横浜ピジン日本語

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横浜ピジン日本語(よこはまピジンにほんご、英語:Yokohama Pidgin Japanese, Yokohamese,Japanese Ports Lingo) は、日本語をベースとしたピジン言語であり、横浜市において19世紀後半に外国人と日本人との会話に用いられた。

横浜ピジン日本語についての情報のほとんどは、1879年にen: Hoffman Atkinsonによって出版されたExercises in the Yokohama Dialectというパンフレットに依っている。

詳細

横浜ピジン日本語[1]は、中国語英語と日本語の合成であり、横浜市に居住していた英語圏の人々や中国語圏の人々が上層言語である日本語を話す必要があったことから発生した。

日本語が上手でなかった英語圏の人々や中国語圏の人々は日本語を中間言語的に使用し、また、その人たちと会話する日本人は自らの語る日本語をフォリナートーク(対外国人言語行動)として語った。そのような形の中間言語が、最終的に、英語圏の人々と中国語圏の人々という第三者である外国人同士が会話で使用することにより、日本語としての間違いが修正されることなく固定化することによってピジンが形成された。

例文: ワタクシ テンポ ハイキン ナイ ナガイ トキ (私は長い間天保を拝見していない。I have not seen a tempo for a long time.)

この言語は日本人からは、「外国人の話す日本語」として認識されていたが、時代を経て「中国人の話す日本語」というイメージが固定し、中国人をステレオタイプ的に描写する表現(役割語#アルヨことばを参照)に変化したとされる[2]

参考

脚注

  1. 放送大学「日本語からたどる文化 第12回」放送大学 2011年
  2. 蜂矢真郷他「文献に現れた述語形式と国語史の不整合性について」(リンク先にある金水敏「<アルヨことば>その後」を参照)

関連項目