高山陣屋

提供: miniwiki
2018/8/6/ (月) 12:10時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

高山陣屋(たかやまじんや)は、江戸幕府飛騨国直轄領として管理するために設置した代官所飛騨郡代役所(陣屋)。現在の岐阜県高山市八軒町に置かれた。

概要

ファイル:Takayama Jinya.jpg
高山陣屋表門と蔵番長屋
現存建物
表門・門番所、一~四番蔵・九~十二番蔵、書物蔵。郡代役所は玄関・吟味所・御役所・大広間などの部分に1816年(文化13年)に改築。

敷地内の土蔵は、元々慶長年間(1600年前後)に高山城内に建設され、1695年(元禄8年)に現在地に移築されたものである。建物の屋根は熨斗葺(のしぶき)、柿葺(こけらぶき)、石置長榑葺(いしおきながくれぶき)など、いずれも板で葺かれている。これは飛騨が雪国であるとともに木材の生産地であり、当時のでは雪で容易に損耗してしまうのに対して、木材は入手が容易であったためとされている。

敷地と建物内は有料で一般公開され、内部には江戸時代の歴史資料などが展示されている。表門の手前では毎日朝市が催されており、高山市内においては宮川朝市と並び陣屋朝市として親しまれている。

歴史

元来は飛騨高山藩主であった金森氏の所有する下屋敷だったが、1692年(元禄5年)に幕府が飛騨を直轄領として以降、伊奈忠篤らによって整備され、代官所として用いられるようになった。1777年(安永6年)以降は郡代役所となった。

明治維新後は筑摩県高山出張所(のち岐阜県高山支庁)庁舎として用いられた。1929年には国の史跡に指定されたが、その後も様々な公共機関の事務所として利用された。1969年まで県事務所として利用されていたが県事務所が移転後、現存する唯一の陣屋であることから文化財として保存する方針が示された。1996年(平成8年)3月、1830年(天保元年)の絵図を基に約20億円を掛けて蔵番長屋、郡代役宅、奥座敷などが、ほぼ江戸時代の状態にまで復元された。

ギャラリー

参考文献

現地情報

開館時間

  • 3月1日~10月31日:午前8:45~午後5:00(8月中は下記の時間)
    • 8月1日~8月31日:午前8:45~午後6:00
  • 11月1日~2月28日:午前8:45~午後4:30
  • 休館日:12月29日、12月31日、1月1日

料金

  • 大人:430円、高校生以下:無料
  • 30名以上の団体団体:380円

その他

同じ町内にある一本杉白山神社は鎮護の神として陣屋稲荷を祀っているが、白山神社は屋台を持たない神社であるため屋台行列に参加していない。そのかわり、春の高山祭開催中の高山陣屋では獅子舞および闘鶏楽などの祭行列を鑑賞できる。

外部リンク


座標: 東経137度15分27.1秒北緯36.139694度 東経137.257528度36.139694; 137.257528