滋賀郡

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ファイル:Shiga Shiga-gun.png
滋賀県滋賀郡の位置(黄:明治期 薄黄:後に他郡に編入された区域)

滋賀郡(しがぐん)は、滋賀県近江国)にあった

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

歴史

郡名の由来

諸説があり、「石の多いところ」を意味する「シカ(石処)」に由来するという説や、砂州または低湿地を意味する「スカ(砂処)」に由来するという説がある。他地域の「シガ」という地名も石の多いところを指していることが多いことから、滋賀は「石の多いところ」を意味する「シカ(石処)」に由来するという説が有力と考えられている。

砂州または低湿地を意味する「スカ(砂処)」に由来するという説は、琵琶湖沿岸の低湿地を指しているとされるが、滋賀県以外の全国各地の「シガ」の地名で「スカ」から転じたと考えられるものはなく、滋賀だけが特別な例となるために考えがたいという意見もある。

近世以降の沿革

  • 慶応4年
  • 明治元年12月22日1869年2月3日) - 寺社領のうち滋賀院領が大津県の管轄となる。
  • 明治2年12月26日(1869年11月24日) - 狭山藩が廃藩。管轄地域が大津県の管轄となる。
  • 明治3年
    • 2月 - 旗本領・狭山藩領[17]が大津県の管轄となる。
    • 陸奥山形藩坂田郡への転封にともなう膳所藩の領地替えにより、上表の【 】内の大津県の管轄地域が膳所藩領となる。
  • 明治4年
  • 明治5年1月19日(1872年2月27日) - 大津県が改称して滋賀県となる。
  • 明治初年 - 五別所村が改称して別所村となる。
  • 明治6年(1873年) - 木ノ下村・西ノ庄村が合併して錦村となる。(2町89村)
  • 明治7年(1874年)(2町79村)
    • 山上村の一部が分立して漣村となる。
    • 高畑村・上坂本村が合併して坂本村となる。
    • 辻下村・平尾村・下仰木村・上仰木村が合併して仰木村となる。
    • 真野浜新田・真野北村・真野浜村・真野新田・真野中村・真野沢村が合併して真野村となる。
    • 北船路村・守山村が合併して八屋戸村となる。
    • 赤尾新田が改称して赤尾村となる。
  • 明治8年(1875年) - 今宿村・和邇中村が合併して榎村となる。(2町78村)
  • 明治12年(1879年)(2町78村)
    • 5月16日 - 郡区町村編制法の滋賀県での施行により、行政区画としての滋賀郡が発足。郡役所が大津橋本町に設置。
    • 神出村の一部が分立して東浦村となる。
    • 赤塚村・見世村が合併して滋賀里村となる。
  • 明治13年(1880年) - 榎村が分割されて今宿村・和邇中村となる。(2町79村)

町村制以降の沿革

ファイル:Shiga Shiga-gun 1889.png
1.大津町 2.石山村 3.膳所村 4.滋賀村 5.坂本村 6.下阪本村 7.雄琴村 8.仰木村 9.堅田村 10.真野村 11.伊香立村 12.葛川村 13.和邇村 14.木戸村 15.小松村(紫:大津市 水色:高島市)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は全域が現・大津市。(1町14村)
    • 大津町 ← 大津町[18]、馬場町、松本村、東浦村、藤尾村、別所村、神出村
    • 石山村 ← 外畑村、内畑村、赤尾村、南郷村、千町村、平津村、寺辺村、国分村、鳥居川村、北大路村
    • 膳所村 ← 別保村、中ノ庄村、膳所村、錦村
    • 滋賀村 ← 山上村、漣村、錦織村、南滋賀村、山中村、滋賀里村
    • 坂本村 ← 坂本村、穴太村
    • 下阪本村 ← 下坂本村、比叡辻村
    • 雄琴村 ← 苗鹿村、雄琴村、千野村
    • 仰木村(単独村制)
    • 堅田村 ← 本堅田村、今堅田村、衣川村、入江北新田、入江南新田
    • 真野村 ← 家田村、大野村、谷口村、真野村、普門村、佐川村
    • 伊香立村 ← 南庄村、生津村、上在地村、下在地村、北在地村、向在地村、途中村、上竜華村、下竜華村
    • 葛川村 ← 坂下村、木戸口村、中村、坊村、町居村、梅ノ木村、貫井村、細川村
    • 和邇村 ← 小野村、和邇中村、今宿村、高城村、南浜村、中浜村、北浜村、栗原村
    • 木戸村 ← 南船路村、八屋戸村、木戸村、荒川村、大物村、南比良村
    • 小松村 ← 北比良村、南小松村、北小松村(現・大津市)、鵜川村(現・高島市)
  • 明治31年(1898年
    • 4月1日 - 郡制を施行。
    • 10月1日 - 大津町が市制施行して大津市となり、郡より離脱。(14村)
  • 明治34年(1901年7月20日(2町12村)
    • 膳所村が町制施行して膳所町となる。
    • 堅田村が町制施行して堅田町となる。
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和5年(1930年1月1日 - 石山村が町制施行して石山町となる。(3町11村)
  • 昭和7年(1932年5月10日 - 滋賀村が大津市に編入。(3町10村)
  • 昭和8年(1933年)4月1日 - 膳所町・石山町が大津市と合併し、改めて大津市が発足。(1町10村)
  • 昭和26年(1951年)4月1日 - 坂本村・雄琴村・下阪本村が大津市に編入。(1町7村)
  • 昭和30年(1955年
    • 4月1日 - 仰木村・堅田町・真野村・伊香立村・葛川村が合併し、改めて堅田町が発足。(1町3村)
    • 10月1日 - 和邇村・木戸村・小松村が合併して志賀町が発足。(2町)
  • 昭和31年(1956年9月30日 - 志賀町の一部(鵜川)が高島郡高島町に編入。
  • 昭和42年(1967年)4月1日 - 堅田町が大津市に編入。(1町)
  • 平成18年(2006年3月20日 - 志賀町が大津市に編入。同日滋賀郡消滅。

変遷表

脚注

  1. 幕府領には明治元年12月22日(1869年2月3日)に収公された滋賀院領を含む。
  2. 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
  3. 詳細不明。本項では村数に数えない。
  4. 大津各町の総称。大津町・大谷・追分・関寺に分かれて記載。本項では便宜的に1町に数える。
  5. 高畑村古村・高畑村新村に分かれて記載。
  6. 小野村・小野新田に分かれて記載。
  7. ●榎村・○今宿村・今宿新田に分かれて記載。
  8. 「旧高旧領取調帳データベース」には記載がないが、「角川日本地名大辞典」には「旧高旧領」に記載されている石高が掲載されている。
  9. 山上村・錦織村・南滋賀村・五別所村・下坂本村・南浜村・中浜村・北浜村の各村の地先に所在。各村に合併されたと見られるが、詳細は不明。本項では村数に数えない。
  10. 荒川村・荒川新田に別れて記載。新田分は全域が幕府領。
  11. 詳細不明。現在の大津市石山赤尾町付近。本項では村数に数えない。
  12. 記載は葛川中村。
  13. ●苗鹿村・苗鹿新田に分かれて記載。新田分は全域が幕府領。
  14. 14.0 14.1 14.2 14.3 寺社除地は後に大津県が管轄。
  15. 南小松村・南小松新田に別れて記載。新田分は全域が幕府領。
  16. 寺社領は後に大津県が管轄。
  17. 狭山藩は明治2年12月26日(1870年1月27日)に廃藩。
  18. この時点では、大津元会所町、大津御蔵町、大津湊町、大津橋本町、大津坂本町、大津新町、大津白玉町、大津鍋屋町、大津南保町、大津上堅田町、大津下堅田町、大津上平蔵町、大津下平蔵町、大津甚七町、大津肥前町、大津中堀町、大津丸屋町、大津柳町、大津太間町、大津玉屋町、大津猟師町、大津伊勢屋町、大津材木町、大津九軒町、大津高見町、大津和泉町、大津了徳町、大津上京町、大津中京町、大津上小唐崎町、大津下小唐崎町、大津井筒町、大津八幡町、大津大工町、大津後在家町、大津蛭子町、大津葭原町、大津鍛冶屋町、大津境川町、大津笹屋町、大津上栄町、大津下栄町、大津上博労町、大津下博労町、大津松屋町、大津葛原町、大津布施屋町、大津金塚町、大津寺町、大津上百石町、大津下百石町、大津四宮町、大津北町、大津西町、大津南町、大津関寺町、大津清水町、大津上関寺町、大津下片原町、大津上片原町、大津大谷町、大津一里町、大津追分町、大津船頭町、大津鍵屋町、大津菱屋町、大津石川町、大津七軒町、大津石橋町、大津上馬場町、大津土橋町、大津下馬場町、大津小川町、大津上北国町、大津中北国町、大津桝屋町、大津蔵橋町、大津西山町、大津川口町、大津中保町、大津水揚町、大津東今颪町、大津西今颪町、大津今堀町、大津下北国町、大津鹿関町、大津上大門町、大津下大門町、大津北保町、大津観音寺町、大津尾花川町が存在。

参考文献

関連項目