近衛前久

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近衞 前久(このえ さきひさ)

安土桃山時代の公卿。出家して龍山,東求院と号した。父は稙家,子は三藐院信尹 (近衛信尹 ) 。越後の長尾景虎 (上杉謙信) をたずね,京都に帰って足利義昭と不和になると織田信長に頼った。天正 10 (1582) 年関白,太政大臣となったがまもなく辞し,豊臣秀吉に頼ったが,本能寺の変後不和になり,浜松に徳川家康をたずね,また晩年には子の信尹と不和になるなど不安の一生をおくった。有職故実,暦学,歌道,書道にすぐれていた。




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