糟屋郡

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福岡県糟屋郡の位置(1.宇美町 2.篠栗町 3.志免町 4.須恵町 5.新宮町 6.久山町 7.粕屋町)

糟屋郡(かすやぐん)は、福岡県筑前国)の

人口229,897人、面積164.64km²、人口密度1,396人/km²。(2018年4月1日、推計人口

以下の7町を含む。

屋郡と屋町では「かす」の漢字が異なっている(常用漢字外)。

郡域

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記7町のほか、下記の区域にあたる。

歴史

郡名の由来は不明だが、その歴史は古く、京都の妙心寺国宝梵鐘には「戊戌年四月十三日壬寅収糟屋評造舂米連廣國鋳鍾」という銘があり、戊戌年、西暦698年に舂米連広国(つきしねのむらじひろくに)という糟屋(こおり)の長官であった人物がこの鐘を鋳造させたことが記されている。その後も、『筑前国風土記』(逸文、713)、『日本書紀』(720)、『延喜式』(927)、『和名抄』(931–938)に一貫して「糟屋」という文字で現れる。『日本書紀』に記された磐井の乱の経緯が史実ならば、大和朝廷に筑紫君葛子が糟屋の屯倉を献上したのは528年となる。 『和名抄』によれば10世紀当時糟屋郡には香椎郷(カスヒ)・志阿郷(志珂の誤りか)・厨戸郷・大村郷(オホムラ)・池田郷・阿雲郷(阿曇の誤りか)・柞原郷(クハラ)・勢門郷(セト)・敷梨郷の9郷が存在した[1]

福岡藩時代およびそれ以前より1889年明治22年)に町村制が施行されるまでは、糟屋郡北部は裏糟屋郡、南部は表糟屋郡に分けて支配されていた。

郡域南部には粕屋炭田と呼ばれる炭田が広がっており、明治以降石炭産業で栄えたが、1960年代にエネルギー源が石炭から石油へ移行したため郡内の炭鉱はすべて閉山し、人口・産業などの面で衰退した。その後、隣接する福岡市の発展により、ベッドタウンとして人口が増加に転じた。

2005年4月1日、それまで日本の郡の中で最も人口が多かった愛知県海部郡のうち4町村が愛西市として市制施行したことで、日本で一番人口の多い郡となった。粕屋町・志免町・篠栗町は同年までの5年間の人口増加率が県内1 - 3位である。

2007年1月29日、新宮町をのぞく6町の間で「合併研究会事務局」を開設。4月以降に任意合併協議会を発足し、同年12月をめどに法定合併協議会へ移行した。2010年2月の合併を目指してきたが、具体的な話は進んでいない。

古代

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

テンプレート:筑前国糟屋郡の式内社一覧
神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
凡例を表示

近世以降の沿革

久原村、蒲田村、萩尾村、猪野村、山田村、上山田村、大隈村、和田村、津波黒村、高田村、金出村、名子村、田中村、篠栗村、尾仲村、乙犬村、若杉村、江辻村、旅石村、植木村、本合村、酒殿村、仲原村、上仲原村、佐谷村、障子岳村、宇美村、炭焼村、四王寺村、田富村、吉原村、南里村、新原村、志免村、井野村、上須恵村、須恵村、箱崎村、内橋村、戸原村、土井村、多田羅村、松崎村、名島村、阿恵村、新長者原村、別府村、御手洗村、原町村、津屋村、柚須村、八田村、浜男村、香椎村、下原村、唐原村、三苫村、三代村、湊村、上和白村、下和白村、原上村、小竹村、立花口村、下府村、上府村、奈多村、庄村、古賀村、鹿部村、青柳村、青柳町、川原村、今在家村、筵内村、久保村、新原村、薦野村、米多比村、薬王寺村、谷山村、小山田村、的野村、相之島村、塩浜村、新宮村[2]
  • 明治4年7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により福岡県の管轄となる。
  • 明治初年 - 上仲原村が仲原村に合併。(85村)
  • 明治8年(1875年
    • 上山田村が山田村に、障子岳村が宇美村にそれぞれ合併。(83村)
    • 明治11年までの間に本合村が上木村に合併。(82村)
  • 明治11年(1878年11月1日 - 郡区町村編制法の福岡県での施行により、行政区画としての糟屋郡が発足。郡役所が箱崎村に設置。
  • 明治13年(1880年) - 那珂郡志賀島村・勝馬村の所属郡が本郡に変更。(84村)

町村制以降の沿革

ファイル:Fukuoka Kasuya-gun 1889.png
1.箱崎町 2.大川村 3.席内村 4.勢門村 5.和白村 6.志免村 7.立花村 8.志賀島村 9.篠栗村 10.須恵村 11.小野村 12.青柳村 13.仲原村 14.新宮村 15.多々良村 16.香椎村 17.宇美村 18.久原村 19.山田村(紫:福岡市 桃:古賀市 赤:篠栗町 橙:新宮町 黄:久山町 緑:粕屋町 青:合併なし)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町18村)
    • 箱崎町 ← 箱崎村、席田郡下臼井村[字出作](現・福岡市)
    • 大川村 ← 戸原村、新長者原村、内橋村、江辻村、大隈村(現・粕屋町)
    • 席内村 ← 莚内村、久保村、庄村、古賀村、鹿部村(現・古賀市)
    • 勢門村 ← 乙犬村、尾仲村、若杉村、田中村、和田村、津波黒村(現・篠栗町)
    • 和白村 ← 三苫村、塩浜村、上和白村、下和白村、奈多村(現・福岡市)
    • 志免村 ← 南里村、志免村、田富村、吉原村、別府村、御手洗村(現・志免町)
    • 立花村 ← 原上村、三代村、立花口村、的野村(現・新宮町)
    • 志賀島村 ← 志賀島村、勝馬村(現・福岡市)
    • 篠栗村 ← 篠栗村、金出村、萩尾村、高田村(現・篠栗町)
    • 須恵村 ← 新原村、佐谷村、上須恵村、須恵村、旅石村、植木村(現・須恵町)
    • 小野村 ← 谷山村、小山田村、薬王寺村、薦野村、米多比村(現・古賀市)
    • 青柳村 ← 青柳村、小竹村、青柳町、川原村、今在家村、新原村(現・古賀市)
    • 仲原村 ← 仲原村、原町村、阿恵村、柚須村、酒殿村(現・粕屋町)
    • 新宮村 ← 下府村、上府村、新宮村、湊村、相之島村(現・新宮町)
    • 多々良村 ← 蒲田村、名子村、八田村、土井村、津屋村、多田羅村、松崎村、名島村(現・福岡市)
    • 香椎村 ← 香椎村、浜男村、唐原村、下原村(現・福岡市)
    • 宇美村 ← 宇美村、炭焼村、四王寺村、井野村(現・宇美町)
    • 久原村(単独村制。現・久山町)
    • 山田村 ← 山田村、猪野村(現・久山町)
  • 明治29年(1896年7月1日 - 郡制を施行。
  • 大正9年(1920年10月20日 - 宇美村が町制施行して宇美町となる。(2町17村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和2年(1927年1月1日 - 篠栗村が町制施行して篠栗町となる。(3町16村)
  • 昭和13年(1938年4月17日 - 席内村が町制施行・改称して古賀町となる。(4町15村)
  • 昭和14年(1939年)4月17日 - 志免村が町制施行して志免町となる。(5町14村)
  • 昭和15年(1940年12月27日 - 箱崎町が福岡市に編入。(4町14村)
  • 昭和18年(1943年2月11日 - 香椎村が町制施行して香椎町となる。(5町13村)
  • 昭和25年(1950年)4月1日 - 多々良村が町制施行して多々良町となる。(6町12村)
  • 昭和28年(1953年
    • 4月1日 - 須恵村が町制施行して須恵町となる。(7町11村)
    • 7月5日 - 志賀島村が町制施行・改称して志賀町となる。(8町10村)
  • 昭和29年(1954年11月1日(10町8村)
    • 新宮村が町制施行して新宮町となる。
    • 和白村が町制施行して和白町となる。
  • 昭和30年(1955年)4月1日(8町4村)
    • 2月1日 - 香椎町・多々良町が福岡市に編入。
    • 4月1日
      • 篠栗町・勢門村が合併し、改めて篠栗町が発足。
      • 新宮町・立花村が合併し、改めて新宮町が発足。
      • 古賀町・青柳村・小野村が合併し、改めて古賀町が発足。
  • 昭和31年(1956年9月30日 - 久原村・山田村が合併して久山町が発足。(9町2村)
  • 昭和32年(1957年3月31日 - 大川村・仲原村が合併して粕屋町が発足。(10町)
  • 昭和35年(1960年8月27日 - 和白町が福岡市に編入。(9町)
  • 昭和46年(1971年4月5日 - 志賀町が福岡市に編入。(8町)
  • 平成9年(1997年10月1日 - 古賀町が市制施行して古賀市となり、郡より離脱。(7町)

変遷表

脚注

  1. 和名抄に見える糟屋郡の郷名”. まちの史跡めぐり 第37回 (広報すえまち 2000/4). . 2009閲覧. 郡名「粕屋」について”. 町史のひとこま 第10回 (広報すえ 1981/4). . 2009閲覧.
  2. 無高のため記載なし。

参考文献

関連項目