鷹司房子
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鷹司 房子(たかつかさ ふさこ、承応2年8月21日(1653年10月12日) - 正徳2年4月14日(1712年5月19日))は、江戸時代の霊元天皇中宮。女院。父は左大臣従一位鷹司教平、母は権大納言冷泉為満の娘。異母兄弟に関白鷹司房輔・左大臣九条兼晴・徳川綱吉室信子。一説に房子は鷹司教平の妹で、猶子となったという。女院号から新上西門院房子とも。
生涯
寛文9年(1669年)11月21日、1歳年少の霊元天皇のもとに入内し女御となる。寛文13年(1673年)5月9日に内裏が炎上し、右大臣近衛基熙邸を仮御所とする。実は先代の後西天皇も万治4年(1661年)正月の火災によって近衛基熙邸を仮御所としていた。さて、その中房子は懐妊しており、その年の8月23日に栄子内親王を生む。先の内裏をも延焼させた京都大火災によって元号は延宝と改められる事となったが、延宝3年(1675年)11月25日新たな内裏が完成した矢先に今度は仮御所の近衛基熙邸が火災に見舞われる。天皇と房子は一時吉田兼連邸に身を寄せた後27日に新内裏に入る。
房子は天和2年(1682年)12月7日准三后宣下され、翌年の2月14日には中宮に冊立される。嫡妻として立后された訳だが、江戸時代で嫡妻が立后される例は房子を含め4例しかない。霊元天皇は貞享4年(1687年)3月21日に朝仁親王(東山天皇)に譲位する。房子は天皇の譲位に伴い同年3月25日に新上西門院の女院号を宣下される。元禄8年(1695年)7月に幕府より所領千石が贈られる。正徳2年(1712年)4月14日に崩御する。墓所は京都府京都市東山区今熊野泉山町・月輪陵。