紀年法

提供: miniwiki
2019/5/1/ (水) 21:48時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

紀年法(きねんぽう)

国や民族の歴史を計算する際,起算の年を定めて紀元として計算する方法。西洋最古の紀元としては,新バビロニア帝国の祖ナボポラッサルに始る「ナボポラッサル紀元」がある。これは,前 747年を起点としてバビロンの地に君臨したバビロニア,ペルシア,そしてアレクサンドロス3世 (大王) とその後継者を通して数えられたものである。このほか「アレクサンドロス紀元」「アウグスツス紀元」,古代ギリシアには「トロイ紀元」「セレウコス紀元」,ローマには「ローマ建国紀元」などがある。キリスト教に基づくものとして「アブラハム紀元」「天地創造紀元」その他があるが,「キリスト紀元」が最も長く,影響力をもって今日にいたった。これは6世紀前半頃ローマで活躍した司祭ディオニシウス・エクシグウスが『復活祭の書』のなかで「キリスト降誕紀元」を使ったのが最初といわれ,やがて9世紀のカルル1世 (大帝) のときに,他の紀元に対して決定的優位を得て今日にいたった。インドでは政治的なもの,天文暦法的なもの,宗教的なものなど多数の紀元があり,たとえば「グプタ紀元」「カニシカ紀元」などがある。またイスラム圏ではイスラムの「ヘジラ紀元」 (622年ムハンマドがメッカからメジナへ逃れた年から数える) が最も有力である。東洋諸国には王朝ごとに短期間の紀年法があり,これを元号もしくは年号と呼んだ。中国では元号と干支紀年法が盛んであったが,紀元に相当するものとしては 1911年,黎元洪が革命政府を樹立したときに黄帝の即位年から数える「黄帝紀元」を採用したことがあり,これは宋代以来の著述にみられることがある。中華民国成立以降は「キリスト紀元」が用いられている。日本では『日本書紀』の神武天皇の即位年から始り,聖徳太子が,讖緯 (しんい) 説によって,推古天皇9 (601) 年から一蔀 (いっぽう。 1260年) さかのぼらせて定めたものといわれるものがある。江戸時代にはかなり一般化し,明治5 (1872) 年明治政府は太政官布告をもって「日本紀元」と定め,翌年の2月 11日を紀元節としたが,ともに 1948年廃止された。

----


楽天市場検索: