衆愚政治

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衆愚政治(しゅうぐせいじ、英語: ochlocracy、あるいはmobocracy 、mob rule)とは、多数の愚民による政治の意で、民主政を揶揄して用いられる言葉暴民政治(ぼうみんせいじ)とも呼ばれる。

概要

有権者の大半が知的訓練を仮に受けていても、適切なリーダーシップが欠如していたり、判断力が不十分な人間に参政権が付与されている状況。その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな政策が実行される状況を指す。

また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。エゴイズムは自己の積極的利益の追求とは限らず、恐怖からの逃避、困難や不快さの回避や意図的な無視、他人まかせの機会主義、課題の先延ばしなどを含む。

判断力が不十分な市民が意思決定に参加することで、議論が停滞したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定を行い、誤った政策執行に至る場合などを指す。また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えに基づかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求などさまざまな誘引に導かれ意思決定を行うことで、コミュニティ全体が不利益を被る政治状況を指す。また場の空気を忖度することで構成員の誰もが要求していないことや、誰もが不可能だと考えていることを合意することがある(アビリーンのパラドックス)。

大衆論の見地によれば、大衆を構成する個々の人格の高潔さや知性にも拘らず総体としての大衆は群集性(衆愚性)を示現する可能性がある。衆議を尽くすことでしばしば最悪のタイミングで最悪の選択を合意することがあり、リーダーシップ論や意思決定における「合意」の難しさは重要な論点となる。近代民主主義制度においては意思形成(人民公会)と意思決定(執政権)を分離することでこの問題を回避しようとするが、独裁と民主的統制の均衡において十分に機能しないことがある。

主な例

歴史上、最初に衆愚政治と看做され、当代および後世の批判となったのは、古代ギリシア都市国家アテナイである。アテナイにおける衆愚政治は、上記の問題に加えて、公職を籤引きで決定するというシステムによって、専門的な知識が欠落している者ですら国家の重職に就く場合があるという問題を孕んでいた。世界で最初に民主主義をなした国家が衆愚政治に堕した事は皮肉であり、民主主義の最大の欠点を表していると言えるが、同時に世界最初であるがゆえに、まだ民主主義のシステムが洗練されていなかった事も考慮する必要がある。

出典・脚注

  1. 「アテナイ-喜劇『リュシストラテ』を透かして見るその都市像」丹下和彦(関西外国語大学 大阪市立大学大学院文学研究科都市文化研究センター21世紀COEプログラム)[1][2]
  2. この反省から第二次世界大戦敗戦後のドイツ連邦共和国は、国民に「自由と民主主義を守る義務」を課す「戦う民主主義」を導入した。
  3. : the prewar Japanese government
  4. 丸山眞男現代政治の思想と行動未來社、1956-1957年。増補版、1964年。

参考文献

  • 「デモクラシーからオクロクラシーへ」神武庸四郎(一橋論叢2005-12-01)[3]

関連項目