米原駅

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米原駅(まいばらえき)は、滋賀県米原市(まいばらし)米原(まいはら)にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)・近江鉄道である。駅番号はJR西日本がJR-A12、JR東海がCA83

乗り入れ路線

JR東海に所属する東海道新幹線と、JR西日本およびJR東海に所属する東海道本線、JR西日本に所属する北陸本線、近江鉄道の本線が乗り入れている。北陸本線と近江鉄道本線は当駅が起点となっている。なお、東海道本線と北陸本線はJR貨物の第二種鉄道事業路線にもなっている。滋賀県内で唯一の新幹線停車駅である。

JR在来線における当駅の所属線は東海道本線となっている[1]。東海道新幹線・東海道本線・北陸本線は、1987年昭和62年)3月31日まではすべて日本国有鉄道(国鉄)の路線であったが、同年4月1日国鉄分割民営化によってJR東海とJR西日本に分割された。当駅がJR西日本とJR東海の会社境界駅となり、東海道本線は当駅より大垣名古屋方面がJR東海、草津京都方面がJR西日本の管轄となった。当駅はJR西日本とJR東海の共同使用駅であり、在来線構内はJR西日本、新幹線構内はJR東海の管轄である。またJR西日本の東海道本線の当駅 - 京都駅間と北陸本線の当駅 - 長浜駅間には合わせて「琵琶湖線」の愛称が設定され、一体化した運転系統となっている。なお当駅では北陸本線に対しては案内上「琵琶湖線」を使用していない。

JR米原駅の事務管コードは、▲610147である。なお、国鉄時代に名古屋鉄道管理局が管轄していた頃は、▲530134が用いられていた[2]

歴史

1889年明治22年)、現在の東海道本線に当たる関ケ原駅 - 馬場駅(現在の膳所駅)間と、北陸本線長浜駅 - 米原駅間が開業したことに伴い、両線の接続駅として設置された。それまでは関ケ原駅 - 長浜駅間に鉄道が存在し、大津(初代大津駅/大津港)から長浜の間を結ぶ太湖汽船鉄道連絡船もあわせて長浜駅がその役割を担ってきたが、その役目を引き継いだ形になる。

かつては、東海道本線における急勾配区間の一つであった大垣駅 - 関ケ原駅間を越えるための補助機関車を留置する基地、それに北陸本線の起点として機関区が設けられ、多数の蒸気機関車が在籍していた。

東海道本線稲沢駅 - 当駅間電化の際には、新たに電気機関車も当駅に配置され、ここで電気機関車と蒸気機関車の付け替えが行われた。さらに北陸線が交流電化された際は、当駅 - 田村駅間で蒸気機関車による列車継走が行われ(その後ディーゼル機関車に移行)、EF81形交直流電気機関車による直通運転が始まるまで、交直接続のつなぎとして大きな役割を担った駅である。

また、北陸線列車の始発駅として大きな役割もあった。客車区が置かれ北陸線の普通列車に運用されていたほか、郵便や荷物の積み替えも多かった。1955年には貨物操車場が駅南側に移転拡張され、東海道線と北陸線の貨車の授受作業とともに貨物列車の仕立ても行われていた。

駅の開業時は東海道線と北陸線の3面5線の規模で、駅舎と各ホームは地下道で結ばれていた。

1955年稲沢駅 - 米原駅の電化開業に合わせ操車場の移設を含む大幅な改良工事が行われ、上り線は大きく湖側に離れ、上下線間に操車場を抱き込む形になった。このとき上り線の2面4線のホームが新たに設けられ、北陸線と東海道線上りは駅の北側で立体交差することになった。下り側1 - 5番線と上り側7 - 10番線の間には操車場への通路線が複数入り、長い跨線橋が新設され、下り側ホーム群と上り側ホーム群を繋いでいた(6番線は欠番)。機関区も電気機関車対応の施設が新設され、EF58形や、後にはEF65形電気機関車などが配置されていた。

1964年(昭和39年)10月1日には、新幹線が開業した[3]。在来線上りホームに隣り合う湖岸側に駅舎(西口)が設けられ、駅は西側に大きく広がることとなる。ただし、新幹線に出入りできる直接の改札はなく、一旦在来線構内を通って新幹線改札に進むものであった。この形は国鉄分割時にもそのまま引き継がれ、東西の駅舎はJR西日本が、構内の新幹線部分をJR東海が管理することになった。

JR化後客車列車の減少とともに機関区・客車区は廃止され、跡地は電留線になっている。1998年には操車場の縮小整理と基盤整備に合わせて下りホームが上り側に移設され、新たに1面2線のホームを設けるとともに、東口駅舎も移設新築された。旧の下りホーム3面5線と東口駅舎は解体され、跡地は新しい駅前広場として整理されている。

さらに2009年には橋上化が完成し、東西自由通路上に在来線(JR西日本)と新幹線(JR東海)の駅舎が並ぶ形となった。

年表

  • 1889年明治22年)7月1日 - 官設鉄道関ケ原駅 - 当駅 - 馬場駅(現在の膳所駅)間および当駅 - 長浜駅間の開通と同時に開業。一般駅
  • 1895年(明治28年)4月1日 - 線路名称制定。東海道線(1909年東海道本線に改称)の所属となる。
  • 1902年(明治35年)11月1日 - 当駅から長浜方面への東海道線支線が北陸線(1909年に北陸本線に改称)に編入。
  • 1931年昭和6年)7月4日 - 近江鉄道の駅が開業。
  • 1954年(昭和29年)2月 - 構内改良工事着手。
  • 1955年(昭和30年)4月 - 操車場の使用を開始。
  • 1955年(昭和30年)7月25日 - 稲沢駅 - 当駅間の電化が完成。
  • 1956年(昭和31年)11月19日 - 当駅 - 京都駅間が電化され、東海道本線全線電化。
  • 1957年(昭和32年)10月1日 - 田村駅 - 敦賀駅間電化、E10形蒸気機関車による北陸本線列車継走が始まる。
  • 1962年(昭和37年)12月28日 - 当駅 - 田村駅間電化、ED30形交直流機関車による北陸本線列車継走が始まる。
  • 1964年(昭和39年)
    • 10月1日 - 東海道新幹線の駅が開業[3]
      • 当初は、当駅より人口の多い南隣りの彦根市にある彦根駅に開設する計画だった。しかし予算面で断念したことや、また北陸線からの乗客には当駅停車の方が便利であり[注釈 1]、「ひかり」停車の要望が敦賀・福井・金沢方面から出されたこともある。所在地が滋賀県坂田郡の米原町(まいはらちょう)であったことから、当時の東海道新幹線では珍しい(「市」ではなく)「町」にある新幹線駅として誕生した。
      • 拡張後1998年までの在来線は1番ホーム(下り本線)、2・3ホーム(東海道下り1番・2番線)、4・5番ホーム(北陸線上り本線・上り1番線)、7・8ホーム(北陸線下り1番線・本線)、9・10ホーム(東海道上り1番線・本線)であった。北陸線の米原折り返しは主に4・5・7番線を使用し、北陸発大阪行きは3・4番線、名古屋発北陸行きは2・3番線を主に使用していた。
    • 12月25日 - 北陸線電車特急「雷鳥」「しらさぎ」運転開始。
      • 交流区間を走行する初めての電車特急として誕生。ただし、その使用車両である481系電車の落成が遅れ、当初新幹線開業に合わせ運転開始予定が12月までずれ込んだもの。
  • 1972年(昭和47年)
    • 3月1日 - 貨物の取り扱いを廃止。
    • 10月2日 - 「ひかり」3往復が米原に新規停車となる。
  • 1975年(昭和50年)3月10日 - 関西 - 北陸間の特急列車が湖西線廻りに変更され、米原駅からの北陸特急は名古屋駅発着の「しらさぎ」とこの日新設の米原駅始発の「加越」(2003年10月「しらさぎ」に統合)となる。特急列車の米原駅始終着は初めて。
  • 1986年(昭和61年)11月1日 - 荷物取り扱いを廃止。
  • 1987年(昭和62年)
  • 1988年(昭和63年)3月13日 - 路線愛称の制定により、北陸本線の長浜駅 - 当駅間および東海道本線の当駅 - 京都駅間で「琵琶湖線」の愛称を使用開始。
  • 1989年平成元年)3月11日 - 大阪・京都方面からの新快速の乗り入れを本格的に開始。
  • 1991年(平成3年)9月14日 - 北陸本線田村駅 - 長浜駅間直流化。これにより当駅発着の一部の新快速を長浜駅へ延長。
  • 1998年(平成10年)
    • 3月17日 - 新幹線乗換改札口に自動改札機を導入[4]
    • 9月1日 - 東口新駅舎使用開始。これに伴い、旧7・8番ホーム横に新1 - 4番線を敷設、2・3番線の間にホームを設置、新下りホームとなる。旧1番 - 5番ホームを廃止。旧7 - 10番ホームを5 - 8番に改称。在来線改札口に自動改札機を導入。
  • 2003年(平成15年)11月1日 - JR西日本でICカードICOCA」の利用が可能となる[5]
  • 2005年(平成17年)2月14日 - 平成の市町村合併により、所在地が米原市(まいばらし)となる。
  • 2006年(平成18年)10月1日 - JR京都・神戸線運行管理システム導入。
  • 2007年(平成19年)
  • 2008年(平成20年)
    • 2月9日 - 自由通路が暫定使用開始(改札内のみ)。
    • 12月10日 - ホーム上の工事囲いのフェンスが貨物列車通過の風圧で飛散し、ホーム上の乗客2名とホーム誘導員1名が怪我をする事故が発生。
  • 2009年(平成21年)
    • 3月7日 - 新幹線改札の移動、JR西日本5・6・7・8番のりばの彦根寄りの階段の使用を開始し、新幹線の旧改札口と自由通路設置に伴い仮設された7・8番ホームの階段を廃止。
    • 3月21日 - 自由通路および在来線橋上駅舎が使用を開始。
    • 6月1日 - 新幹線橋上駅舎と改札口が使用を開始。これにより東西自由通路から直接新幹線改札を通ることができるようになった。
    • 7月1日 - 在来線ホームが全面禁煙となる。
  • 2015年(平成27年)3月12日 - 在来線に接近メロディ導入。
  • 2017年(平成29年)7月下旬 - 西口上りエスカレーター工事開始。
  • 2018年(平成30年)3月17日 - JR西日本・JR東海の在来線に駅ナンバリングが導入され、使用を開始。

駅構造

JR西日本・JR東海

在来線・新幹線とも地上駅である。現在の駅舎は2009年3月21日より使用開始となった橋上駅舎である。米原市管理の東西自由通路が駅の東西を結び、自由通路から在来線改札口(JR西日本)・新幹線改札口(JR東海)を利用できる。また改札内には新幹線・在来線の乗り換え改札がある。

在来線のりば

島式ホーム3面6線を使用する。1番のりば・4番のりばにはホームがなく、島式ホームはそれぞれ、2・3番のりば(東海道線・琵琶湖線下り発着)、5・6番のりば(北陸線・琵琶湖線)、7・8番のりば(琵琶湖線・東海道線上り発着と一部の北陸線列車)となっている。

北陸線の列車は2 - 8番のりばのいずれからも発着でき、折り返しが可能。一方、東海道線の列車は上り下りどちらの場合も一旦北側の電留・客操線に引き上げないと折り返しができない。また橋上駅となった後も、これまで通り7・8番のりばホームには階段およびエスカレーターが片方向1か所しかない。

国鉄時代は名古屋鉄道管理局管轄の駅であったが、分割民営化直前に在来線部分が大阪鉄道管理局に移管された。もともと米原駅が名古屋大阪金沢の各鉄道管理局に接しており、大阪と金沢がJR西日本になったため、それに合わされたものである。国鉄時代の名古屋・大阪局境は、米原駅 - 彦根駅間(旧仏生山トンネルの付け替え区間)にあった。境界駅では下り場内信号機を会社境界とすることが原則であるが、これでは米原機関区の設備区分が複雑になるため、分割時に設定された会社境界は駅東方(醒ケ井方)の、東海道本線の上り線と下り線とが合流するカーブ付近の下り第1閉塞信号機(東京起点443k995m)である。このため、これより西にある善光寺踏切・岩脇道踏切は米原駅より東方に位置するが、JR西日本の管理下にあり、踏切を横断する通行者向けの看板もJR西日本仕様のものが使われている[6]

2009年7月1日から、在来線を管轄するJR西日本は京阪神近郊エリアの在来線駅のホーム上の喫煙コーナーを廃止した関係で、当駅も同日以降、在来線ホームは全面禁煙となっている[7]。ただし、JR東海が管轄する新幹線ホームにおいては、喫煙所は存置されている。

なお当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として北陸本線の坂田駅 - 近江塩津駅間の各駅を管理している。

在来線ホームの使用状況
のりば 会社 路線 行先 備考
2・3 西日本旅客鉄道 A 琵琶湖線(東海道線) 彦根草津京都大阪方面
5・6 A 琵琶湖線北陸線 長浜敦賀福井金沢方面 一部7番のりば
7・8 東海旅客鉄道 CA 東海道線 大垣岐阜名古屋方面
  • 路線名は旅客案内上の表記で記載している。前述した通り「琵琶湖線」の愛称は東海道本線京都方面のみ用いられている。
  • ラッシュ時の北陸本線方面の新快速・普通の一部が7番のりばから発車する。
  • 夜間滞泊設定列車が多い。

新幹線のりば

ファイル:Maibara-station 2002-04l.jpg
通過する新大阪方面行き700系(新幹線ホーム)

東海道新幹線は単式ホーム1面1線(11番線)と島式ホーム1面2線(12、13番線)、合計2面3線のホームを使用する。11番線が下り(新大阪・博多方面)、12番線が上り(名古屋・東京方面)で、13番線は通常使われていない。ホームは副本線に接し、上下副本線(11、12番線)の間に本線(通過線)がある。

上りホームには琵琶湖からの湖風を遮るためアクリルガラス風防が設置されている。

新幹線ホームの使用状況
番線 路線 方向 行先
11 ■ 東海道新幹線 下り 新大阪博多方面
12 上り 名古屋東京方面
13 (予備ホーム)

ダイヤ

ここで示した「1時間あたりの本数」はデータイムのものであり、朝晩および夕方は本数が増加する。

東海道新幹線

ほぼ全時間帯で「ひかり」と「こだま」が毎時1本ずつ停車する。最速達列車の「のぞみ」は全列車が通過する。この間のひかりはほとんどが各駅停車となっており、隣の停車駅は京都あるいは岐阜羽島となるが、夜間の東京行きひかり1本のみ岐阜羽島を通過し、名古屋まで停車しない。

琵琶湖線

日中時間帯は1時間あたり新快速2本と当駅発着の普通列車2本が停車する。日中以外を含め、北陸本線に入る列車は大半がJR京都線JR神戸線直通新快速である。普通列車は京都あるいは高槻より快速列車となる。かつて、朝夕に普通列車の一部が東海道本線名古屋地区の大垣まで乗り入れていたが、琵琶湖線からの大垣行きは2016年3月26日の改正で当駅止まりに見直された[8]

東海道本線名古屋地区

日中時間帯は1時間あたり2本が発着する。大垣行きの普通列車が大半を占めるが、朝夕には米原発豊橋行きあるいは浜松行きの新快速特別快速の発着がある(ただし岐阜まで各駅停車)。この他、特急しらさぎが名古屋まで、大阪発着の特急(ワイドビュー)ひだが運転されている。

近江鉄道

近江鉄道の米原駅は、駅周辺の整備工事に伴い2007年6月8日始発よりJR東口駅舎に隣接する場所に移転し、線路も駅手前の約1600m部分についてJR東海道本線下り本線沿いに移設されたが、営業キロの変更は行われていない。ホームは頭端式ホーム1面2線で、駅舎は仮設のものが設置され、移設工事のため6月1日 - 7日の間は米原駅 - フジテック前駅間がバス代行となった。駅舎は2012年4月5日に新築移転し、米原市管理の東西自由通路東口(旧JR東口駅舎)と直結した[9]

なお、1998年のJR駅縮小前はJRの駅と隣り合っており、JR東口改札から階段を上がり旧1番ホーム経由で入るようになっていた。JR東口の移設後は完全に分離され、駅前広場を挟んで向かい合う形となっていた。駅舎は以前のままの二階建てで入り口が二階部分にあったため、駅前とは階段でつながっていた。

駅係員配置は7:30 - 17:30(土日祝は17:00まで)であり、それ以外の時間帯は無人駅扱いとなっている。

のりば

番線 路線 行先
1・2 本線(彦根・多賀大社線) 多賀大社前八日市近江八幡貴生川方面

米原操車場

米原操車場は、米原駅構内の南方1.1 kmに存在する日本貨物鉄道(JR貨物)の操車場で、上下本線の間に数本の入換線を有している。東海道本線と北陸本線の結節点であり、一部の高速貨物列車専用貨物列車の機関車交換や機回しなどの入換作業が行われている。作業は西日本旅客鉄道(JR西日本)が行っている。電報略号マイソである。

改良前の米原駅は貨車仕訳線が東部・中部・西部の3グループに分かれており、貨車中継・組成作業が扱い量の増大により困難になってきた。そこで、新たに駅南側のかつての入江であったところを埋め立て、新たな操車場を建設することになった。軟弱な地盤であり、しかも平均3 mの盛土が必要であった。1955年(昭和30年)に完成したこの改良により、貨物列車と旅客列車の平面交差もなくなり、作業能力は飛躍的に向上した。構内の東西に上下の着発線を持ち、中に広い仕分線を持つ配線で、ハンプは持っていなかった。新鶴見稲沢吹田富山新潟などの各操車場間を結ぶ地域間急行貨物なども設定されていた。しかしその後、湖西線開業による通過貨物の減少、さらにはヤード系貨物列車の廃止などにより、1984年(昭和59年)2月1日のダイヤ改正から列車の組成をすることはなくなっていた。

現在は一部の着発線を残して縮小され、仕訳線などの撤去により生じた跡地利用の基盤整備が行われており、鉄道総合技術研究所(鉄道総研)の大型風洞施設などが跡地に作られている。また、2002年(平成14年)には着発線荷役方式コンテナ荷役のできる米原貨物ターミナル駅設置が新規事業化された[10]

なお、この基盤整備中に跡地から大量のを含んだ土と石炭がらが出土し問題になった。建設当時、機関区から出た蒸気機関車の石炭がらを埋め立てに利用したものと思われる。鉄道建設・運輸施設整備支援機構が跡地を購入した滋賀県土地開発公社と米原市にそれぞれに1億7000万円を支払うことで和解している。

米原保線所

東海道新幹線の開業に合わせ、駅の北西、新幹線路線脇に保線所が設けられた。12本の引き込み線があり、内2本は3線軌で、その先端には転車台がある[11]

また、敷地内には新幹線用の変電所がある。

駅弁

JRの駅では株式会社井筒屋北九州市にある百貨店井筒屋とは無関係、5・6番のりばの立ち食いそば屋も運営)が販売している。主な駅弁は下記の通り[12]

  • 元祖鱒寿し
  • 鶏めし
  • 牛肉弁当
  • おこのみめし
  • 近江牛大入飯
  • 湖北のおはなし
  • ステーキ弁当
  • てき重(加熱式)

利用状況

「滋賀県統計書」による近年の1日平均乗車人員の推移は下記の通り[注釈 2]。JR西日本のみの乗車人員では、特急「しらさぎ」一部通過駅の長浜駅と同程度であるが、JR東海と合わせた乗車人員では当駅の方が多くなる(JRグループのうち、2社以上乗り入れの駅では両社を足して算出することが多い)。在来線同士の乗り換え客はこの数字には含まれていない。

年度 JR西日本
(在来線)
JR東海
(新幹線)
出典
1日平均
乗車人員
1日平均
乗車人員
1992年(平成04年) 4,733 5,361 [13]
1993年(平成05年) 4,764 5,251 [14]
1994年(平成06年) 4,693 5,210 [15]
1995年(平成07年) 4,712 5,441 [16]
1996年(平成08年) 4,704 5,351 [17]
1997年(平成09年) 4,551 5,272 [18]
1998年(平成10年) 4,419 5,064 [19]
1999年(平成11年) 4,377 4,954 [20]
2000年(平成12年) 4,463 5,007 [21]
2001年(平成13年) 4,416 4,926 [22]
2002年(平成14年) 4,243 4,848 [23]
2003年(平成15年) 4,310 5,216 [24]
2004年(平成16年) 4,380 5,778 [25]
2005年(平成17年) 4,441 6,017 [26]
2006年(平成18年) 4,434 6,151 [27]
2007年(平成19年) 4,416 6,302 [28]
2008年(平成20年) 4,395 6,087 [29]
2009年(平成21年) 4,434 5,537 [30]
2010年(平成22年) 4,503 5,679 [31]
2011年(平成23年) 4,544 5,851 [32]
2012年(平成24年) 4,758 6,111 [33]
2013年(平成25年) 4,960 6,433 [34]
2014年(平成26年) 4,943 6,701 [35]
2015年(平成27年) 5,204 6,760 [36]
2016年(平成28年) 5,262 6,947 [37]

駅周辺

かつて駅東側に米原郵便局があった。滋賀県内の郵便の窓口であったほか、近江鉄道線を経由する郵便路線の始発でもあった(そのため近江鉄道には郵便車があった)。現在は米原郵便局は湖岸側に移設され、また旧ホームから郵便局への通路も取り壊され当時を偲ぶものはない。

駅周辺の街づくりは実質西口が表玄関としての役割を担っており、駅西側にスーパーや金融機関、公共機関、ホテルなどが設けられているが、近隣の彦根駅と比べると少なめである。 東側は近年再開発が進み宅地化が進められている。

西側

新幹線利用予定客向けに早朝から営業を始める駐車場が多い。

東側

バス路線

乗り場 系統 主要経由地 行先 運行会社 備考
米原駅西口   木之本米原線 中多良・多良口・長浜市立病院・長浜駅・木之本バスターミナル 湖北病院 湖国バス
岩脇・多良口・長浜市立病院・長浜駅・木之本バスターミナル 湖北病院
醒ケ井線 米原高校・番場・米原市福祉センター 東レ・カーボンマジック 湖国バス
京都びわこドリーム号 横浜(YCAT)池袋駅東口大宮駅西口 大宮営業所 西日本JRバス
西武観光バス
夜行
米原駅(東口)   醒ケ井線 米原高校・番場・米原市福祉センター 東レ・カーボンマジック 湖国バス
  米原駅西口

その他

  • 夏季と冬季、米原駅以北の新快速および普通のドアは車内の温度を快適に保つため[38]半自動扱いとなり、旅客がドア横のボタンを押して開閉する(JR西日本車両のみ)。JR東海車両では半自動扱いは行わないが、ドアカットを実施する場合がある。
  • JR東海およびJR西日本両社の新快速列車が乗り入れ、発着する、JRでの境界駅においては唯一の駅となっている。およびに、JR東海の主力車両である313系とJR西日本の主力車両である223系225系の3車種の並ぶ光景が見られる駅でもある。
  • 北陸本線の普通電車はホーム有効長の制限により、米原駅以北長浜駅までは8両、虎姫駅以北敦賀方面は4両のみ入線可能である。そのため多くの列車で増解結作業が行われている。下り列車は第二場内信号機に併設された誘導信号機でホームに進入するため、坂田駅 - 米原駅間の所要時分が増結のない列車に比べて長く設定されている。
  • 駅掲示の在来線時刻表はJR東海の管轄となる大垣方面も含めてJR西日本仕様である。JR東海公式サイト上ではJR東海版時刻表が閲覧可能である。また以前はJR東海フォーマットの各方面の在来線時刻表が新幹線・在来線乗換口のJR東海管理部分に設置されていたが、現在掲示はない。
  • 橋上化完成で、それまで改札内のみだったJR東海の窓口が、改札外にも設けられ、併せて新幹線にも直接入場できるようになった。
  • 2015年(平成27年)2月16日からは、在来線ホームに英語放送が導入された。 また同年3月12日からは接近放送が従来のベルからメロディに変更された(接近メロディは京都駅で使用されているものをアレンジしたものである)。
  • 国鉄時代から下りの夜行列車は運転士の交代をホームのない1番のりばで行っており、民営化以後も引き続き行われていた(車掌は通し乗務で当駅で交代がなかった為)。しかし2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正で「サンライズ瀬戸」、「サンライズ出雲」の車掌乗務が各会社ごとの受け持ちとなり、発着も2番のりばに変更された。これに伴い1番のりばを使用する定期旅客列車はなくなっている。
  • 2012年(平成24年)3月のダイヤ改正において、定期運用を終了した急行「きたぐに」号(大阪 - 新潟)は、湖西線経由ではなく、当駅経由で結んでいた。
  • 2016年3月26日ダイヤ改正から、JR西日本方面からの大垣発着列車が廃止となり、当駅で系統が分断された。これに伴い、「ムーンライトながら」運転時に、早朝の大垣発当駅着の列車から、主に青春18きっぷの利用者が大阪方面行きの列車へと一斉に駆け出す光景が見られるようになった。
  • かつて「町」(滋賀県坂田郡米原町)にある新幹線の駅として小郡駅(現・新山口駅)とともに有名であった。2005年2月14日に市制施行により「町」ではなくなったが、その際に知名度の高い駅名に合わせ従来の米原(まいはら)町を米原(まいばら)市と読み替えている。このため、駅周辺の住所は「米原市米原(まいばらしまいはら)」となっており、旧町名の読み方が残っている。
  • 各種ICカード乗車券琵琶湖線京都大阪方面)または北陸本線近江塩津まで)がサービスエリアである(近江塩津から湖西線近江今津方面への利用は可能)。当駅から東に4駅目の関ケ原駅以東はJR東海のICカード乗車券であるTOICAの利用可能エリアであるが、ICOCAとTOICAのそれぞれのエリアをまたぐ利用は不可能。例えば、ICOCAエリアである当駅でICカード乗車券で入場し、そのICカード乗車券でTOICAエリアである大垣駅などで降車することは不可能である。ただしエリアをまたぐ方法として、ICカード対応自動券売機であらかじめカードでの切符を購入しておけばエリアをまたいで利用可能である。当駅には最近までICカード対応の自動券売機がなく、「ICカードによりあらかじめ切符を買う」ことができなかったが、2010年2月にICカード対応自動券売機が設置され、ICカードを自動券売機に挿入することにより切符を購入することが可能となった。
  • JR東海が発売する企画乗車券「青空フリーパス」の利用は当駅が西端になる[39]
  • 米原駅北方の岩脇(いおぎ)山に太平洋戦争末期に掘削された蒸気機関車の避難壕跡が残る[40][41]
  • 米原機関区にあった大神宮は、米原市米原の湯谷神社へ遷宮されている[42]
  • 強風などの理由で湖西線が不通になり、「サンダーバード」が米原経由で運行される際は、駅構内では「湖西線からの迂回特急列車」とアナウンスされる。また、2015年までに運行されていた「トワイライトエクスプレス」も、同様の理由で、しばし米原経由で迂回運転したことがあった。
    • なお、何らかの理由で湖西線が不通になった事態を想定して、「サンダーバード」のダイヤは米原経由のものもあらかじめ設定されている。
    • 「サンダーバード」が米原経由で運行する場合、米原駅では原則として客扱いは行わないが、事情により客扱いをする場合がある。
  • 北陸新幹線敦賀駅以西のルート選定にあたっては、米原駅で東海道新幹線に接続する「米原ルート」がルート案の一つとなり、滋賀県関係者が強く推していたが、与党の整備新幹線建設推進プロジェクトチームが敦賀駅から小浜市を経由して京都駅へ直行する「小浜・京都ルート」を採用し[43]、実現の可能性はほぼ消滅している。

隣の駅

※西日本旅客鉄道・東海旅客鉄道の在来線特急・急行と、新幹線の停車駅については各列車記事を参照のこと。

西日本旅客鉄道
A 琵琶湖線(東海道本線・北陸本線)
新快速(北陸本線区間は全電車、各駅に停車)・普通(普通電車は京都駅または高槻駅以西は快速、一部野洲駅以西は新快速となる普通電車あり)
坂田駅(北陸本線)(JR-A11) - 米原駅 (JR-A12) - 彦根駅(東海道本線)(JR-A13)
東海旅客鉄道
■ 東海道新幹線
岐阜羽島駅 - 米原駅 - (栗東信号場) - 京都駅
CA 東海道本線
  • 特急「ひだ」「しらさぎ」停車駅
特別快速・新快速・快速・区間快速・普通
醒ケ井駅 (CA82) - 米原駅 (CA83)
※特急以外の各種別は、ともに岐阜駅 - 米原駅間は各駅に停車する。
※区間快速は到着電車のみ、上り方面への設定はない。
近江鉄道
本線(彦根・多賀大社線)
米原駅 - フジテック前駅

脚注

注釈

  1. 北陸方面からの乗り換え需要のため、新幹線開業前の1961年10月のダイヤ改正の時点で既に彦根駅を差し置いて当駅が一部の特急列車の停車駅となっていた。
  2. 近江鉄道についてはデータが載せられていないため不明。

出典

  1. 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
  2. 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』
  3. 3.0 3.1 桑田潔(2014年10月12日). “米原ぽっぽフェス:新幹線駅開業50周年お祝い きょうまで”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  4. NEWS SUMMARY 1998年3月”. 鉄道友の会 名古屋支部. . 2017閲覧.
  5. 「ICOCA」いよいよデビュー! ? 平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします ?インターネットアーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日
  6. 踏切 東海道本線5
  7. 在来線特急列車などの全席禁煙化ならびに在来線ホームの禁煙化の拡大について - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2009年3月26日
  8. 平成28年春ダイヤ改正について (PDF) - 西日本旅客鉄道近畿統括本部 2015年12月18日
  9. 辻良樹「近江鉄道米原駅舎が新築移転」『鉄道ピクトリアル』2012年9月号 トピック・フォト110頁。
  10. 「米原貨物ターミナル」交通結節点改善事業の新規事業化について (PDF) 滋賀国道事務所、2002年
  11. 「『全国新幹線ライン 全駅・全車両基地』」、講談社2016年
  12. 『JR時刻表』2017年3月号、交通新聞社2017年、 230頁。
  13. 平成4年滋賀県統計書
  14. 平成5年滋賀県統計書
  15. 平成6年滋賀県統計書
  16. 平成7年滋賀県統計書
  17. 平成8年滋賀県統計書
  18. 平成9年滋賀県統計書
  19. 平成10年滋賀県統計書
  20. 平成11年滋賀県統計書
  21. 平成12年滋賀県統計書
  22. 平成13年滋賀県統計書
  23. 平成14年滋賀県統計書
  24. 平成15年滋賀県統計書
  25. 平成16年滋賀県統計書
  26. 平成17年滋賀県統計書
  27. 平成18年滋賀県統計書
  28. 平成19年滋賀県統計書
  29. 平成20年滋賀県統計書
  30. 平成21年滋賀県統計書
  31. 平成22年滋賀県統計書
  32. 平成23年滋賀県統計書
  33. 平成24年滋賀県統計書
  34. 平成25年滋賀県統計書
  35. 平成26年滋賀県統計書
  36. 平成27年滋賀県統計書
  37. 平成28年滋賀県統計書
  38. ドアの手動扱いについて
  39. お得なきっぷ 青空フリーパス”. 東海旅客鉄道. . 2017閲覧.
  40. 『関西鉄道考古学探見』JTBパブリッシング 2007年発行 94〜95頁。
  41. 辻良樹「旧蒸気機関車避難壕の整備が完成」『鉄道ピクトリアル』2010年1月号 144〜145頁。
  42. 『関西鉄道考古学探見』JTBパブリッシング 2007年発行 92〜93頁。
  43. “44年経て北陸新幹線全ルート確定 与党PT京都-大阪南回り案を決定”. 福井新聞. (2017年3月15日). http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/super_expless/117219.html . 2017-3-15閲覧. 

参考文献

辻良樹『関西鉄道考古学探見』JTBパブリッシング 2007年発行「鉄道の町 米原を歩く」90 - 99頁。

関連項目

外部リンク