阿片戦争

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1841年広東沖でイギリス軍艦(右奥)から砲撃を受ける清の船団

阿片戦争(アヘンせんそう、: 第一次鴉片戰爭: First Opium War

アヘン禁輸を発端とする中国の清朝とイギリスとの戦争 (1840~42) 。イギリス東インド会社は中国との片貿易を是正するため,インド産アヘンを中国へ密輸し,その結果中国のアヘン輸入は激増し,巨額の銀流出など経済上,財政上,衛生上,重大な弊害がもたらされた。道光 19 (39) 年,アヘン厳禁論者の林則徐が,欽差大臣として広東に赴任,イギリス商人のアヘンを没収,廃棄した。当時すでに東インド会社の貿易独占権を廃止していたイギリスは,中国側の「公行」による貿易独占を打破し,中国市場を開放しようとしていたので,同 20年パーマストン内閣は開戦を決定した。ブーリーマー,G.エリオット指揮のイギリス陸海軍は舟山諸島を占領,沿海を封鎖したので,清朝は林を解任,琦善に和議交渉を命じた。しかし交渉は結局妥結せず戦争再開となり,同 21年にイギリス軍はアモイ,舟山,寧波を占領し,翌年上海,鎮江を陥れて南京に迫った。そこで清朝もついに屈し,同年7月 (太陽暦8月) ,耆英 (きえい) ,伊里布 (いりふ) をしてイギリス全権 H.ポッティンジャーとの間に南京条約を結ばせ,ここに戦争は終った。




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