガが参戦。10月12日、新日本プロレス両国国技館大会に飯伏幸太が参戦。11月14日、DDTプロレスリング大阪府立体育会館第2競技場大会に田口隆祐、プリンス・デヴィットが参戦。12月26日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に邪道、外道が参戦。2011年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に飯伏幸太が参戦。1月23日、新日本プロレス後楽園ホール大会に飯伏幸太、男色ディーノが参戦。6月18日、新日本プロレス大阪府立体育会館第1競技場大会に飯伏幸太が参戦。7月24日、DDTプロレスリング両国国技館大会にプリンス・デヴィットが参戦。8月1日、新日本プロレス福岡国際センター大会に飯伏幸太が参戦。8月14日、新日本プロレス両国国技館大会に飯伏幸太が参戦。2012年1月21日、新日本プロレス後楽園ホール大会に男色ディーノが参戦。7月29日、新日本プロレス後楽園ホール大会に飯伏幸太が参戦。8月18日、DDTプロレスリング日本武道館大会に真壁刀義が参戦。9月7日、新日本プロレス後楽園ホール大会に飯伏幸太が参戦。9月23日、新日本プロレス神戸ワールド記念ホール大会に飯伏幸太が参戦。10月8日、新日本プロレス両国国技館大会に飯伏幸太が参戦。12月23日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に天山広吉、小島聡が参戦。 2013年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に飯伏幸太が参戦。2月17日、DDTプロレスリング後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガー、高橋広夢が参戦。8月18日、DDTプロレスリング両国国技館大会にオカダ・カズチカが参戦。10月7日、DDTプロレスリングの飯伏幸太がDDTプロレスリングと新日本プロレスの2団体所属選手になることを発表。2014年8月17日、DDTプロレスリング両国国技館大会に棚橋弘至が参戦。10月3日、DDTプロレスリングのケニー・オメガが10月いっぱいで契約を終了して新日本プロレスに移籍することを発表。11月12日、DDTプロレスリング後楽園大会に真壁刀義が参戦。2015年6月20日、シンガポールで開催した新日本プロレスシンガポールエキスポ・ホール7大会に中澤マイケルが参戦。8月23日、DDTプロレスリング両国国技館大会に棚橋弘至が参戦。

みちのくプロレス

1993年3月16日、みちのくプロレス旗揚げ直後から獣神サンダー・ライガーと、みちのくプロレスのザ・グレート・サスケが良好な関係を築いている。みちのくプロレスのテリー・ボーイ学生プロレス出身であったために学生プロレスを嫌う風潮にあった新日本プロレスの一部選手から疎外されて袋叩きにされる事態があったが後にプロレスに対する姿勢を目の当たりにした大谷晋二郎が報道陣の前で土下座して詫びしたことでわだかまりは解けている。9月29日、みちのくプロレス青森県民体育館大会にエル・サムライと当初、獣神サンダー・ライガーが参戦予定だったが怪我をしたため代打で大谷晋二郎が参戦。1994年6月1日、新日本プロレス仙台市体育館大会にSATO獅龍、テリー・ボーイ、TAKAみちのくが参戦。1996年4月29日、新日本プロレス東京ドーム大会で「アメリカンドリームマッチ」として武藤敬司の化身「グレート・ムタ」対新崎人生の化身「白使」が実現してグレート・ムタが勝利。1997年5月3日、新日本プロレス大阪ドーム大会にザ・グレート・サスケ、スペル・デルフィンディック東郷MEN'Sテイオー中島半蔵グラン浜田が参戦。1999年1月8日、みちのくプロレス札幌中島体育センター大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。4月10日、新日本プロレス東京ドーム大会にザ・グレート・サスケが参戦。7月13日、新日本プロレス岩手県営体育館大会にザ・グレート・サスケが参戦。2001年2月18日、武藤敬司が結成したユニット「BATT」に新崎人生がメンバーに加わり新日本プロレスに参戦。4月9日、新日本プロレス大阪ドーム大会に新崎人生が参戦。7月20日、新日本プロレス札幌ドーム大会に新崎人生が参戦。8月19日、みちのくプロレスニューワールド仙台大会に武藤敬司、ヒロ斎藤、後藤達俊が参戦して武藤敬司が化身「黒使無双」になって新崎人生の化身「白使」と初タッグを結成。2002年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会にザ・グレート・サスケ、タイガーマスク(4代目)が参戦。2002年2月、みちのくプロレスのタイガーマスク(4代目)が新日本プロレスのシリーズに1年間帯同。12月16日、新日本プロレスのシリーズに1年間帯同していたタイガーマスク(4代目)が新日本プロレスに円満移籍。2003年9月23日、みちのくプロレス安比高原スキー場大会に獣神サンダー・ライガー、金本浩二、タイガーマスク(4代目)が参戦。2004年2月22日、みちのくプロレス後楽園ホール大会に井上亘が参戦。2005年8月28日、みちのくプロレスニューワールド仙台大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2006年9月30日、みちのくプロレス新宿FACE大会にタイガーマスク(4代目)が参戦。2007年1月13日、みちのくプロレス矢巾町民総合体育館大会にタイガーマスク(4代目)が参戦。3月26日、みちのくプロレス熊本興南会館に天山広吉が参戦。6月14日、みちのくプロレス阿南市スポーツ総合センター サブアリーナ大会にタイガーマスク(4代目)が参戦。2008年6月20日、みちのくプロレス後楽園ホール大会にタイガーマスク(4代目)が参戦。2009年12月12日、みちのくプロレス後楽園ホール大会「宇宙大戦争」に獣神サンダー・ライガーが参戦。2011年12月14日、新日本プロレス後楽園ホール大会にザ・グレート・サスケが参戦。2012年6月24日、みちのくプロレス滝沢村大釜幼稚園体育館大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2013年11月4日、みちのくプロレス岩手県営体育館大会にタイガーマスク(4代目)が参戦。

大阪プロレス

2000年10月9日、新日本プロレス東京ドーム大会にスペル・デルフィンが参戦。2000年12月14日、新日本プロレス大阪府立体育館大会にスペル・デルフィン、村浜武洋ツバサが参戦。2001年1月7日、大阪プロレス大阪臨海スポーツセンター大会に獣神サンダー・ライガー、エル・サムライが参戦。2月11日、新日本プロレス舞洲アリーナ大会にスペル・デルフィン、村浜武洋、ツバサが参戦。4月20日、新日本プロレス後楽園ホール大会に村浜武洋が参戦。5月29日、大阪プロレス後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガー、エル・サムライが参戦。2002年8月8日、新日本プロレス広島グリーンアリーナ大会にスペル・デルフィン、ビリーケン・キッドタイガースマスクえべっさん(初代)、くいしんぼう仮面が参戦。8月29日、新日本プロレス日本武道館大会に村浜武洋が参戦。11月12日、大阪プロレス後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2003年2月1日、大阪プロレス大阪城ホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。3月21日、新日本プロレス国立代々木競技場第2体育館大会にビリーケン・キッド、Gammaが参戦。4月28日、新日本プロレス博多スターレーン大会に村浜武洋、タイガースマスク、えべっさん(初代)が参戦。6月2日、大阪プロレス後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。6月10日、新日本プロレス大阪府立体育館大会に、えべっさん(初代)が参戦。6月13日、新日本プロレス日本武道館大会に村浜武洋が参戦。8月13日、大阪プロレス松下IMPホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。11月24日、大阪プロレス後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。11月25日、大阪プロレスキラメッセぬまづ大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。12月6日、大阪プロレスデルフィンアリーナ大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。4月2日、大阪プロレス国立代々木競技場第2体育大会に獣神サンダーライガー、金本浩二、ヒート、井上亘が参戦。4月17日、大阪プロレス松下IMPホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2006年9月16日、大阪プロレス松下IMPホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2008年9月19日、新日本プロレス鳥取産業体育館大会にブラックバファローが参戦。2009年11月27日、新日本プロレス鳥取産業体育館大会にブラックバファローが参戦。2010年11月26日、新日本プロレス鳥取産業体育館大会にブラックバファローが参戦。2011年11月23日、新日本プロレス鳥取産業体育館大会にブラックバファローが参戦。2012年9月30日、大阪プロレス松下IMPホール大会に永田裕志が参戦。

DRAGON GATE

闘龍門→闘龍門JAPAN→DRAGON GATE

2006年11月23日、DRAGON GATE大阪府立体育館第1競技場大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2007年1月7日、新日本プロレス後楽園ホール大会に望月成晃ドン・フジイが参戦。1月8日、新日本プロレス後楽園ホール大会にB×Bハルクが参戦。2月23日、DRAGON GATE後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガー、邪道、外道が参戦。3月4日、DRAGON GATE名古屋国際会議場大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。3月25日、DRAGON GATE津市体育館大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。4月17日、DRAGON GATE後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。6月5日、DRAGON GATE後楽園ホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。7月1日、DRAGON GATE神戸ワールド記念ホール大会に永田裕志が参戦。2008年7月12日、DRAGON GATE新潟市体育館大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。8月26日、新日本プロレス後楽園ホール大会に望月成晃、ドン・フジイが参戦。12月28日、DRAGON GATE福岡国際センター大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2009年1月23日、DRAGON GATE後楽園ホール大会に金本浩二が参戦。2月12日、DRAGON GATE後楽園ホール大会に金本浩二が参戦。3月5日、DRAGON GATE後楽園ホール大会に金本浩二が参戦。3月22日、DRAGON GATE両国国技館大会に金本浩二が参戦。5月3日、新日本プロレス福岡国際センター大会にDRAGON GATEのCIMAが参戦。2012年9月9日、新日本プロレス東金アリーナ大会に望月成晃が参戦。12月2日、DRAGON GATE名古屋国際会議場大会に永田裕志が参戦。2013年8月25日、DRAGON GATEなら100年会館大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。

KAIENTAI DOJO

2002年8月、筑前りょう太が覆面レスラー「魔界2号」としてユニット「魔界倶楽部」のメンバーに加わり新日本プロレスに参戦。8月29日、新日本プロレス日本武道館大会にHi69が参戦。9月30日、KAIENTAI DOJO後楽園ホール大会に真壁伸也が参戦。2007年5月2日、新日本プロレス後楽園ホール大会にTAKAみちのくが参戦。2008年5月3日、KAIENTAI DOJO千葉Blue Field大会に田口隆祐が参戦。2011年1月4日、フリーの小島聡がタイチ、KAIENTAI DOJOのTAKAみちのく、東京愚連隊NOSAWA論外とユニット「小島軍(仮)」を結成。2011年5月3日、タイチとKAIENTAI DOJOのTAKAみちのくがパンクラスMISSION鈴木みのると結託して小島軍(仮)のリーダーだった小島聡に半旗を振り返して鈴木軍としてユニットを乗っ取る形で小島聡を追放。4月17日、KAIENTAI DOJO後楽園ホール大会に田口隆祐、プリンス・デヴィットが参戦。2012年9月7日、真霜拳號がユニット「鈴木軍」のメンバーに加わり新日本プロレスに参戦。2013年8月24日、KAIENTAI DOJO熊本市流通情報会館大会に高橋裕二郎が参戦。

WNC

SMASH→WNC

2010年5月29日、SMASH新宿FACE大会にプリンス・デヴィットが参戦。7月24日、SMASH新宿FACE大会の昼の部に三上恭佑と夜の部に内藤哲也が参戦。11月22日、SMASHJCBホール大会に獣神サンダー・ライガーが参戦。2011年3月8日、SMASHのKUSHIDAが新日本プロレスに移籍することを発表。6月9日、SMASH後楽園ホール大会に飯塚高史が参戦。5月24日、WNC後楽園ホール大会で開催された旗揚げ戦に矢野通、邪道、外道が参戦。2013年5月18日、WNC八王子市民体育館大会に高橋広夢が参戦。

女子プロレス団体

JWP女子プロレス山本小鉄をコーチとして招いていた関係上、新日本プロレスでJWP女子プロレス提供試合が行われた。新日本プロレスで活動していたユニット「魔界倶楽部」がユニット「魔界魔女軍団」として全日本女子プロレスに勢力を拡大していた時期に全日本女子プロレスの興行で新日本プロレスの選手を交えた男女混合試合が行われた。1990年9月1日と2日、北朝鮮で行われた新日本プロレス綾羅島メーデー・スタジアム大会「平和のための平壌国際体育・文化祝典」の全日本女子プロレス提供試合に豊田真奈美ブル中野北斗晶吉田万里子が参戦。2002年5月2日、東京ドーム大会で開催した新日本プロレス創立30周年記念大会の全日本女子プロレス提供試合に豊田真奈美、堀田祐美子伊藤薫中西百重が参戦。2002年6月7日、新日本プロレス日本武道館大会のアルシオン提供試合にライオネス飛鳥、吉田万里子、GAMI玉田凛映大向美智子noki-A藤田愛Baby-AバイオニックJファビー・アパッチェが参戦。

日本IBF

1986年6月、新興プロボクシング世界王座認定機関「IBF」会長のロバート・リーの立会いの下で新日本プロレスと日本IBFが業務提携を結んだことを発表。1987年4月28日、新日本プロレス愛知県体育館大会でレオン・スピンクスを招へいしてIBF中部日本協会創立3周年記念大会を開催。王者のレオン・スピンクス対挑戦者のジェフ・ジョーダンによるWBC全米大陸ヘビー級タイトルマッチが行われてレオン・スピンクスが2-1の判定で防衛。同大会でアントニオ猪木によるエキシビションマッチが行われた。

主な興行

新日本プロレスの基本的な興行パターンは、「ビッグマッチ」となる規模の大きい興行を設定し、これに向けた前哨戦の興行を "Road to (ビッグマッチの興行名)" の興行名で数回開催していく方式を採っている。例としてビッグマッチが「THE NEW BEGINNING」の場合、前哨戦の興行は「Road to THE NEW BEGINNING」となる。これら前哨戦とビッグマッチを合わせて1つの「シリーズ」とし、アングル展開を前哨戦シリーズで進めながらビッグマッチで締める形となる。

一方、トーナメント戦やリーグ戦の場合はRoad toの概念が無く、予選が行われる興行を数回開催した上で優勝決定戦を締めの興行として開催し、これをもって1つのシリーズとなる。

また、ビッグマッチの合間に単発興行や短期シリーズが行われる場合もある。これらは「NEW JAPAN ROAD」、「NEW JAPAN ALIVE」、「KIZUNA ROAD」と名付けられている。

大会名 主な会場 備考
1月 WRESTLE KINGDOM 東京ドーム 翌日に「NEW YEAR DASH!!」が開催される
2月 THE NEW BEGINNING 大阪府立体育会館仙台サンプラザホール北海きたえーる 2014年以降は2会場による複数日程で開催
3月 旗揚げ記念日 大田区総合体育館 NEW JAPAN CUPに統合される場合あり
NEW JAPAN CUP 後楽園ホール、大田区総合体育館、広島サンプラザホール シングルマッチのトーナメント戦
優勝者に副賞としてIWGPヘビー級王座IWGPインターコンチネンタル王座NEVER無差別級王座のいずれかへの挑戦権が与えられる
4月 SAKURA GENESIS 両国国技館 NEW JAPAN CUP優勝者によるタイトル戦あり
5月 レスリングどんたく 福岡国際センター シリーズに付随する形で「レスリング火の国」が開催される
BEST OF THE SUPER Jr. 後楽園ホール、国立代々木競技場、大阪府立体育会館 ジュニアヘビー級のシングルマッチリーグ戦
6月
DOMINION 大阪城ホール
7月 G1 CLIMAX 北海きたえーる、福岡国際センター、広島グリーンアリーナ、大阪府立体育会館、横浜文化体育館、後楽園ホール
優勝決定戦:両国国技館、西武ドーム日本武道館
シングルリーグ戦
優勝者に副賞として「WRESTLE KINGDOM」でのIWGPヘビー王座挑戦権利書が与えられる
8月
9月 DESTRUCTION 神戸ワールド記念ホール、広島サンプラザホール 2014年以降は複数会場による複数日程で開催
2015年までは2会場、2016年以降は3会場
10月 KING OF PRO-WRESTLING 両国国技館
11月 POWER STRUGGLE 大阪府立体育会館 シリーズ中にSUPER Jr. TAG TOURNAMENT(ジュニアヘビー級のタッグトーナメント戦)が行われる
12月 WORLD TAG LEAGUE 後楽園ホール、愛知県体育館、仙台サンプラザホール ヘビー級のタッグリーグ戦

歴代社長

歴代 氏名 在職期間 備考
初代 猪木寛至 1972年1月 - 1989年7月 1983年8月から10月は社長から降格
2代目 坂口征二 1989年7月 - 1999年6月
3代目 藤波辰巳 1999年6月 - 2004年6月
4代目 草間政一 2004年6月 - 2005年5月
5代目 サイモン・ケリー猪木 2005年5月 - 2007年3月
6代目 菅林直樹 2007年4月 - 2013年9月 2013年9月から会長に就任
7代目 手塚要 2013年9月 - 2016年2月
8代目 原田克彦 2016年2月 - 2018年5月
9代目 ハロルド・ジョージ・メイ[5][6] 2018年6月 -

タイトルホルダー

新日本プロレスが管理する王座
タイトル 保持者 歴代 防衛回数 次期挑戦者
IWGPヘビー級王座 ケニー・オメガ 第66代 1 石井智宏
IWGPインターコンチネンタル王座 クリス・ジェリコ 第19代
IWGP USヘビー級王座 ジュース・ロビンソン 第3代 Cody
IWGPタッグ王座 マット・ジャクソン
ニック・ジャクソン
第80代 1 タマ・トンガ
タンガ・ロア
IWGPジュニアヘビー級王座 空位 第82代
IWGPジュニアタッグ王座 金丸義信
エル・デスペラード
第57代 3
NEVER無差別級王座 後藤洋央紀 第19代 1 タイチ
NEVER無差別級6人タッグ王座 タマ・トンガ
タンガ・ロア
石森太二
第18代 ジュース・ロビンソン
デビッド・フィンレー
田口隆祐
新日本プロレスが開催するトーナメント戦、リーグ戦
タイトル 覇者 年代
NEW JAPAN CUP ザック・セイバーJr. 2018年
BEST OF THE SUPER Jr. 高橋ヒロム 2018年
G1 CLIMAX 棚橋弘至 2018年
SUPER Jr. TAG TOURNAMENT YOH
SHO
2017年
WORLD TAG LEAGUE EVIL
SANADA
2017年

所属選手、主要参戦選手

故障者については12pxマーク、スポット参戦の選手は8pxマーク、海外遠征中の選手は12pxマークを参照

正規軍

ヘビー級

ジュニアヘビー級

ヤングライオン

CHAOS

鈴木軍

BULLET CLUB

BULLET CLUB ELITE

BULLET CLUB OG

LOS INGOBERNABLES de JAPON

派生ユニット&タッグチーム

スタッフ

レフェリー

リングアナウンサー

リングドクター

メディカルトレーナー

インターナショナルコーディネーター

IWGP実行委員会

過去の所属選手

プロレスラー

総合格闘家

練習生

過去のスタッフ、役員

故人

プロレスラー

練習生

スタッフ、役員

  • 倍賞鉄夫(1972年 - 2005年→猪木事務所→2017年死去)(営業部、リングアナウンサー、部長、常務、取締役副社長)
  • 太武経(1986年 - 2001年死去)(野毛道場管理人)
  • ミスター・ヒト(日本プロレス→フリー→1981年 - 1984年→フリー→2010年死去)(カルガリーでブッカー、トレーナー)
  • ユセフ・トルコ(日本プロレス→1968年引退→1972年レフェリー転向 - 1974年→フリー→2013年死去)(レフェリー)
  • 吉原功(日本プロレス→国際プロレス→1984年 - 1985年死去)(顧問)

フリー、他団体参戦選手

プロレスラー

女子プロレスラー

来日外国人選手

プロレスラー

女子プロレスラー

格闘家

来日外国人関係者

レフェリー

リングアナウンサー

マネージャー

プロモーター

歴代ユニット

歴代タッグチーム

NJPWグレーテストレスラーズ

2007年3月6日、新日本プロレスが創立35周年を期に創設して功労者(引退した選手のみ)を表彰する制度。

2007年
2009年
2010年
2011年
  • ドン荒川(表彰時点で正式に引退していない)

テーマ曲

試合開始直前に試合会場で流される。テレビ朝日の番組「ワールドプロレスリング」のオープニング曲でもある。

マスコットキャラクター

新日本プロレスのロゴマークであるライオンマークがモチーフのキャラクター。

オフィシャルショップ

新日本プロレスのオフィシャルグッズ販売店。インターネットでも購入できる。

オフィシャル動画サイト

新日本プロレスとテレビ朝日が共同で運営するインターネットテレビ局。

試合中継

放送中の番組
終了した番組

関連番組

放送中の番組
終了した番組

主なマット広告スポンサー

新日本プロレスは日本のプロレス団体、日本の格闘技団体としては先駆けてスポンサーを多数付けて、その収入で賄う方法をとっている。

脚注

関連項目

興行
リーグ戦、トーナメント戦
王座

外部リンク

テンプレート:新日本プロレス テンプレート:ブシロード テンプレート:アミューズ