粟田真人

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あわたのまひと
[?―719]

奈良時代前期の官吏。大宝律令(りつりょう)の撰修(せんしゅう)に参画したことと遣唐使とで有名。689年(持統天皇3)筑紫大宰(つくしのだざい)であったと『日本書紀』にみえる。

700年(文武天皇4)大宝律令撰定の功を賞せられ、翌年遣唐使および参議に任ぜられ、702年入唐。

唐帝則天武后(そくてんぶこう)は彼を麟徳(りんとく)殿に招宴し司膳卿(しぜんけい)を授けた。『旧唐書(くとうじょ)』に「真人好んで経史を読み、文を属(つく)るを解し、容止温雅なり」と褒めている。

704年(慶雲1)帰朝後の報告によると、唐の楚州(そしゅう)に着き唐人と問答したとき、彼が「海東に大倭国(だいわこく)あり君子国という。

人民豊楽、礼儀敦(あつく)おこなわると、今使人を看(み)るに儀容大浄(はなはだきよ)し、豈信(あにまこと)ならずや」といったという。真人は官は中納言(ちゅうなごん)を経て大宰帥(だざいのそち)に進み、位は正三位(さんみ)にまで上った。