正力松太郎

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正力 松太郎(しょうりき まつたろう、1885年(明治18年)4月11日1969年昭和44年)10月9日

読売新聞社や日本テレビ放送網などの経営者,政治家。東京大学法学部卒業後,1913年警視庁に入った。 18年夏の米騒動の鎮圧に手腕を発揮し,以後普選運動,労働運動など公安事件を取締った。なかでも 23年6月の第1次共産党事件は有名。同年 12月 27日の虎ノ門事件の責任で懲戒免官になり,『読売新聞』の経営を引受け,24年社長に就任,同社の再建と拡大に努めた。 34年職業野球団である大日本東京野球倶楽部 (読売ジャイアンツの前身) を創設。第2次世界大戦後の 45年 12月,第1次読売争議の最中に戦犯に指定され,巣鴨拘置所に収容され,社長を辞任。

47年9月に釈放されてからは社長に復帰するとともに,日本テレビ放送網の設立に努力。 55年には富山県から衆議院議員に立候補して当選,鳩山・岸内閣で国務大臣をつとめた。



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