銚子電気鉄道線

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停車場・施設・接続路線
STR
JR東: 総武本線
0.0 銚子駅
BHF
0.5 仲ノ町駅
BHF
1.1 観音駅
BHF
1.8 本銚子駅
BHF
2.7 笠上黒生駅
BHF
3.2 西海鹿島駅
BHF
3.6 海鹿島駅
BHF
4.7 君ヶ浜駅
BHF
5.5 犬吠駅 (2)
eBHF
5.9 犬吠駅 (1)
KBHFe
6.4 外川駅

銚子電気鉄道線(ちょうしでんきてつどうせん)は、千葉県銚子駅外川駅とを結ぶ銚子電気鉄道鉄道路線である。全線が銚子市内にあり、関東地方の最東端である犬吠埼の近くを通る。

路線データ

歴史

  • 1913年大正2年)12月28日 - 地元の有志などによって設立された銚子遊覧鉄道の手により、銚子 - 犬吠間が開業(1067mm軌間・蒸気動力)。
  • 1917年(大正6年)11月21日 - 経営が赤字続きであり、また第一次世界大戦が勃発して鉄の価格が高騰したことから、銚子遊覧鉄道線としては開業わずか4年目にして廃止となり、レールは鉄材として売却された。
  • 1918年(大正7年)7月15日 - 銚子遊覧鉄道の廃線跡が、地元の旅館送迎バス専用道路となる。
  • 1923年(大正12年)7月5日 - 銚子遊覧鉄道の設立構成員によって再び設立された銚子鉄道が、銚子遊覧鉄道の廃線跡を転用し、銚子 - 犬吠 - 外川間を開業させる(1067mm軌間・非電化、外川まで延長したのは漁港があったため)。
  • 1925年(大正14年)7月1日 - 直流600Vで電化。笠上黒生駅開業。増資75000円を伊那電気鉄道が引受け筆頭株主となる[1]
  • 1931年昭和6年)6月21日 - 君ヶ浜駅開業。
  • 1935年(昭和10年)8月14日 - 灯台前駅開業。
  • 1942年(昭和17年) - 灯台前 - 外川間の犬吠駅廃止。灯台前駅を犬吠駅に改称。
  • 1945年(昭和20年)
  • 1946年(昭和21年)
  • 1948年(昭和23年)8月20日 - 企業再建整備法により銚子電気鉄道(資本金100万円)を設立し資産を譲渡。銚子鉄道は解散[3]
  • 1955年(昭和30年)4月17日 - 国鉄より乗り入れの毎休日運転の快速列車「房総の休日」号(新宿 - 外川間)運転開始(1960年10月末まで)。
  • 1965年(昭和40年)1月6日 - 夜に変電所故障(電動発電機の故障[2])が発生し1か月間運休。2月6日始発から運行再開。
  • 1970年(昭和45年)3月1日 - 西海鹿島駅開業。
  • 1984年(昭和59年)2月1日 - 国鉄貨物輸送削減のあおりを受け貨物営業廃止。
  • 1990年平成2年) - この頃より銚子駅待合室、観音駅、君ヶ浜駅、犬吠駅の洋風駅への改築や、車両の塗装変更による、観光路線への転換策が図られた。
  • 1995年(平成7年)
  • 2010年(平成22年)
    • 3月13日 - ダイヤ改正で30分ヘッドのパターンダイヤを導入。
      平日のみ運転されていた早朝1往復を通年運転化。パターンダイヤ化により、平日36往復/日、土曜・休日35往復/日を通年33往復/日に削減(いずれも仲ノ町駅 - 外川駅間の1往復を含む)。
    • 12月4日 - 銚子駅でのJR線との接続改善のためのダイヤ改正によりパターンダイヤ終了。
  • 2012年(平成24年)12月20日 - 観音駅付近踏切内で軽自動車と電車の衝突事故が発生。乗員・乗客に怪我は無し[4]
  • 2013年(平成25年)11月21日 - ダイヤ改正により33往復/日から21往復/日に減便。このダイヤ改正により外川発仲ノ町行きが消滅。
  • 2014年(平成26年)
    • 1月11日 - 外川発銚子行きの電車が笠上黒生駅構内のポイント上で脱線。2000形2002編成の2両の連結面寄りの台車がそれぞれ脱線していた。負傷者なし[5]。全線運休となる。
    • 1月26日 - 外川11時5分発銚子行きから運行を再開。なお、事故の影響により16往復/日と仲ノ町始発外川行きに減便となる。
    • 4月1日 - ダイヤ改正を実施。19往復/日とする。
  • 2015年(平成27年)12月1日 - ネーミングライツによる駅名愛称の運用開始[6][7]

運行形態

全列車が各駅停車で、ほぼ全列車が銚子 - 外川間の運転である。2010年3月13日のダイヤ改正より早朝と下り終電をのぞいて1時間につき2本・30分間隔のパターンダイヤとなっていたが、同年12月4日のダイヤ改正により、本数はそのままで不均等な間隔(おおむね1時間あたり2 -3本)で運行されていた。2013年11月21日のダイヤ改正により、朝夕ラッシュ以外は1時間に1本(下りは12時台は電車無し)になり、笠上黒生駅での列車交換も、11時台から16時台までの間と19時台以降は行われなくなった。仲ノ町駅に車庫がある関係で朝6時台に仲ノ町発外川行き、夜20時台に外川発仲ノ町行きの区間列車が設定されていたが、20時台の外川発仲ノ町行きは2013年11月21日のダイヤ改正で消滅した。

ワンマン運転を行っているが、銚子 - 笠上黒生間では運賃収受のために車掌が乗務することが多い。また、規模の割に駅員配置駅も比較的多いため、ワンマン運転を行っている他の鉄道路線に比べると運賃箱を使用した運賃収受は少ないといえる。

4月下旬 - 10月上旬の日曜・祝日には、国鉄ワム80000形貨車を改造したオープンデッキ車両(ユ101)を用いたトロッコ列車「澪つくし」号が、1日1往復運行されていた。電車牽引で運転されるため、外川駅では機回しが行われていたが、銚子駅ではそれができないため、その手前の仲ノ町駅で列車最後部に回送車両を1両増結し、銚子駅で客扱いを行った後、今度は銚子駅へ来るとき最前部であった車両を回送車とし、仲ノ町駅で切り離していた。名称は銚子市を舞台に1985年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説の『澪つくし』にちなむ。2007年以降はトロッコ車両の安全面の問題から運行されなくなり、その後トロッコ車両は老朽化のため除籍されている。

また、毎年1月1日にJR東日本初日の出見物客を対象に臨時特急「犬吠初日の出」号や快速「銚子初日の出号」を東京・成田方面から銚子駅まで運転しているが、銚子電気鉄道ではそれに合わせ、犬吠埼へ向かう客のために大晦日の終電の繰り下げ・初電の繰り上げ・朝時間帯の犬吠駅 - 外川駅間運休を伴う特別ダイヤを組んでいる。以前は終夜運転を行っていた。

なお、銚子以外の各駅にはコカ・コーラコカ・コーライーストジャパン)の自動販売機が設置されており、自動販売機に設置されている電光掲示板で電車の運行状況を表示している。

社長の竹本勝紀は動力車操縦者(甲種電気車運転免許)の免許を2016年に取得しており、週二回のシフトで運転の業務に就いている[8][9]

利用状況

輸送実績

銚子電気鉄道線の近年の輸送実績を下表に記す。輸送量は減少している。 表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋

収入実績

銚子電気鉄道線の近年の収入実績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋

営業成績

銚子電気鉄道線の近年の営業成績を下表に記す。 表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

鉄道統計年報(国土交通省鉄道局監修)より抜粋

駅一覧

  • 全列車普通列車(全駅に停車)
  • 線路(全線単線) … ◇:列車交換可、|:列車交換不可
  • 駅員 … ○:配置あり、×:配置なし(無人駅)
  • 全駅千葉県銚子市に所在。駅の愛称は2018年3月1日現在
駅名 愛称[10] 駅間キロ 累計キロ 線路 駅員 接続路線 駅周辺
銚子駅 絶対にあきらめない 銚子 - 0.0 東日本旅客鉄道:総武本線 ヒゲタ醤油
仲ノ町駅 パールショップともえ 仲ノ町 0.5 0.5   ヤマサ醤油
観音駅 金太郎ホーム 観音[11] 0.6 1.1   飯沼観音
前宿町公園(野球場)
本銚子駅 上り調子 本調子 京葉東和薬品 本銚子[11] 0.7 1.8 ×   本銚子地区
田原缶詰
笠上黒生駅 髪毛(かみのけ)黒生 0.9 2.7   ハーブガーデンポケット
西海鹿島駅 三つ星お米マイスター根本商店 西海鹿島 0.5 3.2 ×   市民センター
海鹿島駅 とっぱずれ 海鹿島 0.4 3.6 ×   海鹿島海水浴場
君ヶ浜駅 ロズウェル 君ヶ浜 1.1 4.7 ×   君ヶ浜
犬吠駅 One Two Smile OTS 犬吠埼温泉 0.8 5.5   犬吠埼
長崎海水浴場
外川駅 ありがとう 外川 0.9 6.4   外川漁港
  • 仲ノ町駅は列車交換可能であるが、ホームは片側のみの設置であり、同駅で交換を行う列車は設定されていない。

運賃・割引乗車券

運賃

対キロ区間制。通勤定期最大40%引き、通学定期最大60%引き(1997年改訂)。2014年4月1日に消費税が増税されたが、運賃改定は行われなかった。2015年10月1日改定

キロ程 運賃(円)
初乗り1km 180
2 210
3 240
4 270
5 300
6 - 7 340

※1km未満の端数は切り上げ

Suica、PASMOなどのICカードは一切使用できない。

弧廻手形(一日乗車券)

初日の出特別体制時を除き、「弧廻手形」(こまわりてがた。路線が円弧を描く形なのでこの名が付いた)という一日乗車券を700円で販売している(特別体制時も「弧廻手形」に相当する一日乗車券が値段を変更して販売される)。同社が発売する「ぬれ煎餅」の犬吠駅での1枚交換券、「地球の丸く見える丘展望館」の1割割引券、「銚子ポートタワー展望室」の1割割引券が付属している。

車両

現有車両

2016年8月現在、電車6両、電気機関車1両が在籍する。電車はもと京王車で統一されている。

電車

2000形(デハ2000形・クハ2500形)
デハ2001-クハ2501・デハ2002-クハ2502
在来車を京王3000系電車を種車とする2両編成によって、2008年中に2編成、2009年度と2010年度に各1編成、計4本8両で更新する計画があった[12]。しかし、直流1500Vからの降圧対策工事費を勘案した予算計上が困難なことから頓挫し、代替車両として伊予鉄道から、同じ直流600Vの鉄道線で運行しており京王3000系譲受車での置き換えが決定している800系電車2両編成2本をデハ2000形・クハ2500形として譲り受けた[13]。なお、導入時の工事などで1億4000万程度の予算が見込まれており、そのうち2000万円を債権化して、1口10万円(200口募集)で車両支援オーナーと命名権を募っている。
デハ800形に次ぐ伊予鉄道から2度目の譲渡車両で[注釈 1]、2009年度内にこの車両でデハ700形とデハ800形を置き換える予定だったが、諸般の事情により大幅に遅れ、2010年7月24日から営業運転が開始された。銚子電気鉄道では初の2両固定編成で、初のドアチャイム設置形式でもある(音色は新京成電鉄8800形N800形と同様)。また初の冷房車でもあるが、冷房装置の使用は変電所容量の問題から銚子と外川に停車中のみに制限されている。
デハ2000形が銚子寄り、クハ2500形が外川寄りで、種車の伊予鉄道時代の改造から前面はデハ2000形が非貫通形2枚窓の湘南形、クハ2500形は貫通形3枚窓となっている。パンタグラフはデハ2000形の連結面側(外川寄り)にある。2013年には2001編成のパンタグラフが故障によりシングルアーム式に換装された。
塗色は2001編成が伊予鉄道800系の前身、京王2010系電車の塗色であるライトグリーン一色。2002編成はアイボリー一色の上にイオン銚子ショッピングセンター(現・イオンモール銚子)がスポンサーとなったラッピング広告が貼付されていた。後に正面に赤帯が付され、京王5000系電車を彷彿させるものとなった。2012年12月にイオンモール銚子のラッピング広告は剥がされ、赤帯が側面にまで回っている。2013年9月にはデハ2002の先頭部のみ上半分を紺色、下半分を赤に変更した[14]
2002編成は2014年1月の笠上黒生駅での脱線事故で走行不能になったが、千葉県立銚子商業高校の生徒らがクラウドファンディングで費用を集めて修理され[15]、旧標準色に復刻されたうえで[16]、2015年4月から営業運転に復帰した[15][17]

すべての車両がワンマン運転に対応している。

3000形(デハ3000形・クハ3500形)
デハ3001-クハ3501
もと伊予鉄道700系(モハ713 + クハ763。前身は京王5100系デハ5103 + クハ5854)。塗装は銚子の海をイメージした往年のトロッコ車両ユ101(澪つくし号)の復刻塗装となっている。2016年3月26日から営業運転を開始した。

電気機関車

デキ3形
デキ3
1922年ドイツアルゲマイネ社(AEG、現在のエレクトロラックスおよびボンバルディア・トランスポーテーションの一部)で製造された凸型電気機関車。1067mm軌間の電気機関車としては現存最小である。宇部地方の炭坑(沖ノ山炭坑)から1941年より銚子電鉄に移籍、ヤマサ醤油の工場へ原料などの材料を運んでいた(当初は客車も牽引していた)。1984年に貨物営業廃止に伴い、営業運転から退いた。現在では有志により修理・点検がなされ、仲ノ町車庫で動態保存されており、有料で見学ができる。車籍は存置されているが、法定検査期限が切れていることと、制動装置が手ブレーキとコントローラーによる非常用発電制動のみでいずれも自車のみの作用であり、エアーブレーキによる貫通制動を持たないことから、本線運転に就くことができない。
2009年9月22日に旧塗装に塗り替えられた。また2012年4月4日に集電装置がビューゲルからトロリーポールに戻され[18]、同時に再整備の上、4月7・8日のイベントでお披露目された。2013年には再び黒一色に戻っている。

過去の車両

電車

デハ1形
デハ1-3
電化にあたり木製電動客車3両を伊那電気鉄道より譲り受けた。1917年(大正6年)汽車製造製、定員44人。詳細は伊那電気鉄道の電車#昇圧前の車両を参照
デハ100形
デハ101
1939年・日本鉄道自動車工業製で当初はホデハ101を名乗り、11m木造車体・直接制御の小型ながら銚子電鉄初のボギー車であった。台車のみ下野電気鉄道(後の東武鬼怒川線矢板線)が1926年に雨宮製作所で製造、その後間もない1929年の改軌で余剰化した762mm軌間木造電車デハ103号発生品の雨宮式板台枠台車を1067mm規格に改造して流用。1953年に再度、日本鉄道自動車で半鋼製車体に更新されている。当初ポール集電、のちビューゲル集電となった。デハ700形入線以降予備車となり、1999年の廃車後は笠上黒生駅で物置として使用されていたが、老朽化が激しく2009年9月に解体されている。解体後、台車の一つは上毛電気鉄道に寄贈された後大胡駅に隣接した車両基地に保存され、もう一つは東武博物館で保存されている。前記NHK連続テレビ小説「澪つくし」の撮影にも使用され、撮影の際には登場当時の茶色に塗り替える話も持ち上がったが、塗装変更費用が高いためにやむなく側面に社章を入れた(時期設定は大正末期から終戦後の昭和までだったため、実際だと当時はポール集電だったこともあり「違和感がある」、「違う」といったNHKへの声が視聴者やファンから相次いでいたという)。ときには貨車(自社がワフ1という木造貨車を所有していた)の牽引についていたことがある。
デハ200形
デハ201
京成電鉄モニ7の台枠と新造の木造車体、京成手持ち部品の機器を組み合わせた車両。晩年は外板に鋼板を貼付けた「ニセスチールカー」となっていた。デハ700形の入線により1979年廃車。
デハ300形
デハ301
元、日本国有鉄道モハ115で、JR鶴見線の前身鶴見臨港鉄道からの買収車。ドアエンジン電磁弁を介さず運転台から直接、空気コックの開閉で操作されるものであった。内野屋工務店傘下になる前はトロリーポール(後にビューゲル)集電であった。晩年は架線点検車としていたが、2008年末限りで廃車となり、2000形導入準備のためデハ100形に続いて2009年10月に解体されている。この車両が解体されたことにより、現存する鶴見臨港鉄道自社発注の車両は皆無となった。
デハ500形
デハ501
この車両も日本鉄道自動車製。元近江鉄道クハ23(2代)→上田丸子電鉄(現・上田電鉄)モハ2321。銚電初の間接制御車・パンタグラフ集電・蛍光灯照明・暖房装備車。前面は銚子寄りが非貫通形、外川寄りが貫通形。パンタグラフは外川寄りにあった。入線当初はアイボリーに窓回りと雨樋が朱色という塗色であったが他車に波及はせず、その後まもなくデハ201に塗られた西武赤電色に類似したベージュローズピンク1990年までの銚電標準色となった。全長12m弱の車体の割に4個モーターのため消費電力が大きかったためかデハ800形入線以降は予備車となり、1999年の廃車以降は犬吠駅で車体の外川寄り3分の2が、元相鉄モニ2022の車体とともに、当初は直営のレストラン、2007年1月現在はNPO運営の喫茶店として使用されていた。2010年8月現在諸事情により休業中であったが、2012年7月下旬にモニ2022とともに解体処分された[19]
デハ700形
デハ701・デハ702
1928年川崎造船所で製造された近江鉄道の電動貨車デユワ101形を1941年日本鉄道自動車で鋼体化したモハ51形51・52を、1978年に譲り受けたもの。
デハ702は、2010年1月23日に、さよなら運転を行って営業運転を終えた。なお、デハ701のさよなら運転は当初2010年3月下旬に行われる予定であったが、諸般の事情により同年9月23日に行われて営業運転を終え、2011年秋には千葉県いすみ市にある「ポッポの丘」に2両とも移された。
デハ800形
デハ801
元は1950年に製造された伊予鉄道クハ400形405→モハ100形106。銚子電鉄には1985年に譲渡された[注釈 1]。伊予鉄道時代に片運転台化・両運転台化の両方の改造を受けており、前面形状が銚子寄りは3枚窓非貫通形、外川寄りは3枚窓貫通形(ただし、貫通扉は固定されているため実質的に非貫通形)となっている。パンタグラフは既設運転台側の銚子寄りにある。なお、デハ801のさよなら運転は、当初、2010年3月下旬に行われる予定であったが、諸般の事情により同年9月23日に行われ営業運転を終えた。2014年5月現在、同車は外川駅の留置線に保存されている。
デハ1000形
デハ1001・デハ1002
日立電鉄に譲渡される予定だった営団地下鉄2000形のうち、同社の計画見直しで譲渡が中止された[注釈 2]2046, 2040の車体に同形2033, 2039の運転台を組み合わせて両運転台化し、営団1500形電車(2代)営団地下鉄3000系の機器・パンタグラフ・富士急行モハ5700形(元小田急2200形)の台車の取り付けを行ったもの。デハ800形同様、前面貫通扉は固定されている。パンタグラフは増設運転台側の外川寄りにある。
デハ1001は2007年4月26日から、ハドソンの支援を受けゲーム『桃太郎電鉄』シリーズ20周年記念のラッピング車両となった。当初3年間の予定であったが、2010年4月8日に継続実施が発表され、2012年5月16日まで続いた[20]。そして整備とともに塗り替えが行われ、今度は山吹色の銀座線カラーに塗装変更され、2012年8月11日のイベントで初公開された。この銀座線塗装は一般向けに募ったアンケートで最も多かった意見として採用されたものだが、末期の1色塗りである[21]。また方向幕にはイベント用として「渋谷」「上野」「浅草」がコマに入っていた。2016年に引退記念で屋根の鉛丹塗装が復活し、2月28日のさよなら運転「〜昭和の名車 ありがとう〜おつかれさま デハ1001 イベント」をもって営業運転を終了した[22][23]。2016年3月24日現在、デハ1001は松戸市にある私設博物館昭和の杜博物館にて保存されている(移送の都合で車体を2分割にして搬送したのち、現地で結合)。
デハ1002は小学館の支援を受け漫画『鉄子の旅』の原作者菊池直恵考案の特別塗装に変更されたがこの塗装は2011年9月で終了し、その後赤い車体に白帯の丸ノ内線カラーに塗装変更され、2011年11月26日から営業運転に復帰した。方向幕もかつての「方南町中野坂上」を模した「銚子⇔外川」とされ、さらにイベント用として「方南町⇔中野坂上」「中野富士見町」がコマに入れられた。2015年1月10日のさよなら運転「ありがとうデハ1002号」を最後に営業運転を終了した[24]。現在は仲ノ町車庫で保存されている。

客車

ハフ1形
ハフ1・ハフ2
銚子鉄道が開業した1923年に雨宮製作所で新造された木造2軸の荷物合造緩急客車ハニ1・2が前身。当初はダブルルーフの屋根で、車体の一部が荷物室だった。1939年に台枠を流用し、日本鉄道自動車で半木製車体に載せかえられてハフ1・2になり、荷物室はなくなった。機関車に牽引されていたこともあれば、電車に牽引されていたことも。1978年に老朽化とデハ700形導入のため廃車解体。
ユ101
ユ101
国鉄ワム80000形貨車[注釈 3]国鉄大宮工場新小岩車両センターで1985年に改造したトロッコ客車。銚子を舞台にしたNHK連続テレビ小説澪つくし」にちなみ「澪つくし号」の愛称を持つ(澪つくしで主演を務めた沢口靖子が名付けた)。記号の「ユ」は「遊覧」客車のユ。番号の「101」はその「澪つくし」に頻繁に登場したデハ101(前記)から。1985年8月の登場以来、2006年まで休日や夏休み時期を中心に、最後はデハ801・デハ1001・デハ1002のいずれかによって牽引されていたが、2007年以降は保安基準など諸々の事情により休車となり、笠上黒生駅に留置されている。しかし状態が悪く、修繕が難しいため、2012年3月31日に廃車となった[25]が、2016年10月現在も笠上黒生駅に留置されている。

蒸気機関車

1050形
1051
タンク式蒸気機関車。元は中越鉄道の機関車で開業時から使用されており国有化後に払下げを受けた。1926年より1937年まで在籍していたが多客時に年に数回動く程度であったという。同形機の1052が富山県砺波市の砺波チューリップ公園に保存されている。詳細は国鉄1100形蒸気機関車#中越鉄道を参照

施設

変電所は当初は仲ノ町駅構内にあった。回転変流器(出力100kW)1台であったが1935年廃線となった塩原電車から回転変流器(出力200kW)を移設し増強。さらに戦後は蒲原鉄道より購入した電動発電機(出力125kW)2台に置き換えた。やがて老朽化により1965年1月に故障し1か月運転休止する事故が発生した。ようやく1977年6月になり笠上黒生駅構内にシリコン整流器(出力300kW)を設置した変電所を新設した[26]

脚注

注釈

  1. 1.0 1.1 デハ800形は伊予鉄道での800系導入による置き換えで譲渡された経緯がある。
  2. 同社への譲渡車については日立電鉄2000形電車を参照。
  3. 旧車号について、運転一周年を記念して発売された記念乗車券の裏側と、鉄道友の会の会誌「RAILFAN」の2010年6月号には「ワム183983」と記されている。

出典

  1. 『岬へ行く電車』61-62頁
  2. 2.0 2.1 ちばの鉄道一世紀』(p199)
  3. 小川功「京成グループの系譜」『鉄道ピクトリアル』No.632、118頁
  4. TBSニュース 銚子電鉄踏切で衝突事故、2人大けが
  5. 銚子電鉄:電車が脱線、乗客けがなし…笠上黒生駅 - 毎日新聞、2014年01月11日
  6. “銚子電鉄のネーミングライツによる駅名愛称の運用スタート” (プレスリリース), 銚子電気鉄道, (2015年12月1日), http://www.choshi-dentetsu.jp/detail/news/32 . 2015閲覧. 
  7. “駅名「かみのけくろはえ」 銚子電鉄が7駅で愛称”. 毎日新聞. (2015年12月3日). http://mainichi.jp/articles/20151203/k00/00e/040/165000c . 2015閲覧. 
  8. 銚電社長が免許取得 運転士“兼任”に意欲 お客さまと接点を 社員の業務緩和も - 千葉日報(千葉日報社)、2016年8月11日閲覧
  9. 銚子電鉄社長、次の企みは「経営がまずい棒」自虐ネタで集客「苦しい時こそ笑いを」「銚子のシンボル存続させたい」 - 税理士ドットコム、2018年6月16日閲覧
  10. 銚電ネーミングライツ - 銚子電気鉄道、2017年6月5日閲覧
  11. 11.0 11.1 当社車両「超レトロ化改造」及び新規ネーミングライツについて - 銚子電気鉄道、2017年6月5日閲覧
  12. 07年度 銚子電気鉄道 安全報告書
  13. 車両支援オーナー募集と車両愛称命名権売却要旨 2009年7月4日 銚子電気鉄道ホームページ
  14. 【銚子電気鉄道】2002編成一部復刻カラーで登場 - 鉄道ホビダス RMニュース、2013年9月24日
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参考文献

  • 白土貞夫 『ちばの鉄道一世紀』 崙書房、1996年7月10日 第1刷発行、1996年10月15日 第2刷発行。ISBN 978-4845510276。
  • 白土貞夫『岬へ行く電車』東京文献センター、2001年

関連項目

外部リンク