選民

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選民(せんみん)とは、特定の集団(民族宗教の信者)が、血統などの独自性に着目して選ばれた特別な存在となる(と信じられる)こと。またはそうして選ばれたと標榜している集団である。

考えの類型

「選民」であるという感覚は宗教に関連して、また宗教以外の事柄にも関連して起る場合がある。例えば、主にキリスト教徒である「アボリショニスト」(奴隷制廃止論者)たちは、自分たちは奴隷たちに自由と権利の平等をもたらすために神に選ばれたと考えていた。 一方で、奴隷所有者(彼らもまたキリスト教徒が大半であったが)の多くも、自分たちは神から奴隷を所有し売買する権利を与えられていると考えていた。

19世紀後半から20世紀前半にかけては、主に列強諸国において生物学的視点から自国民もしくは自民族の優位性を唱える思想が流行した。ドイツのナチスアーリア民族が優等であると考え(アーリアン学説#「印欧語族」と民族主義との結び付き参照)、より「劣等」である他人種に対し社会的に上位に立つ資格を有すると考えた。

他にも、多くの宗教組織、慈善組織が、病人や苦しんでいる人を助けるために自分たちは神に選ばれたのだと考えている。

したがって、選民であるという感覚は、しばしば特定のイデオロギー運動と関連している。選民思想とは、人々を目的の達成へとより激しく駆り立てる、自分が重要な存在であると認識する感覚なのである。

他にはいわゆるマイノリティではあるが逆選民思想ともいえる低所得層とその他の層を隔離し、低所得者層による社会を構築することによってその他の層の民度などを守るといった考えもある。

啓示を受けるために選ばれたという思想

多くの宗教では、神はある特定の預言者やメッセンジャーに啓示を下したと信じられている。

これらの宗教のうちのいくつか、例えばキリスト教イスラム教のいくつかの宗派では、彼らの説く道こそが救済への唯一の道であると教える。一方、他の宗教、例えばキリスト教やイスラム教の他の宗派やユダヤ教ヒンドゥー教シク教仏教ウイッカ、また超越主義English版などでは、その信仰の信者が神へと至る唯一の道を知っているわけではないと考えられている。彼らは他の宗教の信者たちも、それぞれに神へと至る道を持ち得ると考えているのである。

優越感

選民であるという思想は、しばしばエスノセントリズムと関連している。また選民思想は「文化帝国主義」(カルチュアル・インペリアリズム)や人種差別外国人恐怖症を正当化したり作り出すために使われ得る。しかしながら、キリスト教での定義では「選ばれた」という状態は自らを卑下する思想である。なぜなら、この考え方は他者よりも多くの責任を負い、自己をより多く犠牲にすると考えることであるからである。

このような考え方は、例えば新約聖書ピリピ人への手紙」2:5-8に見ることができる。

「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、使える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです」


ユダヤ教

ユダヤ教においては、選民であるという考え方は、ユダヤ人が神と特別な契約を結ぶ唯一の人々であり、その契約を守っていくことによって“終末”においてユダヤ人が救われ、非ユダヤ人は淘汰される(要出典)という思想である。

ユダヤ教の終末思想はキリスト教の審判を伴うような終末思想とは異なり、どちらかというとメシアの出現による平和の到来として描かれる。 ユダヤ教においてモーセが戒律を授かる前の聖書の登場人物、ノア、アブラハム、イツハク、ヤアコブなどはまだユダヤ人でないとされ、ユダヤ教においてはこれらの聖書登場人物と同様、善良な非ユダヤ人(ゲル・トシャブとヘブライ語で言う)も神の恩寵を受けるとされる。 非ユダヤ人は「ノアの戒律」と呼ばれる、7つの基本戒律を守っていれば善良であるとされ、ユダヤの選民思想とは、モーセの戒律から派生する、より多くの戒律にユダヤ人が従わなければならないことを指す。 戒律が多いことは制約が多いことのように一見見えるが、逆説的に、よりはっきりと進むべき道が神より示されたという観点から、モーセの戒律はユダヤ人に特別に与えられた恩寵であると解釈される。

ユダヤ教の選民思想は、まずトーラー(モーセ五書)に見ることができる。そしてより後代に成立したタナハ(ヘブライ語聖書:キリスト教の旧約聖書はほぼこれを踏襲)の中により洗練された形で表現されている。「選ばれた」というこの状態は、「聖約」(聖書に記された神との契約)に示されているように、責任を負うとともに祝福を受けるというものである。この話題については、ラビ文学に多く扱われている。

現代政治においては、中東戦争及びパレスチナ問題を引き起こしたシオニズム活動の大きな要因のひとつとして機能している。これは、ユダヤ教の教理に含まれる、パレスチナは神によって約束されたユダヤ人のための土地であるという考えに基づく入植、建国活動である。ユダヤ人国家建設の地としてアフリカも候補に挙がっていたが、このシオニズム思想の影響もあって現イスラエルの地での建国を目指すべきと会議で決定した。(要出典)イスラエル建国は当初、パレスチナ人から土地を購入し入植することで進められたが、徐々に入植者とパレスチナ人との間で軋轢が生じ、現在のパレスチナ問題に至っている。

ユダヤ教の選民観は、上記のようにユダヤ人が単純に他民族より優れているとするものではない(ユダヤ人にしろ非ユダヤ人にしろ与えられた戒律の順守が必要)が、ユダヤ人の持つ他宗教・他民族への不干渉主義、及び「選民思想」という名前故に、非ユダヤ人からは排他的思想と誤解されることも多い。ユダヤ人の選民意識に基づく態度や行動は、歴史的に非難や迫害を受ける一因となってきたほか、キリスト教の発生にも大きな影響を与えた。

キリスト教

「スーパーセッショニズム」(取替理論 en:Supersessionism)という多くのキリスト教徒が信じている考え方がある。これは、キリスト教徒がイスラエルの民に代って「神から選ばれた人々」になったという思想である。この考え方によれば、ユダヤ人の選民性はイエス・キリストの言葉によって最終段階へと到達したのだから、キリスト教徒に改宗しないユダヤ人は、キリストがメシアであり神の子であるということを否定しており、したがってもはや選民とは呼べない、ということになる。スーパーセッショニズムを信奉するキリスト教徒は、聖書の「ヨハネによる福音書」14:6の、キリストのものとされる次の言葉を引用して、キリスト教徒のみが天国へ至ることができるのだと主張する。「私が道であり、真理であり、生命である。私を通らずに父の元へ至る者はいない。」

一方で、スーパーセッショニズムを否定し、他宗教の信者も天国に至ることができると信じるキリスト教徒もいる。彼らは、例えば「ローマの信徒への手紙」2:6-11の言葉を引用する。「なぜなら神は(中略)それぞれの行いに応じて人々に接するからだ。辛抱強くよい行いをし、栄光と名誉と不滅を求める者には永遠の命を与えるであろう。しかし利己的な野心を追求し、真理に従わず不義に従う者には、怒りと憤りを示すであろう。悪を行う人には、ユダヤ人はもちろんギリシア人であろうと、必ず苦しみと悩みが訪れ、そして善を行う者には、ユダヤ人はもちろんギリシア人であろうとも、必ず栄光と名誉と平和が訪れるだろう。なぜなら神は人々を分け隔てしないからだ。」

また、イスラエルの民が引き続き選民であるとするキリスト教徒はクリスチャン・シオニズムと呼ばれて一定の勢力を持っており、キリスト教右派の支持を受けたジョージ・W・ブッシュ第43代アメリカ合衆国大統領がユダヤ人を選民と発言した際はアラブ人の反発を招いてる[1]

カトリック教会

カトリック教会では長きにわたり、カトリシズムを奉じる者以外(プロテスタント諸派や異教徒、無宗教)に救いはないと教えてきた。しかし第2バチカン公会議以降の多元主義の流れに沿って、現在では福音に触れる機会がなかった、あるいは洗礼を受ける機会がなかった人々であっても神による救いの機会が与えられるとしている[2]

末日聖徒

末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)においては、信者である末日聖徒は自身を選民として考えている。スーパーセッショニズムとは対照的に、末日聖徒はユダヤ人の選民性については論じない。モルモンの教義ではモルモンは「ユダヤ人の血縁である」と教えている。事実、末日聖徒は彼らが次の二つのどちらかにあてはまり、よってイスラエルの失われた10支族であるからこそ選ばれた人々であると考える。すなわち、(1) 一部のアメリカ人、ヨーロッパ人、アジア人、そしてアフリカ人については、末日聖徒は、直接に(通常はエフライム族を経由して)イスラエルの失われた10支族の血を受け継ぐと主張する。(註)(2) 他の末日聖徒はモルモンの教義を認めた際に、養子としてイスラエルの失われた10支族の一員となると考える。

(註)近年、DNA検査により、イスラエルの失われた10支族の末裔がアジアとアフリカの両方に存在すると判明した。これらの人々にはイスラエルに移住する法的権利が与えられている。

クリスチャン・アイデンティティー系集団

クリスチャン・アイデンティティー系の集団は、ナチズム白人至上主義、そしてキリスト教原理主義の融合体に信仰の基盤をおくもので、神はユダヤ人を嫌っており、白人キリスト教徒のみが神に選ばれた人々であるという教義をもつに至っている。なお、これらの集団は、主流派キリスト教会の大部分からはキリスト教徒ではないとして否定されている。

例えば、en:The Covenant, The Sword, and the Arm of the Lord(聖約、聖剣と主の腕)というクリスチャン・アイデンティティー系の組織は、「今日のユダヤ人は神の選びし人々ではなく、それどころか反キリスト種族であり、タルムードの布教、人種間混淆、曲解によって神の人々とキリスト教を破壊することが彼らの目的なのである」と述べている。


世界平和統一家庭連合(旧・統一教会)

世界平和統一家庭連合文鮮明の教えによれば、大韓民国こそが選ばれし国であり、神からの使命を達成するために選ばれた国である。文鮮明曰く韓国は「神によって時代の指導者の生地として選ばれ」たのであり、神の王国の先駆けとして「天上の伝統」が生まれるべき土地として選ばれたのである。

イスラーム

イスラームにおいてはムスリムが選民であるとする信条とそうではないとする信条が併存する。

ムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒は等しく同一の神に仕えていると考えるムスリムはクルアーンのうち3:64、5:5、3:199、16:125、5:82、29:46、3:113-115、2:62のような章句を引き、一方、イスラームがキリスト教徒やユダヤ教徒と敵対的なものとしてとらえるムスリムは、5:51、3:71、2:75のような章句をとる(章節番号はいずれもカイロ版による)。

イスラーム的選民思想では神の啓示を正しく伝える唯一の人々はムスリムだけである。これによるとユダヤ教やキリスト教双方の指導者は故意に神の啓示を変質させ信徒を誤まった道に導いたとし、クルアーンではユダヤ教徒やキリスト教徒といった他の啓典の民(3: 67)は「偽り」であり(3: 71)、ある者は「ゆがめてる」(4: 46)としている。

クルアーンでは、ムスリムと非ムスリムの違いを「意味の壊乱」(アラビア語: تحریف المانای taḥrīfi al-mānā)に求める部分がある。この観点においては、ユダヤ教徒への聖書、キリスト教徒への福音書は真正なものであるが、ユダヤ教徒・キリスト教徒はその啓典の意味を誤って理解しており、したがって明確に神の意志を理解するためにはクルアーンが必要であることになる。またクルアーンには、多くのユダヤ教徒やキリスト教徒は故意に啓典を改竄し、神の言葉を変容させて信徒を欺いている、と言う部分もある。この教義は中世イスラームのユダヤ教やキリスト教に対する議論を通じて深化し「文言の改悪」(アラビア語: تحریف الافزی taḥrīfi al-afzā)の教義として知られる。

しかしキリスト教徒、ユダヤ教徒に対する親近感を抱くムスリムであっても、非アブラハム系の宗教の信者に対する選民意識を持っている場合がある。この場合彼らはムスリムの視点からみると「偶像崇拝」をしており、極端な場合空虚で価値のない教えを信じているとみなされることもある。原理主義的ムスリムの場合、キリスト教徒やユダヤ教徒も含めて、すべての非ムスリムは「地獄に落ちる」とされることもある。[3]

ムスリムの選民意識の具現化としては、非ムスリムとの婚姻に際して相手に改宗を要請すること、イスラームからの離脱の忌避などがあげられている。またイスラーム国家では、選民思想に従い非ムスリムに対するさまざまな差別が課される。

ヒンドゥー教

インドカースト制度は、「選ばれた」存在であるバラモンの先天的権利をある程度認めている。一方で、自らを「選民」と考えるいくつかのカルト新宗教も存在する。例えば、Brahma Kumari World Spiritual Organisationという団体は、世界が終末にあってまもなく滅びる運命にあり、彼らの指導者ブラフマ・ババに今従う者だけが「黄金の時代の天国」に生きることができると説く。すなわち、ブラフマ・ババのみが超越的存在、つまり神の唯一の仲介者であると考えるのだ。

Brahma Kumari World Spiritual Organisationに特徴的な歴史循環の考え方によれば、全ての他のアバター(権現)や預言者はやがて彼らの神のもとを訪れ、部分的に過ぎないもののその教えを享受し、彼ら自身の教えを再構築することになるのである。彼らのみが神の教えの全貌を知っているのであり、完全に無垢となれるのである。

ラスタファリ運動(Rastafari)

ラスタファリ運動は、6つの根本教義を持っている。なかでも最重要なものは、ジャーという名のエチオピア先祖神に根源を持つ黒人種優越思想である。彼らはジャーの眼力によって、全てのほかの民族に対して、精神的にも、肉体的にも最高度に超越出来うると信奉している。

またこの信者の多くのものが、選ばれた少数者ならば、今のままの肉体を永遠に維持できるとする不死の信仰を持っている。死なないと言うのみならず、不変・不朽であると言うことが、この信仰の特長である。

この信仰はユダヤ聖書の信仰と、ケブラ・ナガスタ(Kebra Nagasta)という名のエチオピアの王列伝を基にしたエチオピア伝説を根本にすえている。彼らはソロモン王を信じ、並びにシバの女王を信仰している。そして両者の媾合による子孫がソロマニック・ライン(Solomanic Line)としてエチオピア王家を継いだと信じている。ゆえに彼らの信仰はエチオピア信仰である、またユダヤ信仰でもある。

この信仰に基づき、現実の政治行動が取られたこともあった。1985年スーダン大飢饉の時、オペレーション・モーゼという作戦名で、ベータ・イスラエルと命名されているエチオピアのユダヤ人共同体が、そのままイスラエルへ移送され、救出された。

脚注・参考文献

  1. Bush hails Israel's "chosen people" as Arabs lament | Reuters, Thu May 15, 2008
  2. クリスチャン神父のQ&A Vol.3 - カトリック松原教会 2012年9月16日閲覧。
  3. 真理の教え『イスラーム』を知る ここでは『最初のアーヤではアッラーのみ許にあるディーン(教え)はイスラームしかないということが伝えられ、もうひとつのアーヤではアッラーはイスラーム以外誰からもディーン(教え)を受け入れられないということが伝えられています。死後幸福を得るものはムスリムだけなのです。イスラーム以外の教えで死んだものはアーヒラ(来世)において失敗者で、ナール(業火)で罰せられるのです。』とイスラーム以外のすべての宗教は地獄に落ちると主張している。また『救い(ナジャー)と幸福を望むユダヤ教徒達やキリスト教徒達が本当にムーサーやイーサー(イエス)の追従者になるためにはイスラームに入ってイスラームの使徒ムハンマド(アライヒッサラート・ワッサラーム)に追従すべきなのです。ムーサーやイーサーやムハンマドそれに他のすべての使徒達もムスリム(アッラーへの追従者)で、イスラーム(アッラーへの服従)を説いたのでした。イスラームは既に使徒達に遣わしたアッラーの教えと同じなのです。使徒達の封印であるムハンマド(サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム)が遣わされた後、いかなる預言者もこの世の終末まで現れず、従って預言者と名乗ることは違法』として、キリスト教徒やユダヤ教徒の信仰の存在価値を否定し、更にイスラーム以降の預言者たちはすべて偽預言者であると主張している

関連項目