百円紙幣
百円紙幣(ひゃくえんしへい)とは、日本銀行券(日本銀行兌換銀券、日本銀行兌換券を含む)の1つ。旧百円券、改造百円券、甲号券、乙号券、い号券、ろ号券、A号券、B号券の八種類が存在する。
旧百円券
- 日本銀行兌換銀券
- 額面 100円(百圓)
- 表面 大黒像
- 裏面 彩紋
- 寸法 縦116mm、横186mm
- 発行開始日 1885年(明治18年)9月8日
- 通用停止日 1939年(昭和14年)3月31日
- 発行終了
- 失効券
大黒天が描かれていることから「大黒札」と呼ばれている。元々の発行枚数が少なく現存数は非常に少ない(未回収が27枚という記録あり。おそらく現存数は1~2枚)と推測される。図案製作者はイタリア人のエドアルド・キヨッソーネである。記番号は漢数字となっており、通し番号は3桁または4桁である。
改造百円券
- 日本銀行兌換銀券
- 額面 100円(百圓)
- 表面 藤原鎌足
- 裏面 彩紋
- 寸法 縦130mm、横210mm
- 発行開始日 1891年(明治24年)11月15日
- 通用停止日 1939年(昭和14年)3月31日
- 発行終了
- 失効券
大黒旧券には紙幣の強度を高めるためにコンニャク粉が混ぜられ、そのため虫やネズミに食害されることが多々あったために「改造券」が発行された。表面の模様がめがねのように見えることから、通称は「めがね100円」「めがね鎌足」である。旧券と同様に発行枚数が少なく現存数は非常に少ない(未回収93枚という記録あり。おそらく現存数枚程度)と推測される。日本で発行された最も大きな紙幣である。記番号は漢数字となっており、通し番号は5桁である。
甲号券
- 日本銀行兌換券
- 額面 100円(百圓)
- 表面 藤原鎌足と談山神社
- 裏面 日本銀行
- 寸法 縦104mm、横180mm
- 発行開始日 1900年(明治33年)12月25日
- 通用停止日 1939年(昭和14年)3月31日
- 発行終了
- 失効券
前期甲号券は組番号に「いろは」を変体仮名で表記し、通し番号は漢数字であった。後期甲号券は組番号・通し番号共にアラビア数字である。また、裏面に製造年が、和暦で記載されている。裏面の模様が紫色であることから、通称は「裏紫100円」である。
乙号券
- 日本銀行兌換券
- 額面 100円(百圓)
- 表面 聖徳太子と夢殿
- 裏面 法隆寺
- 寸法 縦93mm、横162mm
- 発行開始日 1930年(昭和5年)1月11日
- 通用停止日 1946年(昭和21年)3月2日
- 発行終了
- 失効券
表面のデザインは不換紙幣であるい号券に流用されている。またA号券のデザインもこれに酷似している。乙号~A号の百円券の肖像は聖徳太子で、通称は「1次」~「4次」となっているため、この乙号券の通称は「1次100円」である。
い号券
- 日本銀行券
- 額面 100円(百圓)
- 表面 聖徳太子と夢殿
- 裏面 法隆寺
- 寸法 縦93mm、横163mm
- 発行開始日 1944年(昭和19年)3月20日
- 通用停止日 1946年(昭和21年)3月2日
- 発行終了
- 失効券
通称は「2次100円」である。表面のデザインは兌換券である乙号券の流用だが聖徳太子の表情にわずかな違いがある。
ろ号券
- 日本銀行券
- 額面 100円(百圓)
- 表面 聖徳太子
- 裏面 法隆寺
- 寸法 縦93mm、横162mm
- 発行開始日 1945年(昭和20年)8月17日
- 通用停止日 1946年(昭和21年)3月2日
- 発行終了
- 失効券
通称は「3次100円」である。聖徳太子の肖像は中央に配置されている。終戦直後に発行されたものの、新円切替のため発行後1年を待たずして通用停止となった。新円切替の際、乙号券~ろ号券に証紙を貼付し、臨時に新券の代わりとした「証紙貼付券」が発行された。
A号券
- 日本銀行券
- 額面 100円(百圓)
- 表面 聖徳太子と夢殿
- 裏面 法隆寺
- 寸法 縦93mm、横162mm
- 発行開始日 1946年(昭和21年)3月1日
- 支払停止日 1956年(昭和31年)6月5日
- 発行終了
- 有効券
当時、インフレーション抑制の手段として新円切替が行われていた。これはごく短期間のうちに旧紙幣を無効化し(強制預金させ)、代わりに発行高を制限した新紙幣(A号券)を発行するものであった。他のA号券(1,5,10円額面)は粗末とはいえ新デザインで発行されたが、A百円券に関しては、新たなデザインを用意する時間的余裕がなかったため、表、裏面ともい号券の彩色を変更して流用し、識別のために表面中央下に赤色の新円標識(瑞雲)を入れたものになった。通称は「4次100円」である。他のA号券では記番号が省略され「組番号」が印刷されていたが、この百円券のみ1枚1枚固有のシリアル番号(記番号)が付されている。またA号券のうち透かしが入っている唯一の紙幣でもある。透かしは、印刷局彦根工場製造分(右上、左下番号の下2桁が42)のみ、「天平時代の裂の文様」(鳳凰)の定位置透かしで、そのほかの工場製造分は「桐」の不定位置(ちらし)透かしである。新円切替後の紙幣なので現在も法的には有効だが、失効券である乙号券やい号券と間違えないように注意する必要がある。
B号券
- 日本銀行券
- 額面 100円(百円)
- 表面 板垣退助
- 裏面 国会議事堂
- 寸法 縦76mm、横148mm[1]
- 発行開始日 1953年(昭和28年)12月1日[1]
- 支払停止日 1974年(昭和49年)8月1日
- 発行終了
- 有効券
新円切替では、A号券が新たに発行されたが、粗製ゆえ偽造が横行したり、インフレーションの進行等により新紙幣の必要があったため、順次B号券への移行が進められた。1950年1月にはB千円券、1951年にはB五百円券とB五十円券が相次いで発行された。しかし当時最も流通量の多かった百円券については、「大日本帝国」の文字が残っていたり不必要に大きいなどの欠点を指摘されながらも旧態依然としたA号券がしばらくそのまま使用された。1953年12月になって、ようやくこのB百円券が発行され、現代的な紙幣であるB号券が出そろうこととなった。これにより粗製のA号券の回収が一気に加速した。1957年の百円銀貨の発行後も、百円銀貨とこのB百円券がしばらく並行して流通していたが、1966年8月26日、百円紙幣の廃止が閣議決定[2][3]され、1974年を最後にB百円券の日銀からの支払いが停止され、以降は百円硬貨(1967年に白銅貨に変更)へと推移していった。
透かし
- Series Yi 100 Yen Bank of Japan note - Watermark.jpg
い号券: 天平裂(てんぴょうきれ)の模様
- Series A 100 Yen Bank of Japan note - Watermark(paulownia).jpg
A号券: 桐
- Series A 100 Yen Bank of Japan note - Watermark(Tenpyo).jpg
A号券: 天平裂(てんぴょうきれ)の模様。組番号末尾42(印刷局彦根工場製を意味する)のみ。
- Series B 100 Yen Bank of Japan note - Watermark.jpg
B号券: 桐花と"100"
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1953年(昭和28年)11月27日、大蔵省告示第2244号「昭和二十八年十二月一日から発行する日本銀行券百円の様式を定める件」
- ↑ “参議院会議録情報第52回国会内閣委員会第1号” (1966年8月26日). . 2010閲覧.
- ↑ “衆議院会議録情報第52回国会大蔵委員会第7号” (1966年9月16日). . 2010閲覧.
外部リンク
- 百円券 - 日本銀行