閔妃

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閔妃(びんひ、ミンピ、ミンビ、1851年10月19日 - 1895年10月8日

朝鮮,朝鮮王朝 (李朝) 末期の高宗の王妃閔氏。諡は明成王后。京畿道驪州郡出身。その政治力によって朝鮮王朝の政治を左右した。閔致禄の娘で,8歳で父母を失い継母のもとに育つ。早くから才色兼備をうたわれ,高宗3 (1866) 年3月 20日,高宗 15歳,閔妃 16歳で結婚。閔氏一族を登用し守旧事大 (親清) の政策をとり,政権を義父大院君や親日開化派と争った。同 32年 10月8日三浦梧楼公使らの陰謀で,日本人壮士によって虐殺された (乙未事変 ) 。




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