白石会議
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白石会議(しろいしかいぎ)は、戊辰戦争の時に、奥羽越列藩同盟を結成するきっかけになった白石城で開かれた会議のことである。白石列藩会議とも言う。
経緯
慶応4年(1868年)閏4月11日に奥羽列藩代表は仙台藩の呼びかけに応じて白石城に集結し、列藩連署の嘆願書を総督府に提出することを決議した。
遅れて参加した秋田藩、平藩、本荘藩(本庄藩)、弘前藩など各藩も加わり、閏4月12日に会津藩家老西郷頼母の名義の嘆願書、奥羽諸藩の重臣連名による副嘆願書、仙台藩、米沢藩両藩連名の会津藩寛典処分嘆願書の3通を奥羽鎮撫総督の九条道孝に提出した。17日、総督はそれらの嘆願書を却下し会津征討を命じたが、19日に奥羽各藩は会津征討軍を解兵した。
5月3日、仙台で白石盟約書と太政官建白書に署名をした時点で、正式に奥羽列藩同盟が成立する[1]。後に、越後6藩も加盟して奥羽越列藩同盟に発展した。
出典
- ↑ 『戊辰戦争』p.123
参考文献
- 『三百藩戊辰戦争事典』人物往来社、2000年
- 佐々木克『戊辰戦争』中公新書、1977年