背広

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ファイル:Oxfordian, Bowler and Cashmere.jpg
3つのボタンのうち真ん中だけを止めた、背広の着こなし。
ファイル:Gentleman in bowler.JPG
三つ揃いのスーツ。
ファイル:FDR at Groton April 1900.JPG
三つ揃いのスーツの一例。

背広(せびろ)は、主として男性用の上着で、テーラードカラーで腰丈のもの。またこの上着と共布のズボンからなる一揃いのスーツのこと。スーツの場合はウェストコートベストなどと呼ばれる共布のチョッキを加えるものもある。[1]

語源

「セビロ」の語は幕末から明治初期にかけてみられるが、一般には明治20年(1887年)頃から用いられたとされる[2]

語源については

  1. 背筋に縫い目がないところから「背広」の意。
  2. 「sack coat」の訳語で「ゆったりした上衣」の意。
  3. 市民服を意味する「civil clothes」から変化した説。
  4. ロンドンの高級紳士服店街「サヴィル・ロウ」から変化した説。
  5. 紳士服に用いられる良質の羊毛・服地を意味する「シェビオット(Cheviot)」から変化した説。

など複数あるが、外語由来とする説が有力である[3]杉本つとむは『増訂華英通語』に「ベスト(上着)」の意で「背心」、「new waistcoat」として「新背心」など、紳士服の訳語に「背」の字が使用される(ただし、sack coatの訳にはみえない)ことに注目し、中国語に由来するとの仮説を提示している[4][5][6]

なお、平成27年の文化庁の「国語に関する世論調査」では「背広」を主に使うという人が19.8%、「スーツ」を主に使うという人が68.2%で、「背広」という表現は特に若年層には使われておらず死語になりつつあると指摘されている[7]

歴史

モーニングコートの裾を切り落とした上着が19世紀イギリスで生まれた。イギリスではラウンジ・スーツ(Lounge Suit)、アメリカ合衆国ではサック・スーツ(Sack Suit)と呼ばれ、当初は寝間着・部屋着、次いでレジャー用だった。しかし19世紀末から20世紀の初頭にかけてアメリカのビジネスマンがビジネスウェアとして着用し始め、その後世界的に普及した。

襟は軍服立襟から変化したと言われている。この上襟(カラー)が折り返された折襟(ギリーカラー)の狩猟用コートがヴィクトリア朝時代のイギリスで流行し、この第1ボタンを外して外側へ折り返された部分が下襟(ラペル)となった。その後あらかじめ襟上部を外側へ開襟して仕立てたものがモーニングコートの襟となり、現在のスーツにも受け継がれた。

スーツの元祖となるのはスリーピース・スーツであり、イギリスで生まれたスーツは当初貴族紳士の嗜みとされていた。アメリカ人も入植初期の頃はイギリス様式そのままのスリーピース・スーツを着用し、ツーピース・スーツなどは存在しなかった。ツーピース・スーツはこれを簡略化したものである。

日本では幕末末期〜明治時代以降着られるようになる。その頃のスーツはイギリス製、アメリカ製、フランス製が主流だったが、当時はスリーピース・スーツしかなかったので当時の日本人が着たスーツはいずれもスリーピース・スーツであった。ただし、明治時代の日本では男性の洋装としてはむしろフロックコートが主流で、大半の日本人は和装だった。

制服軍服)としては長らく立襟型のジャケットが用いられてきたが、市民服としての背広の一般化に伴い制服として背広型が採用されることも多くなってきた(詳細については軍服学生服の項も参照)。

第二次世界大戦以前の1930年代頃は3つボタンのスーツが主流。その後次第に「ローリングダウン(段返り)」と呼ばれる、第2ボタンを止めて第1ボタン部はラペル(下襟の返し)と一緒に開襟する着用方法がアメリカを中心に流行し、やがて段返り着用を前提に仕立てられた3つボタンスタイルのスーツ(襟のアイロンが第2ボタン直上までかけられていて、第1ボタンを閉めない上着)が登場した。その後段返りスーツから第1ボタンが省略され2つボタンスーツが誕生。同大戦後はほぼ2つボタンが主流の座となるものの、1960年代初めより後半にかけ世界的に3つボタンが流行。ただし日本では早くも大正期から2つボタンスーツが普及しており[8]、戦前〜戦中期にかけて勢力を強めている(当時の小柄な日本人に合わせたものと推測される)。その後日本では1990年代半ばより3つボタンが再度普及していった。

日本ではバブル期にルーズなシルエットのダブルが流行した。現在は若い世代がシングル2つボタン、中年以上の世代ではシングル3つボタンと2000年代初め頃までとは立場が逆転したが、2007年末ころから段返りシングル2つボタンも次第に復活してきている。ダブルも壮年層を中心に根強い固定支持層がある。

礼装の簡略化に伴い、モーニングコートなどの正礼装やタキシードなどの準礼装を着用するほどでない場では、紺色や灰色など濃色の背広であるダークスーツの略礼装を着ることがある。


参考資料

  • 辻元 よしふみ,辻元 玲子 『スーツ=軍服!?―スーツ・ファッションはミリタリー・ファッションの末裔だった!!』 彩流社、2008年3月。ISBN 978-4-7791-1305-5。
  • ハーディ・エイミス 『ハーディ・エイミスのイギリスの紳士服』 森 秀樹訳、大修館書店、1997年3月。ISBN 978-4-469-24399-4。

出典

  1. 広辞苑第5版
  2. 日本国語大辞典、第12巻(せさーたくん)、p.66、1976年4月15日発行、第1版第2刷、小学館
  3. 日本国語大辞典、第12巻(せさーたくん)、p.66、1976年4月15日発行、第1版第2刷、小学館
  4. 精選版 日本国語大辞典(電子版)、2006年
  5. 数え方単位辞典 「せびろ」の項
  6. 増訂華英通語 首飾類 p.51(原本ではp.20)
  7. 「背広」は死語? 20代3割「知らない」、「せびれ?」の珍回答も…クールビズで消費も縮小 産経新聞 2018年8月26日閲覧
  8. 『読売新聞』1918年2月23日朝刊p.5

関連項目

外部リンク