東洋電機製造

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東洋電機製造株式会社(とうようでんきせいぞう、: TOYO DENKI SEIZO K.K.)は、鉄道車両電気機器産業生産設備をはじめとする電気機械などの生産を行う企業である。通称、「東洋電機」と呼ばれるが、同名の他社と区別するために「東洋電製」と呼ばれることもある。東京証券取引所第1部上場(証券コード:6505)。

同社は半導体製造部門を持たない重電機器メーカーのためGTOサイリスタIGBTダイオードなどの主要電力半導体は同業他社より供給を受けている。ただし、1980年代まではサイリスタを自社製作、その後もSIサイリスタの商品化研究を行っていたが、1998年限りで半導体事業からは撤退した。

鉄道車両下部の機器収納箱やパンタグラフ基部などに「Toyo Denki」と書かれた同社の現ロゴや「T」「D」「K」の三文字をあしらった旧ロゴ(現ロゴ「Toyo Denki」と併用している)をしばしば見ることができる。

みどり会の会員企業である。

愛知県東洋電機や、兵庫県丹波市で電車用機器を製造する三菱電機系列の東洋電機は、資本・人材を含めて一切の関連を持っていない。

事業所

鉄道車両用機器の製品例

沿革

ファイル:TDK-DB1-Direct-Controller-500.jpg
創業初期から生産していたDB1形直接制御器、Dick Kerr Systemの表記がある

それまで外国製品の輸入に頼っていた鉄道車両用電気機器の国産化を目指し、石川島造船所(現・IHI)の社長で京阪電気鉄道の役員であった渡邊嘉一が中心となり設立、イギリスのデッカー社(1920年にイングリッシュ・エレクトリック[1]に改称、GECを経て現在のアルストム)との技術提携により生産を開始した[2]。 会社設立の背景には、第一次世界大戦によるヨーロッパを中心とする輸入製品の不足、大戦による好景気があった。

この時点で、芝浦製作所はすでにGEと提携関係にあり[3][4]1921年(大正10年)には三菱電機が創立、1923年(大正12年)に三菱電機とウェスチングハウス・エレクトリックの技術提携が成立し、鉄道車両用電機品の分野でも、自主開発を貫く日立製作所を含め、4社による激しい受注競争が繰り広げられることとなった。

主な納入先

日本国内

大手私鉄16社すべてと取り引きがある。さらに集電装置は、いわゆる新性能電車の登場とともにほぼ独占状態である。

世界各国

国内連結子会社

競合他社

  • 三菱電機 - 民鉄電機品分野で市場を分け合っている。
  • 東芝
  • 日立製作所 - 2010年、国外向け鉄道車両用電機品事業に関する業務・資本提携。
  • 富士電機 - 2009年に、国外鉄道車両用電機品事業で提携した。当社は、後に上記日立との関係を新たに構築し、分野が重複しているが、富士電機がアメリカで受注した鉄道車両用電機品の製造を当社の現地法人と連携して生産するなど、提携関係は継続している[2]
  • シーメンス
  • ナブテスコ - 戸閉め装置分野(旧日本エアーブレーキ)および駆動装置分野(旧帝人製機)で市場を分け合っている。
  • 工進精工所 - 日本国内の集電装置分野において、同業他社が事業縮小、撤退する中で市場を二分している。

不祥事

東洋電機カラーテレビ事件

1961年、安価なカラーテレビの開発を発表(実際は架空の開発だった)し、その後の株主総会総会屋に協力を依頼した事件。

参照: 東洋電機カラーテレビ事件

取引先からの架空発注問題

東洋電機製造と取引のある鉄道部品販売会社「エヌ・ケイカンパニー」が、シムやこれを成型加工するための金型など鉄道部品などの架空発注を行って裏金を作り、大半を還流させていたことが、2013年8月19日に一部マスコミの報道により判明。また、その一部が東洋電機製造社員に渡った疑いも持たれた[11][12]。東洋電機製造では内部調査を実施し、その後同年11月14日に、東洋電機製造では社内調査結果を公表したうえで、エヌ・ケイカンパニーとの取引を中止するとともに、東洋電機製造の社内の担当者を、管理責任を問う形で処分することとした[13][14]

新工場建設

かつて同社は、発祥の神奈川県に相模工場・横浜工場、京都府に京都工場の3拠点を有していた。バブル後は相模と京都を閉鎖し、一部を滋賀守山に残して、横浜製作所との2拠点となった。横浜製作所の竣工から約30年が経過し、2017年2月10日に「滋賀竜王製作所」の建設を発表した。

同社は2000年代に入って中国や米国などへの海外展開を強化しており、中国では合弁を中心に、米国では独自に製造拠点を配置しているが、今回は国内での設備投資となる。約70億円を投資し、産業事業の開発・設計・製造を一体化、創立100周年の2018年6月に全面稼動を計画する。

脚注

  1. 「英国電気会社」と書かれる場合もある。
  2. 2.0 2.1 東洋電機五十年史 p 4
  3. 芝浦製作所とGEの技術提携は1909年(明治42年)に成立。
  4. 電気鉄道技術発達史 pp.537 - 540
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 東洋電機五十年史 pp. 9 - 12
  6. 契約時に10万円、各製品の工場渡し仕切り値に対して数%の実施料をデッカー社に支払う契約であった。また、製造する電気機器については、見やすい位置に "Dick Kerr System" の表記を行うこととされた。
  7. 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 7.5 7.6 7.7 東洋電機技報 109号
  8. 東洋電機技報 108号 p5
  9. 電気機関車では電機メーカーが主契約者となり、車両メーカーと組んで完成車を納入するのが通例であった。
  10. 日本電産株式会社による資本・業務提携提案に対する当社労働組合からの反対意思表明文受領のお知らせ (PDF)”. 東洋電機製造 (2008年12月8日). 2017年6月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2017年6月23日閲覧.[1]
  11. 架空発注:三重・伊勢の業者、新幹線部品を 別工法で裏金 毎日新聞 2013年8月19日
  12. 本日の新聞報道について 東洋電機製造ニュースリリース 2013年8月19日
  13. エヌ・ケイカンパニー部品架空受発注:製造されぬ金型24個に代金払う 毎日新聞 2013年11月14日
  14. 毎日新聞報道(平成25年8月19日付け)に関する社内調査結果と改善施策について 東洋電機製造ニュースリリース 2013年8月19日

参考文献

  • 東洋電機製造株式会社五十年史刊行委員会編 『東洋電機五十年史』 東洋電機製造、1969年。
  • 鉄道電化協会 『電気鉄道技術発達史-電気鉄道一万五千キロ突破記念-』 鉄道電化協会、1983-12。
  • 小野寺正之・新井博之「日本におけるパンタグラフの歴史と東洋電機」、『東洋電機技報』第108号、2001年9月
  • 「東洋電機技術年史」、『東洋電機技報』第109号、2003年11月

関連項目

外部リンク