金大中

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金 大中(キム・デジュン、朝鮮語김대중、1924年? - 2009年8月18日

大韓民国(韓国)の政治家。大統領(在任 1998~2003)。1961年5月国会議員に初当選したが,直後の軍事革命により議員資格を喪失。1963年民政移管に伴う国会議員選挙で当選し,民衆党の要職を歴任。1971年,民衆党と新韓党が合併して結成された新民党の大統領候補に選ばれ,民主共和党候補パク・チョンヒ(朴正煕)に挑んだが敗れた。1972年パクにより維新体制(十月維新)がしかれるとアメリカ合衆国,日本で反政府運動を展開,1973年8月東京のホテルから拉致され,5日後に韓国で解放された。1976年3月,パク体制を批判する民主救国宣言に署名して逮捕,起訴され,懲役 8年の判決を受けたが 1978年に釈放,1980年に公民権を回復した。1980年光州事件の首謀者として再び逮捕され,翌 1981年に死刑判決を受けたが,アメリカ,日本などの助命要請もあり減刑,1982年に刑の執行停止を受けてアメリカへ出国した。1985年に帰国,1987年の「六・二九民主化宣言」で復権,平和民主党を結成し総裁に就任,同年 12月の大統領選挙に出馬したが落選。1988年国会議員に返り咲き,1992年大統領選挙に出馬したが敗北,政界引退を表明した。しかし,1995年に新党の新政治国民会議の総裁となり政界に復帰,1997年の大統領選挙に 4度目の立候補を果たし,民主化闘争時代の政敵,保守派のキム・ジョンビル(金鐘泌),パク・テジュン(朴泰俊)の協力を得て当選,1998年第15代大統領に就任した。就任後ただちに経済危機の克服に取り組み,金融機関の統廃合や財閥改革に努めた。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対し,対話ならびに交流を目指す「太陽政策」を推進し,2000年6月に南北首脳会談を実現,南北共同宣言に署名した。同 2000年,韓国をはじめ東アジアの民主化を先導したこと,南北和解に貢献したことなどが評価され,ノーベル平和賞を受賞。著書に『金大中獄中書簡』『金大中:わが人生,わが道』などがある。



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