船団護衛

提供: miniwiki
2018/7/28/ (土) 11:03時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「せんだんごえい convoy system 海上護衛とも呼ばれる。船団を組んだ船舶を軍艦,航空機によって護衛すること。主として潜…」)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

せんだんごえい

convoy system

海上護衛とも呼ばれる。船団を組んだ船舶を軍艦,航空機によって護衛すること。主として潜水艦攻撃に対してなされる。第1次世界大戦中の 1917年4月,ドイツ潜水艦によって連合国,中立国の船舶 430隻,85万 2000tが撃沈され,危機に瀕したイギリスが対抗策として編出したもの。第2次世界大戦では船団は,駆逐艦をはじめとする護衛艦艇に守られ,救助船と艦艇用のタンカーを随伴した。航空援護は,初期には基地航空隊の威力圏に限られたが,43年4月からは護衛艦艇に航空母艦が加えられ,船団護衛は充実した。第2次世界大戦中に潜水艦によって沈められた連合国,中立国商船のうち,30%が護衛船団に加わっており,60%は単独で航行し,10%が護衛船団を見失った船であった。日本では旧海軍が艦隊決戦主義中心であったのとアメリカ潜水艦の実力を軽視したので商船の護衛には関心が薄く,また日本船舶の交通路は対潜防御に有利な地勢であると判断し,さらに第2次世界大戦開戦初期はアメリカ潜水艦の活動が不活発であったため,対潜防御を軽視した。開戦中期以後商船の被害が増大した頃には,アメリカの進攻作戦も激しくなり,護衛に十分な兵力を充当することができなかった。 43年 11月に海上護衛総司令部を発足させたが,護衛兵力は,艦艇,航空機ともにはなはだしく不足し,効果はなかった。戦争資源の大部分を海外に依存する日本にとって,船団護衛がきわめて劣弱であったことは,日本の敗戦の重大な一因とされている。