荻野正二

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荻野 正二
Masaji Ogino
サントリーサンバーズ
30px
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1970-01-08) 1970年1月8日(54歳)
出身地 福井県遠敷郡上中町
(現三方上中郡若狭町
ラテン文字 Masaji Ogino
身長 197cm
体重 100kg
血液型 O型
選手情報
所属 サントリーサンバーズ
愛称 オギサン
役職 アドバイザー
ポジション WS
指高 250cm
利き手
スパイク 340cm
ブロック 325cm
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荻野 正二(おぎの まさじ、1970年1月8日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、元バレーボール全日本選手。現在はVプレミアリーグサントリーサンバーズのアドバイザー[1]

福井県遠敷郡上中町出身。現役時代のポジションはウイングスパイカー

来歴

中学時代は野球部に所属していたが、背が大きいことを理由に福井工業大学附属福井高等学校に推薦され、同校でバレーボールを始める。堀豊監督は「息の長い選手になって欲しい」などの考えから、荻野の守備力も鍛え上げた[2]

1988年、サントリーに入社。ウイングスパイカーでありながら、堅実なレシーブとトスも上げられる器用さ[3]を買われてバレーボール全日本男子に抜擢され、1989年に代表デビュー。1992年にはバルセロナオリンピックに出場した。

その後もユーティリティ性を活かし、入団以来一貫して所属したサントリーサンバーズになくてはならない存在へと成長。日本リーグ/Vリーグ/プレミアリーグでは1994年度、1999年度、2000年度、2001年度、2002年度、2003年度、2006年度の7回の優勝に貢献した。

アテネオリンピック最終予選終了後に全日本男子監督に就任した植田辰哉の要請でキャプテンとして2005年に約7年ぶりの全日本復帰を果たすと、最年長選手としての豊富な経験もあり、チームの精神的支柱となった[3]

2007年、Vリーグ40回大会記念特別表彰においてVリーグ栄誉賞を受賞。

2008年北京オリンピック世界最終予選では、全日本男子がバルセロナオリンピック以来、4大会(16年)振りにオリンピック出場が決まる対アルゼンチン戦マッチポイントの場面で、最後の勝利スパイクを決めた。

2009年11月、今期のVリーグを最後に引退を表明[4]、シーズン終了後に現役を引退した。

2010年4月、母校の金井学園の特別コーチに就任[5]。5月の黒鷲旗大会ではサントリーのチームスタッフ、コーチとして出場した。

2014年4月、Vリーグの排球大使(アンバサダー)に任命される[6]

2015年9月よりJOCスポーツ指導者海外研修員派遣として1年間、ブラジルに派遣されることが発表された[7][8]

2016年10月、バレーボール全日本男子の次期監督3候補(公募でなく推薦形式)となり、南部正司監督と同様に日本協会の面接を受けたが、もう一人の候補中垣内祐一が選出された[9][10][11]

球歴・受賞歴

  • 全日本代表 - 1989-1993年、1995-1998年、2005-2008年
  • 受賞歴
    • 1989年 第23回日本リーグ サーブ賞・レシーブ賞
    • 1990年 第24回日本リーグ サーブ賞・レシーブ賞・ベスト6
    • 1993年 第27回日本リーグ レシーブ賞
    • 1996年 第3回Vリーグ レシーブ賞
    • 2004年 第11回Vリーグ レシーブ賞
    • 2005年 第12回Vリーグ レシーブ賞
    • 2007年 06/07V・プレミアリーグ レシーブ賞・ベスト6

所属チーム

その他

全日本デビューの頃、松平康隆により「桃太郎」というニックネームが付けられた[12]

脚注

外部リンク

テンプレート:Vプレミアリーグ男子ベスト6