能美郡

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石川県能美郡の範囲(緑:川北町 薄黄:後に他郡に編入された区域)

能美郡(のみぐん)は、石川県加賀国)の

人口6,332人、面積14.64km²、人口密度433人/km²。(2018年4月1日、推計人口

以下の1町を含む。

郡域

1878年に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、下記の区域にあたる。

歴史

古代から近世まで

  • 823年 - 江沼郡の北部が分立して発足。
  • 天正8年(1580年) - 柴田勝家により検地が行われ、白山麓十八ヶ村の内、尾添村・荒谷村を除く白山麓十六ヶ村は越前国大野郡に編入。 
  • 寛文8年8月16日1668年9月22日) - 福井藩加賀藩の間の白山を巡る権利争い(白山争論)の解決策として、福井藩領の越前国大野郡の白山麓十六ヶ村と、加賀藩領の本郡尾添村・荒谷村が幕府領となる。『加賀藩史料編外備考』など加賀藩側の史料では、この時をもって白山麓十八ヶ村がすべて加賀国本郡に編入したとしているが、江戸幕府が作成した「元禄郷帳」では「越前加賀白山麓」として、越前国郷帳の下に白山麓十八ヶ村が記載されており、白山麓を越前・加賀双方に所属させなかったとする見方もある。その後の「天保郷帳」では白山麓十六ヶ村は越前国大野郡に、尾添村・荒谷村は加賀国本郡に記載されており、第1次府県統合の頃まで白山麓十八ヶ村の内、尾添村・荒谷村のみが本郡に帰属していたと考えるのが一般的である。[1]

近代以降の沿革

  • 旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り[2]。なお木村礎校訂「旧高旧領取調帳」では白山麓16村を本郡に所属するものとして扱っているが、白山麓16村が本郡に正式に帰属となったのは第1次府県統合の最中の明治5年11月17日の布達によってである[3]。《 》は同データベースでは左記の村に含まれていると見られる。(1町252村)[4]
  • 明治2年
    • 6月17日1869年7月25日) - 版籍奉還により加賀藩(通称)の正式名称が金沢藩となる。
    • 湊村が石川郡本吉町と合併して石川郡美川町となり、郡より離脱。旧・湊村を南郷、旧・本吉町を北郷と称する。
  • 明治3年12月22日1871年2月11日) - 幕府領が本保県の管轄となる。
  • 明治4年
    • 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が金沢県大聖寺県の管轄となる。
    • 11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により、大聖寺県の管轄区域が金沢県、本保県の管轄区域(白山麓18村)が福井県の管轄となる。なお明治維新後に白山麓を巡る管轄争いが再発しており、金沢県と本保県の交渉により、白山麓18村の内、当時より本郡に所属していた尾添村、荒谷村が金沢県に編入されたとする資料も存在するが、太政官の指令では白山麓18村全域が福井県の管轄となっている。[3]
    • 12月20日1872年1月29日) - 福井県が改称して足羽県となる。
    • 石川郡美川町の一部(南郷)が分立して湊村となり、本郡の所属となる。
  • 明治5年
    • 2月2日(1872年3月10日) - 金沢県が改称して石川県となる。
    • 11月17日(1872年12月17日) - 足羽県管轄の白山麓18村が石川県へ移管となり、また越前国大野郡所属の白山麓16村が本郡に編入され、本郡全域が石川県の管轄となる、[注釈 1]
  • 1875年(1町251村)
    • 古浜村・国府村が合併して古府村となる。
    • 二曲村・清水村が合併して出合村となる。
  • 1876年(1町249村)
    • 牛首村・風嵐村が合併して白峰村となる。
    • 向川原村が朝日村に合併。
  • 1878年12月17日 - 郡区町村編制法の石川県での施行により、行政区画としての能美郡が発足。郡役所を小松町に設置。
  • 1882年 - 荒谷村(現・小松市)が西荒谷村に、二口村(現・能美市)が西二口村に、島村が桑島村にそれぞれ改称。
  • 1883年 - 荒谷村(現・白山市)が東荒谷村に、二口村(現・白山市)が東二口村にそれぞれ改称。
  • 1886年 - 安宅村が改称して安宅町となる。(2町248村)

町村制以降の沿革

  • 1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(2町42村)
ファイル:Ishikawa Nomi-gun 1889.png
1.小松町 2.安宅町 3.串村 4.末佐美村 5.今江村 6.本折村 7.浅井村 8.蓮江村 9.牧村 10.粟津村 11.木津村 12.瀬谷村 13.大杉村 14.別宮村 15.河野村 16.吉原村 17.金野村 18.新丸村 19.尾口村 20.白峰村 21.中海村 22.粟生村 23.湊村 24.久常村 25.里川村 26.古河村 27.国造村 28.高田村 29.田川村 30.福江村 31.江ノ島村 32.釜屋村 33.湯野村 34.長野村 35.寺井村 36.中島村 37.草深村 38.砂川村 39.西尾村 40.千針村 41.白木村 42.沖杉村 43.山口村 44.宮内村(紫:小松市 桃:白山市 赤:能美市 橙:川北町)
  • 1891年
    • 7月1日 - 郡制を施行。
    • 11月21日(2町43村)
      • 粟生村の一部(三道山・東任田・吉光・西任田・赤井)・湊村の一部(吉原)が分立して吉田村が発足。
      • 白木村の一部(佐々木)が沖杉村に編入。
      • 白木村の残部(小寺・園・上小松・白江)が改称して園江村となる。
      • 牧村の一部(根上)が江ノ島村に編入。
  • 1907年8月5日 - 下記の各村の統合が行われる。いずれも新設合併。(2町23村)
    • 寺井野村 ← 湯野村、長野村、寺井村
    • 根上村 ← 福江村、江ノ島村、釜屋村
    • 御幸村 ← 串村、末佐美村、今江村
    • 苗代村 ← 本折村、浅井村、蓮江村
    • 粟津村 ← 木津村、粟津村
    • 大杉谷村 ← 瀬谷村、大杉村
    • 鳥越村 ← 別宮村、河野村、吉原村
    • 国府村 ← 里川村、古河村、国造村
    • 板津村 ← 高田村、田川村、千針村[能美・千代・一針]
    • 白江村 ← 千針村[金屋]、園江村、沖杉村
    • 川北村 ← 中島村、草深村、砂川村
    • 山上村 ← 山口村、宮内村
  • 1923年4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 1926年
    • 6月1日 - 寺井野村が町制施行して寺井野町となる。(3町22村)
    • 7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 1934年4月1日 - 根上村が町制施行して根上町となる。 (4町21村)
  • 1935年時点での当郡の面積は871.98平方km、人口は106,862人(男52,246人・女54,616人)[7]
  • 1940年12月1日 - 小松町・安宅町・牧村・板津村・白江村・苗代村・御幸村・粟津村が合併して小松市が発足し、郡より離脱。(2町15村)
  • 1949年6月1日 - 白峰村・尾口村・鳥越村の所属郡が石川郡に変更。(2町12村)
  • 1954年11月1日 - 湊村が石川郡美川町・蝶屋村と合併し、改めて石川郡美川町が発足。(2町11村)
  • 1955年4月1日 - 中海村が小松市に編入。(2町10村)
  • 1956年9月30日(3町1村)
    • 寺井野町・粟生村および吉田村の一部(三道山・東任田・吉光)・久常村の一部(秋常・末寺・河原新保)が合併して寺井町が発足。
    • 山上村および久常村の残部(北市・徳久・上清水・高座・下清水)・国府村の一部(坪野・金剛寺・館・鍋谷・和気・寺畠・仏大寺)が合併して辰口町が発足。
    • 金野村・西尾村・新丸村・大杉谷村および国府村の残部(下八里・上八里・里川・鵜川・遊泉寺・立明寺・古府・埴田・小野・河田)が小松市に編入。
    • 吉田村の残部(西任田・赤井・吉原)が根上町に編入。
  • 1980年4月1日 - 川北村が町制施行して川北町となる。(4町)
  • 2005年2月1日 - 根上町・寺井町・辰口町が合併して能美市が発足し、郡より離脱。(1町)

変遷表

注釈

  1. 日付は布達が出された日である。実際は、太政官が石川・足羽両県に伝達することを忘却していたため、翌年2月に実施されている[6]。なお、足羽県は布達が届いた時には既に敦賀県に編入され、消滅していた。

出典

  1. 海道静香, 「越前国の村高と所領の変遷(八)」, 若越郷土研究, 46 (3), 13-18 (2001年).
  2. 旧高旧領取調帳」は加賀国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書13 旧高旧領取調帳 中部編」(近藤出版社、1977年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
  3. 3.0 3.1 森山誠一, 「加越能における幕府明治初期の藩県沿革について―能登の旧天領と土方領、白山麓十八カ村そして近江高島郡の飛地を中心に―」, 金沢経済大学論集, 35 (3), (2002), 99-108.
  4. 下記のほか、加賀藩領として《埴田村/河田村/国府村/小野村/古浜村》請新田、《中村/河田村/埴田村/盲谷村/国府村/遊泉寺村/古浜村》請新田、《埴田村/八幡村/鍋谷村/今江村/荒木田村》請新田、《粟生村/下粟生村/東任田村/出口村/赤井村/北市村/吉原村/下清水村/朝日村/橘新村/向河原村/橘村/久五郎島村/田子島村》請新田が記載されている。
  5. 5.0 5.1 5.2 無高のため「旧高旧領取調帳データベース」には記載なし。
  6. 石川県史. 第4編p16-17 近代デジタルライブラリー
  7. 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。

参考文献

外部リンク

  • 川北町 (日本語) - 能美郡に属する町
先代:
江沼郡
行政区の変遷
823年 -
次代:
(現存)

テンプレート:加賀国の郡