霊山 (福島県)

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稜線近くの登山道
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山頂近くの登山道からの風景

霊山(りょうぜん)は、福島県伊達市相馬市との境にそびえる標高825メートルの山である。国の名勝日本百景、およびうつくしま百名山に指定されている。また、南北朝時代の重要な城跡遺構として国の史跡に指定されている。

概要

阿武隈高地の北部に位置する玄武岩溶岩台地で、丘陵は起伏に富み、奇岩を連ねる岩山である。台地の周囲には直立する柱状節理が形成されている。古くは修験道の山として知られ、山中には護摩檀跡などの名残も残っている。

現在は遊歩道がよく整備されて登りやすい山となっており、弁天岩や天狗の相撲場、蟻の戸渡りなどの奇岩巡りができる。また、中通り浜通りの境に位置する分水嶺の一端を成しており、西物見岩からは福島市街地や伊達郡伊達市、東物見岩からは相馬市街地や相馬郡太平洋まで望むことのできる山上天然の要害である。

紅葉の名所としても知られており、毎年10月下旬になると多くの登山客で賑わう。

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霊山城

この山は平安時代初期に円仁によって開かれ、天台宗の拠点として栄え、最盛期は3600坊いたといわれる。

南北朝時代1337年延元2年)、北畠顕家が霊山城を築き義良親王(後の後村上天皇)を奉じて陸奥国国府を置くなど、奥羽地方における南朝方の一大拠点として機能した。しかし、北朝方が優勢になるにつれ、霊山の南朝軍も追い詰められていき、1347年正平2年)、ついに落城した。以後、霊山が歴史の表舞台に現れることはなかった。域内の日枝社観音堂は往時をしのぶ遺構とされる。

なお、山頂部分(国司舘跡)には現在も当時のものと思われる礎石が残されている。

文化財指定

1934年(昭和9年)5月1日、「霊山(りょうぜん)」として国の史跡および名勝に指定された。

史跡の指定区分は

2.(都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡)

であり、名勝としての指定区分は

5(岩石、洞穴)
10(山岳、丘陵、高原、平原、河川)
11(展望地点)

となっている。

関連項目

外部リンク