東アジアの奇跡

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東アジアの奇跡(ひがしアジアのきせき)とは、1993年世界銀行が発表したレポート『東アジアの奇跡-経済成長と政府の役割』(EAST ASIA MIRACLE:Economic Growth and Public Policy、A World Bank Research Report)をさす。日本では以前、東洋の奇跡(とうようのきせき)と呼ばれていた。

内容は、1965年から1997年までに東アジア(東南アジアを含む)の国々が急速な経済成長を遂げた現象の分析である。本稿では、その内容の概説を示す。

概要

第二次世界大戦以後の世界経済において20年間程度の短期間に急速に経済成長した国々が幾つかあるが、このうち東アジアの23カ国は1965年から1991年の間に一人当たりのGNPが5.5%と南アジア地域、中東、地中海地域、サハラ以南のアフリカOECD諸国、ラテンアメリカカリブ海地域などと比べ格段に成長を遂げた。

世界銀行では東アジアの国々のなかで日本と、アジアNIEs4カ国(韓国台湾香港特別行政区シンガポール)と、ASEANのうち3カ国(インドネシアマレーシアタイ王国)の、以上8カ国をHPAEs(High-Performing Asia Economics)として取り上げ、そのうち日本とアジアNIEs4カ国を高度成長と不平等の減少を同時に成し遂げた最も公平な国々としている。またアジアNIEs4カ国のことを特に「アジア四小龍」「4匹の虎」などと呼ぶ場合もある。

また、この地域の急激な成長により個人のGDPも増加しその値が旧共産圏の東ヨーロッパ諸国並みとなる。その後も成長の可能性を示す数値や市場の動向もあり、東ヨーロッパ諸国のエリート層がショックを受け後の東欧革命の遠因の一つになったとされている。

成長の要因

成長の要因として、基礎的条件整備をしたことが主因であり、国内投資と人的資本の伸びが経済成長の大きなエンジンとなった。高水準の貯蓄率が国内投資を支えた。

銀行制度の安定

初等、中等教育の整備

農業生産の効率化

「東アジアの奇跡」の終わり

世界銀行が「東アジアの奇跡」を発表した1993年から4年後の1997年アジア通貨危機が発生し、東アジア諸国はそれまでの成長路線の修正を余儀なくされた。この年の成長率はタイをはじめとした東南アジア諸国、韓国などでマイナスとなり、日本、アメリカなどの先進国にも多大な影響を与えた。2000年代に入ると、中国を筆頭に再び高度成長を達成する国が現れる一方、日本のように低成長が続く国などもあり、二極化が進んでいる。

参考文献

  • 『東アジアの奇跡』(世界銀行著、白鳥正喜監訳、海外経済協力基金、開発経済問題研究会訳、1993年、東洋経済新報社)ISBN 4-492-44166-2

関連項目