詰め込み教育

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詰め込み教育(つめこみきょういく、 英語: cramming)とは、もっぱら暗記による知識量の増大に比重を置く、あるいは知識の増大を目指す教育方法のこと。

多量の勉強による基礎学力の早期習得を目指す教育や、短期間にできるだけ多くの事柄の学習を目指す教育のことを指す場合もある(後者の場合、知識の増大に比重を置いたり、目標とするとは限らない)。単に学習カリキュラムの内容の増減(や変化)の観点からのみ、「詰め込み教育」と「ゆとり教育」が対語として用いられる場合もある。

概説

詰め込み教育は試験の点数は上がる反面、児童生徒学習動機付け・持続に欠けるという短所があると言われる。

普通教育の最終目標が大学入学試験突破にあり、また当時の高度経済成長下において均質かつ従順で質の高い勤労者を育成する必要があった日本においては、少なくとも1970年代まではこの教育方法が一般的であった。だが、詰め込み教育の一番の問題として、「テスト過ぎたらすべて忘れる」(『剥落学力』と呼ばれる)といった成績のための暗記が一般的になったことがある。また、膨大な量の知識だけをひたすらに暗記させた結果、「なぜ、そうなるのか」といった単純な疑問や創造力が欠如してしまう点も問題である。授業速度の上昇や、現場の準備不足、教師の力不足もともない、落ちこぼれと呼ばれる、授業についていけない子どもが増加した。

1980年代以降、詰め込み教育の短所に対する反省から、児童・生徒の学習の動機付けに重点を置くゆとり教育へと路線を変更することとなった。

詰め込み教育への評価

東京大学元教授で、『超勉強法』などを執筆した野口悠紀雄ゆとり教育を批判し、詰め込み教育の必要性を訴えている。ただし、野口は経済学者で、教育学についての専門的知識・学問的業績はなく、あくまで自身や東大生の受験経験と効率論を踏まえた持論である。

野口の論ずるところによると、土台となる基礎的知識の少ない小中学生に対して、「自由に創造しなさい」と指導しても、多くの児童生徒にとっては困惑する場合が多く、その結果も成熟度のない未熟なものにしかなり得ないと説いている。この事は特に、中学校の教育において、顕著になるとされる。

たとえば、音楽の素養のない生徒に対して、いきなり自由に作曲させるのではなく、ある程度の音楽的な知識と、ピアノの基礎を学ばせる事が必要なのと同じである。これは「ゆとり教育」を完全否定しているのではなく、高校の生徒や大学大学院の学生にこそ「ゆとり教育」が必要であることを示している。

弊害

この教育の結果、前述のように「テストを過ぎたらすべて忘れる」剥落学力等の問題点の他、詰め込み教育の結果「四当五落」「一浪は当たり前」と言われるほどの受験戦争になり、その結果として、勉強についていけない児童・生徒が増加し、いじめ、校内暴力非行体罰、落ちこぼれなどの問題[1]が発生し、学校問題レベルではなく、社会問題となるほどの課題となった。

世界の詰め込み教育

中国でも、国内の学力偏重の詰め込み教育に対して批判が出ている。ただし、スパルタ教育かゆとり教育かではなく、知識重視か体育・芸術重視かを対立軸とする点が日本と異なる。

関連項目

脚注

  1. 詰め込み教育との因果関係が立証されているわけではない。