高千穂鉄道

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高千穂鉄道株式会社(たかちほてつどう)

かつて宮崎県北部で旧国鉄特定地方交通線の鉄道路線高千穂線を運営していた宮崎県などが出資する第三セクター方式の鉄道会社。本社は宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1447-1。

概要

旧国鉄高千穂線の廃止を受け、鉄道転換の受け皿会社として設立。高千穂線既開業区間の全線を継承し、運営に当たった。沿線の通勤・通学需要に応える一方、終点付近に水面から線路までの高さが東洋一を誇る高千穂鉄橋が存在することや、高千穂町周辺が「神話の里」として著名であること、五ヶ瀬川の渓谷に沿った風光明媚な路線であることなどの観光資源を活用し、展望型気動車やトロッコ風車両を導入したり日之影温泉駅の駅舎内に温泉施設を作るなど、観光需要の掘り起こしにも力を入れていた。

とりわけ2003年に導入されたトロッコ列車「トロッコ神楽号」の運行はそれなりの成功を収め、観光利用客が倍増。それまで沿線の過疎化等で減少に歯止めがかからなかった総利用客数も、「トロッコ神楽号」運行開始後の同年度は増加に転じた。

この「トロッコ神楽号」には、遠方から高千穂を訪れた大手旅行会社の団体ツアー客が集中した。宮崎県内で最も観光客を集める高千穂峡天岩戸神社などの高千穂町の名所を巡りながら、高千穂 - 槇峰間などを片道乗車(片道は観光バスによる送迎)するコースが定番となった。こうして「トロッコ神楽号」は観光地・高千穂の新しい観光名所のひとつとなった。

しかし、高千穂鉄道は2005年9月6日台風14号による暴風雨で鉄道設備に甚大な被害を受け、全線運転休止となった。県や沿線自治体が復旧費用の負担に難色を示したため全線での運転再開を断念。比較的被害が軽微な高千穂方の一部区間のみでの運転再開を検討したが、延岡駅から日豊本線との接続が行なえないことや少子化の進行、時期が近づいている車両更新の費用などを考慮して採算性を検討した結果、同年12月20日、高千穂鉄道としての復旧・運行再開を断念し、全線廃止を決定した。高千穂鉄道の社員27人は、2006年1月31日清算事務にあたる2人を除いて全員解雇された。

ただし、「民間で復旧・運行再開をする企業・団体が現れれば譲渡を検討する」と発表したのを受け、宮崎県内外から複数の企業が名乗りを上げたが、鉄道運休で地元観光産業への危機感を募らせていた西臼杵郡の観光・商工関係者らが運行再開の目的で設立した、神話高千穂トロッコ鉄道株式会社(現高千穂あまてらす鉄道株式会社)に渡す方針が最終的に固まった。しかし、試算の結果、無償譲渡にあたって双方に合わせて約3億7千万円の法人税事業税が課税されることが判明し、調整が難航するなか、当初「2005年9月6日から1年間」として提出した全線の休止届が期限切れとなるため、翌2006年9月に被害が甚大な延岡 - 槇峰間の廃止届と、被害が比較的軽微な槇峰 - 高千穂間の休止届を提出した。

時価約4億5千万円と評価されている資産のうち、軌道部分の評価額は約3千万円とされており、運行再開へ向けての復旧作業に着手する必要も考慮して、2006年11月現在、この部分のみの先行譲渡が検討されている[1]。残りの資産については、会社の清算時期を遅らせてトロッコ社(あまてらす社)へ貸与する形を取ることや、新たに受け皿機関を起こしてそこからトロッコ社(あまてらす社)へリースする形をとること、一旦沿線自治体に寄付して改めてトロッコ社(あまてらす社)に譲渡することなどが検討されているが、課税逃れと判断される懸念があり、関係自治体との間の協議は難航している。

ただ、2007年には宮崎県知事東国原英夫(当時)は、自らのマニフェストである「高千穂地域の交通基盤整備の支援」に沿って「鉄路は残っている。高千穂再生のためには観光鉄道として生かすことも大切だ」と運行再開の意欲を述べた。以上の他にもデュアル・モード・ビークル (DMV) を導入する構想もあった。

しかし、2007年9月6日に延岡 - 槇峰間が廃止され、翌2008年12月28日には槇峰 - 高千穂間(全線)が廃止された。これにより宮崎県からJR線以外の民営鉄道がなくなった。

なお、高千穂鉄道廃止後の延岡 - 高千穂間の公共交通機関は、既存のバス路線もあった宮崎交通を中心とするバス輸送によって行われている。

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  1. 西日本新聞 2006年11月5日付朝刊