神山繁

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神山 繁(こうやま しげる、1929年[1]1月16日1月6日説あり[1]) - 2017年1月3日 )は、日本俳優。本名は同じ[1]広島県[1]呉市出身。文学座[1]劇団雲[1]演劇集団 円[1]を経て、オフィス佐々木所属。海軍経理学校卒業[1]。元妻は女優の文野朋子1987年に死別)。晩年は京都府に在住していた。

来歴・人物

1945年4月10日海軍経理学校第38期に入学[2]、戦後山王ホテル勤務、進駐軍通訳などを経て、1952年文学座に演出部研究生として入座。後に俳優に転じる。

1956年、文野と結婚。

1963年芥川比呂志小池朝雄仲谷昇岸田今日子らとともに同座を脱退し、劇作家・福田恆存を代表とする現代演劇協会・劇団雲を結成する。『夏の夜の夢』『リア王』『コリオレイナス』『テムペスト』などのシェイクスピア劇や、遠藤周作の『黄金の国』、『罪と罰』『スカパンの悪だくみ』などの舞台で活躍するが、1975年、芥川と福田との対立が決定的になると、芥川と行動を共にし、雲(現代演劇協会)を脱退して演劇集団 円の結成に参加した。円では、『ペリクリーズ』『から騒ぎ』などに出演し、『ママに捧げる鎮魂歌』『山の巨人たち』『ほんとうのハウンド警部』では演出を務めた。

1987年、文野と死別。以後はしばらく仕事から離れていたが、1990年に仕事で訪れていた京都で現在の妻である一般人女性と知り合い、これを契機に京都へ移住。1992年にこの女性と再婚し、逝去まで連れ添った。

1991年に演劇集団 円を退団。

舞台の傍ら、冷徹な悪役をはじめ、知的な役柄で多数出演。市川崑岡本喜八森谷司郎山本薩夫など、非日常性の強い娯楽作品を得意とする監督たちに好んで起用された。

ザ・ガードマン』が当たり役となったほか、サントリーのCMでも馴染みの顔となった。

進駐軍の通訳をしていたことで培われた巧みな英語力を買われてアメリカ合衆国の映画『ブラック・レイン』に出演した。

高倉健宇津井健いかりや長介仲代達矢児玉清木村拓哉との映画やテレビドラマの共演が数多く、強面のイメージを逆手に取ったユーモラスな役も多く、2012年には、『アウトレイジ ビヨンド』に重要な役どころで出演した(北野映画は初出演)。また、いかりや長介とは、『独眼竜政宗』での共演以来、プライベートでも親交が深かった[3]

2016年1月に肺炎と診断され療養していたが、妻に看取られながら2017年1月3日に京都の自宅で亡くなった[4]。87歳没。また、「葬式無用、戒名不要」という神山の強い遺志により無戒名となり、葬儀・告別式も行われなかった[5][6]

出演作品

テレビドラマ

映画

舞台

演出

  • ママに捧げる鎮魂歌(1978年、演劇集団 円)
  • 山の巨人たち(1982年、演劇集団 円)
  • ほんとうのハウンド警部(1987年、演劇集団 円)

バラエティ

CM

脚注

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 日本タレント名鑑'82』 VIPタイムズ社、1981年、82。
  2. 秋元書房刊『海軍兵学校 海軍機関学校 海軍経理学校』、1971年、269頁。
  3. 「現代日本映画人名事典 男優篇」、キネマ旬報社、神山繁の項より。
  4. “「ザ・ガードマン」神山繁さん死去 87歳 米寿目前、肺炎で”. Sponichi ANNEX (スポーツニッポン新聞社). (2017年1月16日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/01/16/kiji/20170116s00041000178000c.html . 2017閲覧. 
  5. 「葬式無用、戒名不要」87歳死去神山繁さんの遺志日刊スポーツ(2017年1月17日) 2017年1月17日閲覧。
  6. “神山繁さん託した遺志「ただのカルシウムだよ。葬式無用」…3日に急逝”. デイリースポーツ. (2017年1月16日). https://www.daily.co.jp/gossip/2017/01/16/0009834867.shtml . 2017閲覧. 

外部リンク