経験

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経験(けいけん、: experience)とは、

  • 実際に見たり、聞いたり、行ったりすること[1]
    • 外的現実や内的現実との直接的な接触[2]
    • 「認識」としてはまだ組織化されていない、事実の直接的な把握[2]
    • 何事かに直接(触れたり)ぶつかることで、何らかの意味でその人の「自己」(人間性)を豊かにすること[2]
    • 何事かに直接触れたりぶつかることで、そこから技能や知識を得ること[2]
  • (哲学用語)感覚や知覚によって直接的に与えられるもの[1]。感覚・知覚から始まって、道徳的行為や知的活動までを含む体験のうち、自覚されたもの[2]

概要

経験とは、実際に見たり、聞いたり、行ったりすることである。

観念・認識との関係

そもそも観念認識がどのように得られるのか、ということについて長い議論の歴史がある。プラトンは、想起(アナムネーシス)なのだ、とした。 生得観念がある、とする説もあった。 17~18世紀の経験論では、「認識の源泉はもっぱら経験だ」「一切の観念は感覚的経験から生じる」などと考え、生得観念を否定した(が、現代では、それほど単純なものではない、とされている。)。

知識との関係

(本などで文字・文章を読んでも得ることができず)経験によってのみ得られる知識を経験知と言う。 人間が現実世界で生きて行くためには経験知が非常に重要なので、部屋に籠って本ばかり読んでいるのではなく、幼いうちから外の世界に出て、さまざまな経験をする(経験を積む)ことが望ましいとされている。

経験によって見出した法則を「経験則」と言う。

神経科学

20世紀の神経科学的に、「経験」に関連することを言えば、感覚器が刺激されると、感覚器の発する信号が神経を伝わり脊髄、あるいは小脳大脳などに伝わり様々な反応が起きることは理解されるようになっている。

仕事・職業において

仕事(職業上の活動)をする上で、経験は重要な要素である。世の中のほとんどの職業は、文字による知識(座学的な知識)だけでは実際には行うことができないことのほうが多い。

テキスト(教科書)などに書かれていないこと、言語化して文字や音声などで伝えることは困難な要素が山のようにあり、それを実際に身体(腕・手、脚・足、肌、耳、口、眼など)をフルに使って習得しなければならない。

例えば、ハンバーガーショップで、アルバイトがやっているハンバーガーを作る(ハンバーガーのパティを定期的に焼きつつ、作業台上に包装紙を置いて そこにバンズに乗せ、ピクルスをのせソースをかけ、焼き済みのパティをトングでトレーから取り出しバンズにのせ、さらにバンズを1枚のせ、両手の平で包装紙で包み、レジ側にすべるように送り出す、)という簡単な作業ですら、(たとえ業務マニュアルがものすごく分厚くできていても)業務マニュアルを読んだだけでは、誰もうまくできるようにはならない。必ず、先輩の店員や先輩のアルバイトの人に、眼の前で手本となる動作をやってもらい、自分でも数十回やってみて、(やってみても、ほとんどの場合、誰もが最初は多かれ少なかれ間違った動作をしているもので)その間違いを、先輩の身体を使って修正してもらったり、うまくいっている点を「○○○○の部分はうまくいっているが、○○○の部分はもっと....な感じでするように修正したほうがよい。」などと指示してもらい、手本となる動作も何度も何度も示してもらわないと、うまくできない。(本人には最初、どうにも意識できない点を)言葉ではなくむしろ、トレーナー役の人の全身を使った動作・眼の動き・口の動き・音声などで、実際の手本を示してもらうことが大切になる。

このように、新人に必要な経験を積ませることを、人事用語では、「OJT(On-the-Job Training オンザジョブ・トレーニング)」、実地訓練、などと言っている。

これとかなり関係することだが、山本五十六は「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。」と言ったという。経営者側、マネージャー側の人間が、仕事ができる人間を育てようとする場合、「言う」だけでは全然だめで、まず「(具体的に、手本的なことを)やって、見せる」ことが一番大切で、「言う」はその後で、さらに当人に当人の身体を使ってさせる必要がある、と言っているのである。経験が大切なのである。(なお、さらに、褒めることもまでやってやらないと、せっかくの経験も、訓練生の行為・動作として定着しない、とまで言っているのである。)

脳の活動のうち、非言語的な面がものすごく重要なのである。全身を使うことに関する記憶(眼や耳といった感覚器のそれだけでなく、自分の関節の角度の感覚や筋肉の力の入り方や筋肉のリラックスの感覚も含めたもの)などの経験的な知は「身体知」と呼ばれている。身体知は、本で文字を読むだけでは身に付かない。

例えば、刀鍛冶の仕事で、刀を槌で打つ作業をするにしても、ある人が本に文字で書かれた説明だけを読んだだけで現場に行き、そこでいきなり「ホラ、やってみな」と言われても、まったく行うことができない。実際に、眼の前で、師匠や先輩にお手本的な動作をしていただいて、自分の眼を見開いて、しっかりと自分の心に刷り込んで、そしてそれによって、自分がその動作をしているところをあらかじめイメージがおぼろげながらに生まれ、次に、(現場の様々な道具に囲まれた特定の状態で)先輩の姿勢を真似して自分の姿勢をととのえ、槌を実際に持たせてもらい、手でその槌の固有の重みを感じつつ振りおろしてみて、最初は全然イメージどおりに振りおろせず、「そうじゃない!」「こうやるんだ。」などと、間違った動作を修正するために、何度も師匠や先輩に手本の動作を提示してもらったり、間違った側の手や足を「つついて」もらうことで、間違っているのにもかかわらず自分では気付けずにいる箇所を意識させてもらったりすることを何時間も、何十時間も繰り返すうちに、ようやく少しずつ正しい動作ができるようになっていくわけである。

刀鍛冶だけでなく、他にも料理人など、様々な職人の世界でもおおむね同じである。

ただし、職人の世界では、一般に(非常にしばしば)「教えてもらおうとするな! 言われなくても、自分で師匠や先輩の技を勝手に見て盗め」と言われている。また、「教えてもらったものは身に付かない。自分で盗んで、何度も何度も挑戦して苦労しつつ自分のものにしたものしか自分のものにならない。簡単に教えてもらったものは簡単に記憶から消える。3日で教わったことは3日で忘れる。」などと言われている。

(職人の世界はある意味、厳しさが要求され、極端になっており)それが若い人には厳しすぎると感じられることも増え、 一部の業界では、最近では若い人にやさしくなり、言葉も並行して使って教えるようになっているが、(たとえ師匠や先輩が言葉で教えてあげたいと願っても)それでも、仕事というのは、やはり言葉では教えられないことのほうが多いのである。

職種によるが、多くの職業で、「一人前になるには、10年かかる」「10年は経験積まないとねぇ」とか「5年はかかるねぇ」などと言われている。

新人に対してOJT、実地訓練を積ませるのには、眼に見える形、眼に見えない形で様々なコスト(トレーナー役をする人がかかりきりになる時間の人件費、業務上ほとんど役に立っていない新人に対して払わなければならない給料、設備がトレーニングに占有されてしまうことによる潜在コスト)などがかかる。

また、経験の無い人に本格的な訓練を行うのには、(途中で止められたりせず、うまくいった場合ですら)日数・年月がかかる。すでに経験を積んだ人は、かなりの短期の(企業ごとに異なる面の微調整的な、簡易な)訓練で済ませて「即戦力」として働いてもらえる。

よって、経営者にとっては、すでに経験をある程度積んでいる人を採用するほうが、トレーニングのコストを削減できて、経営的には助かることになる。また、短い期間で仕事ができる人を増やしたい場合も、(訓練に長期間を要する未経験者を避け)経験者を優先する、ということになる。よって、ある程度経験を積んだ人のほうが 採用では有利になる。経験は、雇用の世界での「パスポート」や「通行手形」のように機能する面があるのである。

よって、好運にも経験を積む機会が得られたら、あまり眼先のことにとらわれて、あるいは眼先の完璧さばかりを求めて 不平不満ばかりを言ったりするようなことを止め、とりあえず経験を積んでおくのが得策なのである。何かがあり他の企業で仕事を得る必要が生じた場合、すでにある分野での経験があることによって、他の企業でも雇用される可能性は増すからである。一般に「若いうちの苦労は、金を払ってでもしろ」と言われている。この文章の「苦労」は、「経験」と置き換えてもよい。

匠の技

職人の経験知、「職人」「匠の技」は、当人にとっても「説明不可能」なことが多い[3]

製造業では機械加工(産業用ロボットなどによる)を凌ぐ工作精度を実現し、あるいは高性能な分析器を凌ぐ分析能力を発揮したりする事がある。日本の宇宙開発分野でも、この「職人の勘」や「匠の技」が生かされている。

近年ではこれら「職人の勘」を、なんとかして理論化したり数値化することで、一部でもいいから取り込んで、それによって高精度の加工技術・分析技術の一部を自動化させよう、などといった工学上のプロジェクトもある。

脚注

  1. 1.0 1.1 大辞泉
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 広辞苑 第六版 「経験」
  3. 例えば熟練した木工職人は、作業する日の気温や湿度を肌で・木の性質を見た目や触れた感触で感じ取って、微妙に作業精度を変化させ、湿度によって変化の生じやすい、あるいは各々の材木によって千差万別な性質を生かしたまま、常に安定した製品(または工芸品)を作ることができると言われている。


関連項目