日本触媒

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ファイル:Nihon Shokubai Kawasaki.jpg
1959年に開設された川崎製造所千鳥工場

株式会社 日本触媒(にっぽんしょくばい、英称:Nippon Shokubai Co., Ltd.)は、大阪市中央区高麗橋と東京都千代田区内幸町に本社を置く化学品製造企業である。1941年創業。

概要

日本触媒の前身となったのは1926年(大正15年)に納五平が設立した「ヲサメ硫酸工業事務所」であり、1938年(昭和13年)に「ヲサメ硫酸工業株式會社」と改め、そして1941年(昭和16年)に現在の大阪市生野区桃谷にて「ヲサメ合成化學工業株式會社」として設立された[1]。日本触媒では「ヲサメ合成化學工業株式會社」設立の年を創業の年としている[1]

設立当初からまだ知名度が低かったバナジウム触媒を目指すなど、当時としては珍しい企業でもあった。

1935年(昭和10年)にヲサメ硫酸工業事務所に研究者として入社していた八谷泰造が、第二次世界大戦後に2代目の社長となり1949年(昭和24年)に日本触媒化学工業株式会社に社名を改称[1]。この先の石油化学工業の飛躍的発展を見越して、当時富士製鐵(後の新日本製鐵、現:新日鐵住金)の社長だった永野重雄からの出資に成功すると、酸化エチレンアクリル樹脂ポリエステルなどの開発事業で成功をおさめるとともに、この酸化エチレンやアクリル樹脂などの事業が、現在に至るまで同社の事業の根幹を支え続けている。また高吸水性樹脂の分野でも、世界トップシェアを持っている。

TechnoAmenityをグループの企業理念として掲げている。テクノロジー(技術)でアメニティー(快適さ)を人々に提供していこうという意味である。

大輪会の会員企業である[2]

事業所

沿革

  • 1926年 - ヲサメ硫酸工業事務所(実質上の創業社)設立[1]
  • 1941年 - ヲサメ合成化學工業株式會社設立。
  • 1949年 - 社名を日本触媒化学工業株式会社に改称。
  • 1970年 - プロピレン酸化法によるアクリル酸、アクリル酸エステルを日本で初めて工業化。
  • 1974年 - 自動車触媒製造開始。
  • 1985年 - 高吸水性樹脂本格製造開始。
  • 1991年 - 社名を株式会社 日本触媒に改称。
  • 1997年 - ダイオキシン類分解触媒製造開始。

製品

主な取扱商品はアクリル酸と高吸水性樹脂。

  • 世界のアクリル酸製造能力の55%のシェアを持つが、自社のアクリル酸の世界シェアは15%で世界3位である。このギャップはどこから生まれてくるかというと、この会社では世界の化学メーカーにライセンシングを行っており、その全ての製造能力を合計するとこのような数値となる。
  • 高吸水性樹脂においては世界シェア25%(世界第1位)を取得しており、単純に言い換えると世界中の紙おむつの吸水ポリマーの4分の1はこの会社で製造されたものである。またこの吸収剤は体積の1000倍の水を吸収保持する特性があることから、砂漠にポリマーを埋めて吸水させて植物を植え、砂漠の緑化を行うプロジェクトが計画されている。
  • この会社の名前にある「触媒」が示すとおりダイオキシン分解触媒や自動車排気ガスの排煙触媒の製造も行っている。この会社では触媒となる化学品の製造を行っており、それが適用されるフィルターは製造していない。この触媒付フィルターの中に排煙を通すことで、内部での化学反応が促進され、汚染物質が除去されるという仕組みである。

CM

事故

  • 1976年3月、日本触媒化学工業姫路工場(当時の名称)でアクリル酸エステルを入れていたタンクが爆発し、生産設備を全面停止した[3][4]
  • 2012年9月29日、姫路製造所で化学薬品(アクリル酸)のタンクが爆発し、これが発端となって大規模な火災が発生。これにより、姫路市消防局網干消防署の消防士1人が死亡し、同製造所従業員や兵庫県警網干署員ら計36人も火傷などの重軽傷を負った[5]。この事故を受けて姫路製造所の製品生産設備は使用停止命令が出された。同年11月にまず非危険品の自動車触媒から生産を再開。12月以降、アクリル酸を使用しない製品について順次生産を再開した[6]

提供番組

過去の提供番組

関連書籍

脚注・出典

関連項目

外部リンク