長崎市

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長崎市(ながさきし)

長崎県南部,西彼杵半島の南部から長崎半島を占める中核市。南東で長崎湾,南西で橘湾,北東で大村湾に面し,池島香焼島,伊王島,高島,樺島などの島を含む。県庁所在地。1889年市制。1955年深堀村,福田村,日見村の 3村,1962年茂木町と式見村,1963年東長崎町,1973年三重村,2005年香焼町,伊王島町,高島町,野母崎町,三和町,外海町の 6町,2006年琴海町をそれぞれ編入。中心市街地は狭小な中島川および浦上川の流域を占め,住宅は山腹から山頂の平坦面に及んでいる。元亀2(1571)年ポルトガル船の入港以降,海外貿易港として急速に発展。鎖国の間も日本における唯一の開港場として繁栄した。江戸時代は天領。幕末に始まった造船業は三菱財閥に引き継がれ(三菱長崎造船所。2015世界遺産),1955年頃のタンカー全盛期には世界随一の進水量を誇り,多くの関連工場群を立地するが,造船不況で機械器具などの部門への転換が進んでいる。長崎漁港は西日本最大規模の漁港で,水揚げの多くは北九州,関西,東京の大市場に送られる。北西部の三重には新長崎漁港がある。農村部ではミカン,スイカ,ビワが多く生産され,特にビワは全国的に有名。橘湾岸の漁業集落ではからすみを特産。大村湾の内湾である形上湾は第2次世界大戦前から真珠養殖が盛ん。18世紀初めから採炭の歴史があり,明治期以降はグラバー商会(グラバー)との協同による本格的な海底炭層開発が始まった。香焼島,高島と端島高島炭鉱。いずれも国の史跡,2015世界遺産),伊王島,池島(池島炭鉱)は一時は石炭産業で活況を呈したが,すべて閉鉱した。1945年8月浦上に投下された原子爆弾によって市の 2分の1が破壊され,15万人の死傷者を出した(原子爆弾投下)。市街地は壊滅的な被害を受けたが,国宝の大浦天主堂崇福寺をはじめ,興福寺などの寺院群や眼鏡橋(いずれも国指定重要文化財),シーボルト宅跡(国指定史跡),オランダ人居留地の出島(和蘭商館跡は国指定史跡)や唐人町,旧グラバー住宅(国指定重要文化財,2015世界遺産)などの洋館群,浦上天主堂,二十六聖人殉教地などのキリシタン遺跡が残り,特有の異国情緒が国内外の多くの観光客を集めている。長崎くんちの奉納踊は国の重要無形民俗文化財。南端の樺島のオオウナギ生息地,市街地付近にあるキイレツチトリモチ自生北限地は国の天然記念物(ツチトリモチ〈土鳥黐〉)。市域の一部は野母半島県立自然公園西彼杵半島県立自然公園大村湾県立自然公園に属する。JR長崎本線の終点。市内電車のほか国道34号線,202号線,206号線,251号線,324号線,499号線が通じ,長崎自動車道のインターチェンジがある。長崎港から五島列島へ,茂木港(茂木)から富岡(天草下島)へフェリーが運航。

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