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(こおり、ひょう)

7世紀後半の日本の地方行政単位の名称。古代大和国家では,行政単位として国造制がとられていたが,645年に行なわれたとされる大化改新の数年後,旧来の国造が支配していた領域を分割して,新たに評という行政単位を設けた。その役人を評造 (こおりのみやつこ。評督・助督) といい,徴税などの農民支配に当たった。 701 (大宝1) 年に成立した大宝令により,評は郡に,評造は郡司と改められた。評は郡よりも軍事的性格が強かったと考えられる。なお,評から郡への変更時期をめぐって,長く「郡評論争」が行なわれてきたが,相次いで発見された木簡調査の結果,701年以前のものが「評」を使い,それ以後のものが「郡」を使っているところから,一挙に解決を見た。なお,古代朝鮮でも軍営の置かれた地区を示す語として「評」の語が使われていた。



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