おニャン子クラブ

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おニャン子クラブ
出身地 日本の旗 日本
ジャンル J-POP
活動期間 1985年 - 1987年
2002年
レーベル キャニオン・レコード
→ポニーキャニオン
共同作業者 秋元康
後藤次利

おニャン子クラブ(おニャンこクラブ)は、1985年フジテレビテレビ番組夕やけニャンニャン』から誕生した女性アイドルグループ

概要

1985年4月1日、フジテレビのバラエティ番組『夕やけニャンニャン』開始とともに番組内のアシスタントとして同時に芸能界デビューし、3ヶ月後の1985年7月5日に発表したデビューシングル「セーラー服を脱がさないで」がヒットしてブレイク。以降、おニャン子クラブとしてのグループ名義、メンバーのソロ名義、グループ内で作ったユニット名義などで、シングル、アルバム、ビデオソフト、写真集を絶え間なくリリースをしし続けてヒットさせ、1980年代中期のアイドルシーンを席捲していった。

しかし、1987年8月31日の『夕やけニャンニャン』の番組終了に伴い、翌9月に解散コンサートを行って、わずか2年半の期間でその活動が閉じられた。

2年半の間にメンバーの加入と脱退が頻繁に行われていたので、メンバーの顔ぶれは常に流動的であった。結成時は11人で、解散時は19人が在籍していた[1]

おニャン子クラブのメンバーには会員番号が与えられ、『夕やけニャンニャン』内であろうと他局の番組であろうとも、自己紹介の際には必ず名前の前に「おニャン子クラブ会員番号××番」を付けて名乗っていた。そのため、解散後も芸能界に残るなどした著名なメンバーは名前とともに会員番号もセットにして覚えられている。会員番号の振り分けは、結成時の11人はくじ引き順で、それ以後は加入順。脱退した者の番号については欠番とした。解散時、会員番号は52番まで行っていた[2]

おニャン子クラブのメンバーは生放送である『夕やけニャンニャン』の出演に際して、大半は高校生大学生などの学生であったことから各々の定期試験中は番組出演を控えて欠席した。また、番組側が斡旋した仕事(ドラマ撮影など)で欠席する場合もあった。そのため、『夕やけニャンニャン』を含めて、おニャン子クラブ名義での活動は必ずしもメンバー全員が揃っていたわけではなかった。

歴史

結成へのいきさつ

1983年から始まったフジテレビ土曜深夜の生放送番組オールナイトフジは社会的現象ともいえるほどにヒットし、そのヒットの一翼を担った、番組アシスタントの女性グループ、オールナイターズもアイドル的な人気と活動展開で盛り上がっていた。彼女らは既存の芸能人ではない素人の女子大生たちを中心に構成されていて、それまで崇高な存在であったアイドル像とは相反していたことで注目を浴びていた[3]

その成功から、フジテレビは同じスタッフによるもので、平日夕方の時間帯で中高生をメインターゲットに放送する、『オールナイトフジ』と同様な生放送の情報バラエティ番組『夕やけニャンニャン』の開始と、オールナイターズに相当する番組アシスタントの女性グループ、おニャン子クラブの結成を企画する。

1985年

そして、1985年4月からの夕方ローカル放送枠で行うレギュラー番組に先駆けて、まずはパイロット番組として、1985年初頭に特番『オールナイトフジ女子高生スペシャル』(1985年2月23日、3月16日)を制作して放送。その特番に出演していた女子高生のなかから選抜した11人でおニャン子クラブを結成し、4月1日から『夕やけニャンニャン』放送開始とともに出演させた。

おニャン子クラブは当初からメンバーの増員を図ることとなった。『夕やけニャンニャン』番組開始時からメンバー選定のオーディション・コーナー「ザ・スカウト アイドルを探せ!」を設けて、それに合格した新メンバーが続々と加入していく。平日月曜から金曜まで夕方5時からの一時間番組だった『夕やけニャンニャン』の番組コンセプトに“放課後”を置いていたため、現役の女子高生が中心に集められた。また、「どこにでもいそう」、「ちょっと気になる可愛い同級生」と、オールナイターズのコンセプトが踏襲されて、芸能界に染まっていない素人感覚のメンバーを集めたのだが、当初から芸能界志向のある者や、その関連オーディションの常連者、すでに芸能事務所に所属していた者、オールナイターズの出身者ですでに名前が知られていた者まで参加していた。

『夕やけニャンニャン』放送開始から3ヶ月後の7月5日にシングル「セーラー服を脱がさないで」でレコードデビュー。たちまちヒットしていき、当初から評判があった番組とおニャン子クラブの人気はここでブレイクした。それを期に『夕やけニャンニャン』は番組開始当初は7局ネットだったのが年内には全国ネット規模の23局ネットまで拡大していく。また、おニャン子クラブは、フジテレビの他の番組である『夜のヒットスタジオDELUXE』や『スターどっきり㊙報告』、他局の人気音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)、『ザ・トップテン』(日本テレビ系)にも出演を果たし、さらにアイドル情報雑誌の『明星』や『平凡』などにも登場して全国的な知名度も上がっていくようになる。

1985年9月、「セーラー服を脱がさないで」のヒットで軌道に乗ったおニャン子クラブから、そのメンバーのひとりであった河合その子が「涙の茉莉花LOVE」でメンバー初のソロデビューを果たす。オリコン週間チャートで初登場5位、翌週には1位を獲得した。翌10月には、そのメンバーから高井麻巳子岩井由紀子(ゆうゆ)のふたりで結成された初のグループ内ユニット、うしろゆびさされ組がフジテレビにおける新番組のアニメ『ハイスクール!奇面組』主題歌「うしろゆびさされ組」でデビューして、こちらもまたヒットして『夕やけニャンニャン』発のおニャン子クラブ関連曲は成功を収め続けた。以降も、おニャン子クラブとしてのグループ名義、メンバーのソロ、グループ内ユニットのシングル曲を続々と繰り出していくことになる。

おニャン子クラブは、テレビ番組での歌唱にとどまらず、10月に初の有料コンサートを開催。また、フジテレビの関連会社が運営する公式ファンクラブの「こニャン子クラブ」も発足して、当初から十万人単位の会員数が集まるなどして、たんなる番組企画的な存在からフジテレビにおける収益事業のひとつに向けて変換されていく。

1986年

1月、「セーラー服を脱がさないで」のフロントボーカル4人のうちのひとりだった新田恵利が「冬のオペラグラス」でソロデビュー。オリコン初登場1位となり、30万枚以上の売り上げを記録する。同月、フジテレビ単発ドラマ枠の「月曜ドラマランド」において、おニャン子クラブのメンバー初主演ドラマとなった福永恵規主演『ボクの婚約者』放送。以後、同枠では月に一、二本のペースでおニャン子クラブのメンバーを主演に置いたものが放送されるようになっていく。

2月、おニャン子クラブ結成時からの人気メンバーであった国生さゆりが「バレンタイン・キッス」で満を持してデビュー。3月、「セーラー服を脱がさないで」のフロントボーカル4人のうちのひとりだった中島美春専門学校に進学するため、河合その子がソロ活動に専念するためにおニャン子クラブを脱退する。それを受けて、『夕やけニャンニャン』の番組内と同時期に開催されたおニャン子クラブのコンサートツアー最終公演でふたりの“卒業式”が執り行われ、華々しく送り出されていく。これが慣例となり、以後おニャン子クラブから脱退していく主要メンバーに対して、番組内とその同時期にあるコンサートツアー最終公演で“卒業式”が行われるようになっていく。

活動初期からの著名なメンバーが脱退していったものの、おニャン子クラブがブレイクした後に加入してきた渡辺美奈代が7月にレコードデビューし、渡辺満里奈も10月にレコードデビュー、他にも工藤静香生稲晃子ら、おニャン子クラブの中期から後期の人気を支え、その後も芸能界に残っていくメンバーが続々と加入してくるなど、おニャン子クラブの面子は日々充実していった。セールス面においても、1986年のオリコンシングル1位獲得46曲中、おニャン子クラブ関連が30曲獲り、52週中の36週でそれを記録するなどして席捲する(1986年のオリコン週間シングルチャートを参照)。おニャン子クラブ関連の連続リリースによりレコード店のシングル盤コーナーを訪れる客が増え、貸しレコードの普及などにより数年来低迷していたシングル盤市場が再び盛り上がりを見せたという分析もある[4]

一方でこの時期、おニャン子クラブ関連が毎週2~3組もランキングしていたTBSの『ザ・ベストテン』に、フジテレビと『夕やけニャンニャン』側は「順位が低い」とランキングについて異議を唱える。このランキングの見解を巡ったことによる双方の溝は埋まらなかった。7月からフジテレビと『夕やけニャンニャン』側は、おニャン子クラブ、ソロ、グループ内ユニット、そしておニャン子クラブから脱退したOGも含めた全ての出演を『ザ・ベストテン』に対してボイコットしていく。これは翌1987年4月まで半年以上にわたって長引いていくことになってしまった。

9月の番組内およびコンサートツアー最終公演で、新田恵利、福永恵規ら、結成時からのメンバーが卒業しておニャン子クラブを脱退。それと前後して、集英社刊行の女性ファッション誌『Seventeen』主催のオーディション「ミス・セブンティーン」とコラボレーションした「ザ・スカウト アイドルを探せ!」によって選ばれた貝瀬典子ら新世代のメンバーが大量に入ってくる。番組開始当初は毎日出演、この頃は週一でレギュラー出演していたとんねるず石橋貴明は、新メンバーの顔と名前が一致しないと嘆くようになる。

『夕やけニャンニャン』とおニャン子クラブは1986年前半から中盤に掛けては前年以上のブームを巻き起こしたのだが、後半である秋口あたりからブームの退潮が見られるようになっていく。8月末に全国公開された主演映画『おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!』が興行的に失敗に終わる。そして、5月からゴールデンタイム帯で放送されていた『夕やけニャンニャン』の姉妹番組『夕食ニャンニャン』もわずか4ヶ月後の9月で終了し、本体の『夕やけニャンニャン』自体の視聴率もピークだった1986年初頭から下がり続けていった。

1987年

3月の番組内および4月の春のコンサートツアー最終公演で、「セーラー服を脱がさないで」フロントボーカル4人のうち最後のひとりであった内海和子、初期メンバーであった国生さゆり、高井麻巳子らが脱退。5月、生稲晃子、工藤静香、斉藤満喜子の3人で結成されたうしろ髪ひかれ隊がシングル「時の河を越えて」でデビューする。ヒットしたものの、これがグループ内ユニットの最後のものとなり、翌6月15日に『夕やけニャンニャン』内で番組の終了とおニャン子クラブの解散を告知する。同時に、おニャン子クラブの新規メンバーを選ぶ番組内オーディション・コーナー「ザ・スカウト アイドルを探せ!」も終了となる。

8月21日、ラストシングル『ウェディングドレス』を発売。同月31日、『夕やけニャンニャン』が番組終了。翌月9月20日代々木第一体育館におけるコンサートにて解散した。おニャン子クラブ活動中にレコードデビューしていた人を中心に芸能事務所に所属していたメンバーは解散以降も芸能界に残れたが、それ以外のメンバーのマネージメントはフジテレビ預かりであったため、活動続行不能となって同時に引退していった。

解散後

1990年代に幾度か、「あの人は今」のような番組の企画で芸能界に残ってた者、芸能界から引退していた者たちも含めた元メンバーを集め、ときには「セーラー服を脱がさないで」を歌唱させるなどもして“再結成”と謳われもしたが、あくまでもその場かぎりのものであった。

2002年、初期メンバーのうち賛同者のみの14名によって一時的に再結成し、シングル「ショーミキゲン」をリリースした。リリース後にはイベントやテレビ出演なども果たし、同年12月5日放送の『2002FNS歌謡祭』では、後期メンバーを含めて「ショーミキゲン」と「セーラー服を脱がさないで」を歌唱した。また2010年にはテレビCM上で11名のメンバーが再結成し、「セーラー服を脱がさないで」のサビを俳優・伊藤淳史とともに歌い踊り、アラフォーになったおニャン子クラブの姿を披露した。

2018年7月7日正午から日本テレビ系で放映予定の音楽特番「THE MUSIC DAY」に、内海和子・国生さゆり・立見里歌・新田恵利・山本スーザン久美子・渡辺美奈代が出演と報道された[5][6]

メンバー一覧とその後の近況

詳細は各人の項を参照のこと。太字の14人は現在も芸能界で活躍している。

会員番号 名前 よみ 加入時期 卒業時期 当時の所属事務所 備考
1 奥田美香[7] おくだ みか 1985年4月1日 1985年4月25日(A) その後、雑誌でヌードに。
2 榎田道子[7] えのきだ みちこ 後にテレビ東京『ASAYAN』のオーディションに登場。
3 吉野佳代子 よしの かよこ[7]
4 新田恵利[7] にった えり 1986年9月26日(2) ボンド企画 1997年フジテレビ社員と結婚。一時期芸能活動を休止していたが現在は復帰。
5 中島美春 なかじま みはる 1986年3月31日(1) 歯科衛生士を目指す為、卒業(脱退)と同時に芸能界を引退したが、おニャン子クラブの復活イベントなどには頻繁に顔を出し、その縁で1997年にとんねるずマネージャーであるボブ市川と結婚。
6 樹原亜紀[7] きはら あき 1987年3月30日(5) ニャンギラスのメンバー。フリーライターとして活動し、オランダ人男性と結婚。オランダ在住。2児の母。
7 友田麻美子[7] ともだ まみこ 1985年4月25日(A) 有限会社アイント 2016年6月3日放送の爆報! THE フライデーでその後の様子が放送された。現在は芸能事務所に所属する傍らバッグデザイナーとしても活動中。
8 国生さゆり[7] こくしょう さゆり 1987年3月30日(5) エイプリル・ミュージック 国生さゆり with おニャン子クラブとしても活動。おニャン子出身者の中で夜のヒットスタジオ8回出演。現在も芸能活動中。結婚→離婚→(元夫と)同棲→同棲解消。2012年2月14日、甲田英司と入籍2013年9月9日離婚
9 名越美香[7] なごや みか 1986年9月26日(2) ニャンギラスのメンバー。香港人パイロットと結婚し、香港に在住。1児の母。
10 佐藤真由美[7] さとう まゆみ 1985年4月25日(A)
11 福永恵規[7] ふくなが さとみ 1986年9月26日(2) ボンド企画 / バーニングプロダクション 全部で4枚のソロシングルを出した。1988年に芸能界を引退し、1994年に結婚、その後離婚。現在は大手プロダクションの広報スタッフとして活躍。
12 河合その子[7] かわい そのこ 1985年4月5日 1986年3月31日(1) 渡辺プロダクション 1994年に作曲家の後藤次利と結婚し、一時芸能界を引退したが、2010年石川秀美(現・薬丸裕英夫人)、伊藤つかさ荻野目洋子とともに、資生堂アンチエイジング商品「IN&ON」のCMに出演。1児の母。
13 内海和子[7] うつみ かずこ 1987年3月30日(5) ホリプロ 1972年子役でデビュー。解散後、ヌード写真集を発表。1993年に結婚し、芸能界を引退。1児の母。
14 富川春美[7] とみかわ はるみ 解散時メンバー 解散時メンバー中会員番号が最少(=在籍期間最長)で、「ザ・スカウトアイドルを探せ」オーディション出演を含めると初回から出演していた。一時シャンプーのCMに出るなど、タレント活動をしていたがその後引退。3児の母。
15 立見里歌[7] たつみ りか 1985年4月19日 1987年3月30日(5) ニャンギラスのメンバー。引退後ポニーキャニオン入社→退社。1991年に結婚→離婚。現在はタレントの傍ら雑誌編集者として活動中。1児の母。
16 高井麻巳子[7] たかい まみこ 1985年4月26日 田辺エージェンシー うしろゆびさされ組のメンバー。1988年におニャン子クラブの楽曲の作詞を手がけた作詞家の秋元康と結婚し芸能界を引退。1児の母。
17 城之内早苗[7] じょうのうち さなえ 1985年5月10日 解散時メンバー プロダクション尾木 現在は演歌歌手として活動中。2004年にフジテレビ社員と結婚。
18 永田ルリ子[7] ながた るりこ 1985年5月17日 解散時メンバー中最年長で唯一の成人。解散宣言や最後の代表の挨拶を務めた。当時の映像のDVD化を拒否している。
19 岩井由紀子[7] いわい ゆきこ 1985年6月21日 渡辺プロダクション うしろゆびさされ組のメンバー。一時期愛称の「ゆうゆ」名義で活動。1997年に青年実業家の相手と結婚し、芸能界を引退。3児の母。
20 寺本容子[7] てらもと ようこ 1985年7月19日 1985年9月(B)
21 五味岡たまき[7] ごみおか たまき 1985年7月26日 1985年9月20日(D) 1988年、「チープにならないで」でソロデビューの予定が中止になった。
22 白石麻子[7] しらいし まこ 解散時メンバー ニャンギラスのメンバー。国生さゆり with おニャン子クラブボーカルの一人。卒業後はジャガー・ジャパンに勤務。4児の母。
23 林香織[7] はやし かおり 1985年8月2日 1986年3月27日 大阪駐在員。最終回には出演。
24 三田文代[7] みた ふみよ 1985年8月16日 広島駐在員。最終回には出演。元モモコクラブ(桃組出席番号611番)。現在はニューヨークにて演劇の勉強中。
25 吉沢秋絵[7] よしざわ あきえ 1985年8月30日 1986年9月26日(2) 田辺エージェンシー 合格後、すぐにソロデビュー。「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」で役者デビュー。1991年に芸能界を引退し、1996年に結婚。現在は海外在住。1児の母。
26 赤坂芳恵[7] あかさか よしえ 1985年9月27日 1985年10月4日(C) 元モモコクラブ(桃組出席番号2142番)。諸事情から在籍期間一週間。
27 松本亜紀[7] まつもと あき 1985年10月25日 1985年10月25日(C) 元モモコクラブ(桃組出席番号1861番)。合格したのみで活動はなし。2児の母。
28 横田睦美[7] よこた むつみ 1985年11月29日(Y) 解散時メンバー 現在はヨーガを教えている。
29 渡辺美奈代[7] わたなべ みなよ バーニングプロダクション 国生さゆり with おニャン子クラブのボーカルの一人。おニャン子出身者の中で夜のヒットスタジオ最多出演者(13回)。現在はママタレントとして芸能活動中。2児の母。
30 三上千晶[7] みかみ ちあき 1986年3月(D) トライアングル・ブルーのオーディションも合格。二度目で合格を果たす。
31 矢島裕子[7] やじま ゆうこ 1986年2月(D)
32 山本スーザン久美子[7] やまもと すーざん くみこ 1985年12月13日 1986年9月26日(2) おニャン子唯一のハーフ。卒業後JR東海に就職。
33 布川智子[7] ふかわ ともこ 1986年1月17日 解散時メンバー トゥインクル・コーポレーション[8] シブがき隊布川敏和の実妹。解散とともに引退。その後大阪府の男性と結婚し、3児の母。2011年5月に夫の姓を名乗り「荻野智子」として活動再開。
34 弓岡真美[7] ゆみおか まみ 1986年1月10日 1986年12月25日(3) 中学を卒業して1986年3月14日から活動。1児の母。
35 岡本貴子[7] おかもと たかこ 弓岡同様3月14日から活動。
36 渡辺満里奈[7] わたなべ まりな 1986年3月27日 解散時メンバー エイプリル・ミュージック 現在も芸能活動中。2005年、お笑いトリオ・ネプチューン名倉潤と結婚。2児の母。
37 大貫かおり[7] おおぬき かおり 1986年5月9日 不明(C) 元モモコクラブ(桃組出席番号1809番)。諸事情から合格後番組に1日だけ出演。タレント・モデルとして活動中。
38 工藤静香[7] くどう しずか 1986年5月23日 解散時メンバー プロダクション尾木 うしろ髪ひかれ隊のメンバー。元セブンティーンクラブであり、元モモコクラブ(桃組出席番号480番)。おニャン子出身者の中で夜のヒットスタジオで9回出演。現在も歌手として活動中。2000年、元SMAP木村拓哉と結婚。2児の母。
39 高畠真紀[7] たかばたけ まき 1986年5月30日 1986年12月25日(3) 新・会員番号の唄に参加。東海大学卒業。
40 生稲晃子[7] いくいな あきこ 1986年6月13日 解散時メンバー プロダクション尾木 うしろ髪ひかれ隊のメンバー。解散後にソロデビュー。その後も芸能活動を継続、CBC昼ドラマドラマ30キッズ・ウォー』シリーズに長らく出演していたこともある。2003年結婚。1児の母。六本木で鉄板焼き屋も経営。
41 貝瀬典子[7] かいせ のりこ 1986年8月10日(M) ミス・セブンティーングランプリ。当初うしろ髪ひかれ隊に入る予定だった。
42 斉藤満喜子[7] さいとう まきこ プロダクション尾木 うしろ髪ひかれ隊のメンバー。ミス・セブンティーン準グランプリ。解散後にソロデビュー。
43 守屋寿恵[7] もりや としえ 1987年3月20日(4) ミス・セブンティーン準グランプリ。ソロデビューの予定もあった。2児の母。
44 高田尚子[7] たかだ なおこ ミス・セブンティーン特別賞。3児の母。
45 吉田裕美子[7] よしだ ゆみこ 1986年9月19日 単独でCM出演し、ソロデビューの予定もあった。
46 中島早苗[7] なかじま さなえ 1986年9月25日 元モモコクラブ(桃組出席番号1319番)。子役出身で『宇宙刑事ギャバン』などの作品にも出演。
47 山森由里子[7] やまもり ゆりこ 1986年10月24日 解散時メンバー 二度目で合格を果たす。
48 我妻佳代[7] あがつま かよ 1987年1月23日 元モモコクラブ(桃組出席番号368番)。解散後にソロデビュー。芹沢直美の実妹。結婚→離婚。1児の母。六本木の会員制クラブ役員。
B組1番
→49
吉見美津子[7] よしみ みつこ 1986年8月10日(M)
1987年4月(昇格)
ミス・セブンティーン特別賞。元モモコクラブ(桃組出席番号1956番)。解散時メンバー中最年少。解散後ヌードを披露。
B組2番
→50
杉浦美雪[7] すぎうら みゆき ミス・セブンティーン特別賞。解散後はタレント・レースクイーンとして活動、杉美雪と名乗っていたこともある。現在はモデルで、芸名は杉浦未幸
B組3番
→51
宮野久美子[7] みやの くみこ ミス・セブンティーン特別賞。解散後は故郷の名古屋でローカルタレントとして活動、「Kiss」というグループに在籍。現在も芸能活動中。
52 鈴木和佳子[7] すずき わかこ 1987年4月17日 最後の合格メンバー。
B組4番 冨永浩子[7] とみなが ひろこ 1986年8月10日(M) 1987年3月20日(4) ミス・セブンティーン特別賞。
B組5番 山崎真由美[7] やまざき まゆみ 1986年9月25日 解散後にソロデビュー。卒業後は、グラビアを中心に活躍。一時期、イエローキャブに所属。ヌードも披露。現在ハワイアンキルトの講師。
研修生 ヨリンダ・ヤン よりんだ やん 1987年7月13日 1987年7月31日 おニャン子研修生。唯一の外国人(香港人)。現在は香港で歌手、女優として活動中。
凡例
  • 加入時期のカッコ内のアルファベットは、以下の理由により加入。その他は「ザ・スカウトアイドルを探せ」オーディションに合格して加入。
  • 卒業時期のカッコ内の番号は卒業式の回数。アルファベットは以下の理由により正式卒業せず脱退。
    • (A) : 週刊文春喫煙事件による脱退。
    • (B) : 学校を退学したため、番組規定(学校からの許可と学校との両立が活動の絶対条件)に反するとして脱退。
    • (C) : 学校の許可なしで合格したために脱退させられ、学校からも永久追放処分(自主退学が認められない退学処分)になった。
    • (D) : 自分の意志で辞めたのだが、当時はまだ「卒業式」がなかったため、脱退を公式に発表せずにある日突如番組から姿を消す脱退となった。

プロデュース戦略

コアターゲットは10代の男子中高生であったが、世代を超えて多くの支持を集めた。

  • 『夕やけニャンニャン』の番組内ではアシスタントやコーナー説明を当番制で行っていた。時にロケに出ることもあった。
  • 本業は高校生であるとメンバーもスタッフも強く認識しており、テスト期間中などは番組を休んでもよいことになっていた(一週間前後のことが多かったが、大学受験を控えたメンバーは1ヶ月以上番組に出演しないこともあった)。また、普段も宿題を楽屋に持ち込んでメンバー同士で教えあったり、番組スタッフに勉強を見てもらうことも頻繁にあった。

メンバーの選出方法

  • オーディションは、月曜日に始まる自己紹介から金曜日の最終日までの5日間、5人で競い合い、その間毎日番組に登場して課題をこなさなければならなかった。
  • オーディションを受けたメンバーのなかには、芸能事務所やレコード会社に在籍していたメンバーもいる。ソロデビューを視野に入れた売込みの戦略のひとつで、オーディションに出場・合格させて観客や視聴者に「原石を見つけた」と注目させる目的であった[9]
  • オーディション合格後も(芸能事務所に所属していたメンバーを除いて)、メンバーは、フジテレビ局預かりとされ、芸能事務所無所属の正真正銘の素人集団であった。その為、大部分のメンバーが番組終了と同時に解散したおニャン子クラブと共に、一般人として各々の生活に戻った。しかし2014年現在、一般生活に戻っていることが確認できるのはのは15名のみであり、芸能事務所に所属していない残りの25名は消息不明の状態となっている[10]。芸能活動が続行出来たのは、その時点で芸能事務所に所属していた10人前後の者に限られた。

作品

シングル

発売日 タイトル B面曲 オリコン最高位
1 1985年7月5日 セーラー服を脱がさないで 早すぎる世代 5位
2 1985年10月21日 およしになってねTEACHER テディベアの頃 -少女の香り- 2位
3 1986年2月21日 じゃあね アレレレ 1位
4 1986年4月21日 おっとCHIKAN! 思い出美人
5 1986年7月21日 お先に失礼 プリントの夏
6 1986年11月1日 恋はくえすちょん あんみつ大作戦
7 1987年1月21日 NO MORE 恋愛ごっこ あなただけ おやすみなさい
8 1987年5月21日 かたつむりサンバ めしべとおしべ
9 1987年8月21日 ウェディングドレス 私をよろしく 2位
10 2002年11月20日 ショーミキゲン 同級生 48位

アルバム

オリジナル・アルバム

発売日 タイトル 備考 オリコン最高位
1 1985年9月21日 KICK OFF 2位
2 1986年3月10日 夢カタログ 1位
2008年7月16日 Myこれ!チョイス 14 夢カタログ+シングルコレクション ポニーキャニオンの "Myこれ!チョイス" の一環として復刻
元の収録曲全10曲に加え、オリジナル盤に未収録のシングルA面曲がすべて収録された
3 1986年7月10日 PANIC THE WORLD 1枚目はオリジナル盤、2枚目は1986年4月までのソロ・ユニット楽曲を含むベスト盤 3位
4 1987年2月21日 SIDE LINE 1位
5 1987年8月5日 Circle 1枚目は卒業生を含むソロとユニットのオリジナル、2枚目は現役メンバーによるオリジナル 2位

ベスト・アルバム

発売日 タイトル 備考 オリコン最高位
1986年10月21日 スーパーベスト CDCTのみのベスト盤
1986年12月21日 NON-STOP おニャン子 CTのみの企画盤
曲間におしゃべりも収録
未発表曲「早口言葉でサヨナラを」収録
1位
1993年11月19日 CDフォーマットを変えて再発売
1987年3月5日 家宝 CDのみのベスト盤
ソロ楽曲も収録
1987年12月5日 おニャン子クラブ ベスト
1989年8月21日 フォーエバー・アイドル・ベスト・シリーズ おニャン子クラブ ピクチャー・レーベル
選曲は『おニャン子クラブ ベスト』と同様
1996年 ベストセレクション CD2枚組
通販限定商品
ソロ楽曲も収録
1997年3月21日 ULTRA NYANKO OMOTE SPECIAL 解散10周年記念ベスト盤
ULTRA NYANKO URA SPECIAL
1999年3月17日 おニャン子クラブA面コレクション Vol.1
おニャン子クラブA面コレクション Vol.4
おニャン子クラブA面コレクション Vol.5
1999年4月21日 おニャン子クラブB面コレクション Vol.1
おニャン子クラブB面コレクション Vol.5
1999年5月21日 おニャン子クラブA面コレクション Vol.2
おニャン子クラブA面コレクション Vol.3
1999年6月19日 おニャン子クラブB面コレクション Vol.2
おニャン子クラブB面コレクション Vol.3
おニャン子クラブB面コレクション Vol.4
2000年9月20日 EURO おニャン子 おニャン子と派生ユニットのシングルA面曲をユーロビートにリアレンジした企画アルバム
2001年12月5日 MYこれ!クション おニャン子クラブBEST
2002年12月18日 おニャン子クラブ ミニ・ベスト
おニャン子クラブ ソロ&ユニット ミニ・ベスト
2005年7月27日 30-35 VOL.3 「おニャン子クラブ」特集 このアルバムのみSony Music Directから発売
未発表曲「真夏のアルバイト」(茂木淳一&新田恵利)収録
2006年9月20日 デビューアルバムに針を落として… おニャン子クラブ編 おニャン子とソロ、派生ユニットのデビューアルバムの1曲目を集めたオムニバス・アルバム
2007年7月18日 「おニャン子クラブ」SINGLESコンプリート シングルA面B面のコンプリート盤、会員番号の唄(『おニャン子Sailing夢工場'87LIVE』音源も含む)も収録
2010年4月21日 Myこれ!Lite おニャン子クラブ
2012年11月21日 ザ・プレミアムベスト おニャン子クラブ

ライブ・アルバム

発売日 タイトル 備考
1987年6月3日 おニャン子Sailing夢工場'87LIVE LP(キャニオン・レコード)、CD(CBS・ソニー)、CT(EPIC・ソニー)で収録曲が異なるライブ盤
CDには、岩井由紀子と渡辺美奈代、CTには渡辺満里奈と生稲晃子のおしゃべりも収録

映像作品

発売日 タイトル 備考
1985年11月16日 課外授業 ファーストコンサート『KICK OFF』のビデオ作品
1986年2月21日 臨海学校 1985年12月末〜1986年1月上旬にかけて撮影されたハワイ観光ビデオ
1986年5月21日 全国縦断コンサート あぶな〜い課外授業 初のコンサートツアーのリハーサル、バックステージ、ドキュメンタリー映像が中心に収録
1986年9月21日 海外出張 1986年8月上旬に撮影されたアメリカ観光ビデオ
1986年11月15日 おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ! 初主演映画のビデオ化
2002年3月20日 DVDにフォーマットを変えて再発売
1987年5月15日 卒業記念SPRINGコンサート Sailing 夢工場 卒業コンサートのビデオ作品
1987年10月31日 おニャン子クラブ解散記念 全国縦断ファイナルコンサート 解散コンサートを完全収録
1988年1月21日 孫の代までおニャン子クラブ 夕やけニャンニャン』とおニャン子クラブの歴史を紹介するビデオ
2003年10月16日 おニャン子PANIC卒業記念コンサート 1986年夏の『おニャン子PANICツアー卒業公演』を初映像化
ただし、テレビ放送映像を再編集したもの(映像拒否メンバーはカット)
特典映像として、『夕やけニャンニャン』より第2回卒業式を再編集して収録
2004年6月16日 夕やけニャンニャン おニャン子白書 1985年4〜6月 『夕やけニャンニャン』よりおニャン子メンバーをクローズアップしたヒストリー映像集
2004年10月20日 夕やけニャンニャン おニャン子白書 1985年7〜8月
2005年4月27日 夕やけニャンニャン おニャン子白書 1985年9〜11月
2005年12月7日 夕やけニャンニャン おニャン子白書 棚卸し総決算'85/12月

BOXセット

発売日 タイトル 備考
2002年4月17日 おニャン子クラブ「最終盤」〜the final episode〜 『おニャン子 ザ・ムービー 危機イッパツ!』と『孫の代までおニャン子クラブ』を除く全映像作品を収納したDVD-BOX
『孫の代までおニャン子クラブ』を再編集した特典ディスク付き。
2002年12月4日 おニャン子クラブ未公開映像 ザ・バックステージ 1986年春の『全国縦断コンサート あぶな〜い課外授業』のリハーサル、バックステージ、コンサート映像に再結成時の特典映像を加えたDVD-BOX
映像拒否メンバーを一部カットしている(会員番号の歌などソロで映っている場面)
なお、DISC-3のコンサート映像は1986年発売のVHS『あぶな〜い課外授業』の同じ公演(1986年4月1日)の別曲目である。
2005年7月6日 おニャン子クラブ大全集・上巻 全楽曲とライブ盤
シングルカセットのおしゃべりを復刻収録
発売元が異なる『おニャン子Sailing夢工場'87LIVE』のCD盤/CT盤音源は未収録
おニャン子クラブ大全集・下巻
2005年10月19日 おニャン子クラブ in 月曜ドラマランド BOX 1 ボクの婚約者(フィアンセ)」「もしかして婚約者!?」「いきなり婚約者」を収録
月曜ドラマランド枠では他に、『ママをたずねて三千里』、『透明少女』&『みゆき』(主演:河合その子)、『あしながおじさん』&『ないしょのハーフムーン』(主演:高井麻巳子)、『探偵桃がたり』(主演:渡辺美奈代)、『有閑倶楽部』(主演:国生さゆり)、『ホワッツマイケル?』(主演:吉沢秋絵)、『ねらわれた学園』(主演:新田恵利)、『看護婦アカデミー』&『おさな妻!ママはあぶない17才!!』(主演:渡辺満里奈)などにもドラマ出演している。
2005年11月16日 おニャン子クラブ in 月曜ドラマランド BOX 2 「おニャン子学園危機イッパツ!とんだ放課後」「三代目はおニャン子お嬢さま 花吹雪893組」「おニャン子捕物帖 謎の村雨城」を収録
月曜ドラマランド枠では他に、『ママをたずねて三千里』、『透明少女』&『みゆき』(主演:河合その子)、『あしながおじさん』&『ないしょのハーフムーン』(主演:高井麻巳子)、『探偵桃がたり』(主演:渡辺美奈代)、『有閑倶楽部』(主演:国生さゆり)、『ホワッツマイケル?』(主演:吉沢秋絵)、『ねらわれた学園』(主演:新田恵利)、『看護婦アカデミー』&『おさな妻!ママはあぶない17才!!』(主演:渡辺満里奈)などにもドラマ出演している。
2008年9月17日 おニャン子クラブ大全集 for HiQualityCD 上・下巻 限定CD-BOX
2015年3月18日 結成30周年記念CD-BOX シングルレコード復刻ニャンニャン 「セーラー服を脱がさないで」から「黄砂に吹かれて」までアナログで発売されたシングル125枚に特典ディスクを収録した12cmCD126枚組

タイアップ曲

楽曲 タイアップ
セーラー服を脱がさないで フジテレビ系『夕やけニャンニャン』テーマソング
およしになってねTEACHER
じゃあね
おっとCHIKAN!
お先に失礼 東宝映画『おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!』主題歌
恋はくえすちょん フジテレビ系アニメ『あんみつ姫』オープニングテーマ
あんみつ大作戦 フジテレビ系アニメ『あんみつ姫』エンディングテーマ
NO MORE 恋愛ごっこ フジテレビ系『夕やけニャンニャン』テーマソング
ウェディングドレス

映画

※活動期間中のみの出演作品

関連ユニット

  • ニャンギラス(樹原、名越、立見、白石)- 夕ニャンのコーナーから生まれたユニット。
  • うしろゆびさされ組(高井、岩井)- 当初名前が“キウイ組”になる予定で、デビュー曲「うしろゆびさされ組」のシングルレコードジャケットも“キウイ組”の名前で作成されたが、急遽“うしろゆびさされ組”へとグループ名が変更されたため、すでに『キウイ組』の名で刷り上がっていたジャケットは破棄された。
  • うしろ髪ひかれ隊(工藤、生稲、斉藤)- おニャン子クラブ解散後も活動。しかし工藤のソロ充実により、ファーストコンサート後自然消滅した。
  • おニャン子クラブB組(吉見、杉浦、宮野)- 当初5人でのデビューが告知されていたが、冨永と山崎が卒業。その後吉見、杉浦、宮野の3人によるデビューが再計画され、レコード店頭告知として「いつだってイレギュラー」(1987年6月15日発売予定)というタイトルも公表されていたが、おニャン子の解散により中止になった。

コンサート

  1. ファーストコンサート "KICK OFF"
    • 曲順:1.セーラー服を脱がさないで 2.早すぎる世代 3.夏のクリスマス 4.放課後に落ち込んだ少女 5.愛の倫理社会 6.FENを聴かせて 7.シーッ!愛はお静かに… 8.テディベアの頃-少女の香り- 9.いじわるね Darlin' 10.LIKE A CHERRY BOY 11.うしろゆびさされ組 12.女学生の決意 13.なぜ?の嵐 14.涙の茉莉花LOVE 15.さよなら夏のリセ 16.恋のチャプター AtoZ 17.およしになってねTEACHER 18.真赤な自転車 19.セーラー服を脱がさないで
    • 日比谷野外音楽堂(1985年10月5日)
  2. 全国縦断コンサート "あぶな〜い課外授業"
    • 大阪公演で林、三田が卒業、東京公演で中島、河合が卒業。
    • チケットはファンクラブ会員の申込で完売した為、一般発売は無かった。
    • 曲順:1.セーラー服を脱がさないで 2.会員番号の唄 3.LIKE A CHERRY BOY 4.早すぎる世代 5. 風のInvitation 6. シーサイド・セッション 7.うしろゆびさされ組 8.女学生の決意 9.バナナの涙 10.なぜ?の嵐 11.季節はずれの恋 12.私は里歌ちゃん 13.恋愛御見舞申し上げます 14.バレンタイン・キッス 15.恋はRing Ring Ring 16.冬のオペラグラス 17.恋のロープをほどかないで 18.星座占いで瞳を閉じて 19.じゃあね 20.涙の茉莉花LOVE 21.落葉のクレッシェンド 22.青いスタスィオン 23.恋のチャプター AtoZ 24.およしになってねTEACHER 25.真赤な自転車 26.夢の花束 27.じゃあね 28.セーラー服を脱がさないで
    • 北海道厚生年金会館(1986年3月16日)、広島サンプラザ(3月21日)、名古屋市国際展示場(3月23日)、仙台市体育館(3月25日)、大阪城ホール(3月28日、29日)、日本武道館(3月31日、4月1日)
    • ファイナル公演以外は、12.好きになってもくれない 17.ロマンスは偶然のしわざ が歌われた。
  3. 全国縦断コンサート "おニャン子PANIC"
    • 新田、福永、名越、吉沢、スーザンが卒業、ニャンギラスが解散。
    • 2ヶ月以上に渡る長期間のツアーのため、初回公演と最終公演では曲目、曲順が大幅に異なる。
    • スタジアムコンサート・全国ツアー:
      • 曲順: 1.乙女心の自由型 2.新・会員番号の唄 3.セーラー服を脱がさないで 4.おっとCHIKAN! 5.夏のクリスマス 6.瞳に約束 7.少しおませな恋 8.私は里歌ちゃん 9.自分でゆーのもなんですけれど 10.季節はずれの恋 11.17才の詩 12.おニャン子のあぶな〜い捕物帖 13.あじさい橋 14.ウィンクで殺して 15.避暑地の森の天使たち 16.風のInvitation 17.キスはマジック 18.プリントの夏 19.猫舌ごころも恋のうち 20.SE・KI・LA・LA 21.シンデレラたちへの伝言 22.象さんのすきゃんてぃ 23.夏を待てない 24.砂まじりのトラベリンバス 25.バレンタイン・キッス 26.青いスタスィオン 27.再会のラビリンス 28.恋のロープをほどかないで 29.テディベアの頃 30.不思議な手品のように 31.お先に失礼 32.夏休みは終わらない 33.瞳の扉 34. 冬のオペラグラス 35. じゃあね 36. およしになってねTEACHER 37. 真赤な自転車
      • ツアー途中で、11.鏡の中の私、20.渚の『・・・・・』、24.ノーブルレッドの瞬間に差し替えられた。
      • 河合その子は、横浜スタジアム阪急西宮球場公演のみ歌ゲストとして参加。
      • 球場コンサート後、海外出張を挟んで、全国ツアーがスタート。
      • 横浜スタジアム(1986年7月19日)、阪急西宮球場(7月21日、22日)、広島サンプラザ(8月15日)[11]愛知県体育館(8月16日)、静岡産業館(8月17日)、福岡国際センター(8月19日)、新潟県民会館(8月21日)、福井フェニックス・プラザ(8月24日)、長野県県民文化会館(8月26日)、仙台市体育館(8月28日)、札幌真駒内屋外競技場(8月30日)
    • 卒業コンサート:
      • 曲順: 1.乙女心の自由型 2.おっとCHIKAN! 3.新・会員番号の唄 4.お先に失礼 5.瞳に約束 6.雪の帰り道 7.おニャン子のあぶな〜い捕物帖 8.あじさい橋 9.ウインクで殺して 10.避暑地の森の天使たち 11.深呼吸して 12.シンデレラたちへの伝言 13.メロディ 14.季節はずれの恋 15.鏡の中の私 16.私は里歌ちゃん 17.自分でゆーのもなんですけれど 18.KissはMagic 19.風のInvitation 20.ハートのIgnition 21.うしろゆびさされ組 22.象さんのすきゃんてぃ 23.渚の『・・・・・』 24.バレンタイン・キッス 25.夏を待てない 26.ノーブルレッドの瞬間 27.冬のオペラグラス 28.真夏の滑走路 29.不思議な手品のように 30.およしになってねTEACHER 31.夏休みは終わらない 32.真っ赤な自転車 33.瞳の扉 34.じゃあね 35.セーラー服を脱がさないで
      • 日本武道館(1986年9月26日)
  4. 卒業記念1987おニャン子クラブSPRINGコンサート "おニャン子Sailing・夢工場"
    • 樹原、国生、内海、立見、高井が卒業、うしろゆびが解散。
    • 曲順: 1.本ベル〜オーバーチュア〜STAND UP 2.お先に失礼 3.新・新会員番号の唄 4.恋はくえすちょん 5.NO MORE 恋愛ごっこ 6.ホワイトラビットからのメッセージ 7.マリーナの夏 8.深呼吸して 9.蒼いメモリーズ 10.20歳 11.雨のメリーゴーランド 12.ハートに募金を 13.あじさい橋 14.流氷の手紙 15.星のバレリーナ 16.天使のボディーガード 17.時の河を越えて 18.約束 19.かげろう 20.シンデレラたちへの伝言 21.あんまりじゃない?〜恋なし子 22.私は里歌ちゃん 23.TOO ADULT 24.PINKのCHAO 25.瞳に約束 26.夏を待てない 27.星屑の狙撃手 28.バレンタイン・キッス 29.あの夏のバイク 30.うしろゆびさされ組 31.技ありっ! 32.渚の『・・・・・』 33.かしこ 34.あなただけおやすみなさい 35.瞳の扉 36.じゃあね
    • 大阪城ホール(1987年3月28日、29日)、福岡国際センター(3月31日)、愛知県体育館(4月2日)、国立代々木第一体育館(4月4日、5日)
    • 大阪公演では、35.春一番が吹く頃にが歌われた。
  5. おニャン子クラブ解散記念 全国縦断ファイナルコンサート
    • 解散コンサート。全員が卒業
    • 2ヶ月近くに渡る長期間ツアーのため、全国ツアーと最終公演の曲目、曲順は大幅に異なる。
    • 地方公演には、卒業生が1〜4名ずつ歌ゲストとして参加した。解散コンサートには、卒業生全員(ただしソロ組+ニャンギラス+中島のみ)が参加
    • 全国ツアー:
      • 曲順 1.ONE NIGHT ONLY 2.かたつむりサンバ 3.メドレー(恋はくえすちょん-おっと CHIKAN!-避暑地の森の天使たち-お先に失礼-ハートに募金を-LIKE A CHERRY BOY-およしになってね TEACHER-NO MORE 恋愛ごっこ) 4.天使のボディーガード 5.-3℃ 6.未完成なジグソーパズル 7.シンデレラのシューズ 8.雨のあやとり 9.マリーナの夏 10.深呼吸して 11.夏休みだけのサイドシート 12.ゲストAの歌1曲目 13.ゲストAの歌2曲目 14.間に合うかもしれない 15.雨のメリーゴーランド 16.あじさい橋 17.寒い8月 18.ゲストBの歌1曲目 19.ゲストBの歌2曲目 20.風の物語 21.赤道探検隊 22.瞳に約束 23.TOO ADULT 24.アマリリス 25.時の河を越えて 26.禁断のテレパシー 27.あなたを知りたい 28.割ってしまった卵 29.真赤なミニスカート 30.ウェディングドレス 31.乙女心の自由型 32.STAGE DOOR 34.夏休みは終わらない 35.瞳の扉 36.セーラー服を脱がさないで
      • 札幌厚生年金会館(1987年8月1日、新田・吉沢)、広島郵便貯金会館(8月3日、新田・中島)、福岡サンパレス(8月4日、福永・中島)、名古屋公会堂(8月6日、福永・吉沢)、福井フェニックス(8月7日、高井)、名古屋公会堂(8月8日、河合)、郡山市民文化会館(8月9日、高井)、新潟県民会館(8月15日、国生・内海)、長野県民会館(8月16日、内海)、大阪フェスティバルホール(8月18日、福永・河合、19日、名越・樹原・河合、高井、20日、新田・国生)
      • 札幌厚生年金(1987年8月1日)のゲストAは吉沢、12.なぜ?の嵐と13.雨の花火、ゲストBは新田、18.冬のオペラグラス19.とサーカス・ロマンスを歌唱。
    • 解散コンサート:
      • 曲順 1.オープニング(Circle)〜ONE NIGHT ONLY 2.かたつむりサンバ 3.メドレー(恋はくえすちょん-おっとCHIKAN!-避暑地の森の天使たち-お先に失礼-ハートに募金を-LIKE A CHERRY BOY-およしになってねTEACHER-NO MORE 恋愛ごっこ) 4.天使のボディーガード 5.-3℃ 6.夏休みだけのサイドシート 7.深呼吸して 8.あじさい橋 9.金沢の雨 10.間に合うかもしれない 11.雨のメリーゴーランド 12.蒼いメモリーズ 13.シンデレラたちへの伝言 14.私は里歌ちゃん 15.風のInvitation 16.バレンタイン・キッス 17.なぜ?の嵐 18.うしろゆびさされ組 19.渚の『・・・・・』 20.冬のオペラグラス 21.星座占いで瞳を閉じて 22.涙の茉莉花LOVE 23.未完成なジグソーパズル 24.シンデレラのシューズ 25.雨のあやとり 26. 瞳に約束 27.アマリリス 28.禁断のテレパシー 29.あなたを知りたい 30.時の河を越えて 31.割ってしまった卵 32.真赤なミニスカート 33.ウェディングドレス 34.乙女心の自由型 35.夏休みは終わらない 36.瞳の扉 37.じゃあね 38.STAGE DOOR 39.会員番号の唄 40.真赤な自転車 41.セーラー服を脱がさないで
      • 国立代々木第一体育館(1987年9月19日、20日)

再結成

2002年再結成時のメンバー(レコーディング参加メンバー)

同年の『FNS歌謡祭』に出演した際には上記のメンバーに加え(白石除く)以下のメンバーも参加し話題になった。

また、過去にも何度か番組の企画等でおニャン子クラブの何名かのメンバーが集まった事がある。

  • 1993年、『日本レコード大賞』参加メンバー - 新田、内海、立見、岩井、白石、斎藤
  • 1994年、『花王ファミリースペシャル ザ・同窓会』参加メンバー - 新田、樹原、名越、内海、富川、立見、城之内、岩井、三田、横田、山本、岡本、生稲、貝瀬、斉藤守屋高田吉田、山森、我妻
  • 1994年、『テレビのツボ 夜ふかしニャンニャンファイナル!』参加メンバー - 名越、富川、立見
  • 1996年フジテレビの日『復活!夕やけニャンニャン』参加メンバー - 新田、中島(美)、樹原、国生、名越、内海、富川、立見、城之内、岩井、白石、吉沢、横田、渡辺(美)、山本、岡本、工藤、生稲、貝瀬、斎藤、山森、我妻
  • 1997年、『ザッツお台場エンターテイメント!』参加メンバー - 新田、中島(美)、富川、山本、工藤
  • 1997年、『とんねるずのハンマープライス』における「学園祭で夕ニャンをする権利」参加メンバー - 新田、中島(美)、内海、富川、立見、横田、山本、布川、岡本、貝瀬、我妻
  • 2005年、『おニャン子クラブ in 月曜ドラマランドBOX2 発売イベント』参加メンバー - 新田、立見、城之内、内海、(他、福永がイベントのために手紙を書いている)
  • 2010年、『サントリー BOSS贅沢微糖TVCF おニャン子再結成!?』参加メンバー - 新田、国生、立見、城之内、白石、横田、渡辺(美)、布川、生稲、杉浦、宮野
  • 2010年、『ボクらの時代』参加メンバー - 新田、国生、城之内
  • 2010年、『超豪華!!スタア同窓会 ゲゲゲッ!の再会SP』参加メンバー - 新田、国生、立見、城之内、渡辺(美)、生稲
  • 2010年、『スパモク!! 最強の女子力決定戦!! アイドル年の差バトル』参加メンバー - 新田、国生、生稲
  • 2010年、『おニャン子クラブのオールナイトニッポンGOLD 』参加メンバー - 新田、国生、城之内、生稲
  • 2011年、『歴代トップアーティスト大集合! 1位をとったアノ歌コンサート』参加メンバー - 新田、国生、城之内、渡辺(美)、生稲
  • 2011年、『くだまき八兵衛X』参加メンバー - 新田、国生、城之内、生稲、杉浦
  • 2011年、『くりぃむしちゅーの最強アイドル大百科』参加メンバー - 新田、国生、城之内、生稲、我妻
  • 2011年、『なるほど!ハイスクール』参加メンバー - 新田、白石、布川、生稲、我妻
  • 2012年、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』参加メンバー - 新田、樹原、名越、立見、城之内、白石、横田、渡辺(美)、山本、布川、岡本、生稲、貝瀬、山森、我妻、杉浦
  • 2014年、『KiBERA 新商品発表会』参加メンバー - 樹原、国生、名越、内海、白石
  • 2018年、『THE MUSIC DAY』参加メンバー - 新田、国生、内海、立見、渡辺(美)、山本

その他

他局の歌番組との関係

おニャン子クラブおよびそのメンバーは(解散前もしくは卒業前・脱退前においては)、フジテレビ専属とされ、他局の番組や主催イベントに出ることは原則としてなかった。

ザ・ベストテン』(TBS)には彼女らの楽曲(卒業組含む)が1986年7月31日から1987年4月2日の間には多数チャートインし、1985年8月29日の初登場から1986年7月中旬までは出演していたものの、その後減少した。司会者は、おニャン子クラブの欠席理由に関して、1986年10月2日までは、「定期試験中」「コンサート中・レコーディング中」等の理由を述べていたが、1986年10月9日以降は「各方面の調整がいまだ取れず今回は欠席」という欠席理由を述べていた[12](うしろ髪ひかれ隊に関しては、番組出演が決まり、専用のセットまで組まれていたが、直前になり出演が取り止めになり、苦肉の策として、リハーサルで歌ったスタッフに歌わせている)。1987年3月に、河合その子、4月9日にゆうゆ with おニャン子クラブが第10位にランクインを機に出演拒否を解除したが、“おニャン子クラブ”としての出演は解除後も一度もなかった。ソロ出演かうしろ髪ひかれ隊のようなユニット出演のみしかなく、解除後にランクインされた曲では、「金輪際、出演する事はない」という理由で歌が披露される事はなかったなど、特に『ザ・ベストテン』との関係はおよそ良好とは言い難かった。

この件に関しては、当時のプロデューサーが出した本[13]では「おニャン子クラブの歌にランキングは付けられない」と言う理由だと説明していたが、一方で日本テレビの『歌のトップテン』には出演していたり、夕ニャン内でオリコンのコーナーを作り、おニャン子関係でランキングされるとそれを祝うという活動も行っていた。またそれ以外にも、当時発売されたおニャン子関連の書籍で、「『ザ・ベストテン』のランキングは、レコード売り上げ、有線放送リクエスト、ラジオ放送のリクエストチャート、番組に寄せられたハガキのリクエスト等の総合ポイントにて順位付けがなされていたが、放送される週によってそれらの比重が変化し(例:レコード売り上げがランキングに最重視される週もあれば、ハガキのリクエスト、もしくは有線・ラジオのリクエストが最重視される週がある等)、順位付が公正になされていなかった為、出演を遠慮していた」との記述もある[13]が、真偽の程は定かでない。なお『ザ・ベストテン』におけるおニャン子関連での初の1位獲得は解散からちょうど1年後に工藤静香の「MUGO・ん…色っぽい」でようやく達成している。

NHK紅白歌合戦』の出場歌手にも選出されなかったが、NHKによると1985年の不出場は「単に視聴者対象の事前調査で票数が少なかったから」と説明している[4]。なお、おニャン子クラブメンバーのうち、『NHK紅白歌合戦』に歌手として出場経験があるのは(2017年現在)工藤静香のみである(『夕やけニャンニャン』放送終了後の1988年が初出場)。

また、テレビ放送によって支えられていた知名度であったことから、メイン番組となる「夕やけニャンニャン」が地元県域局テレビ長崎)で放送されていなかった[14]長崎県[15]においては、おニャン子の知名度はほとんど伸びなかった。[16]

解散コンサート

1987年9月20日(日曜日)、国立代々木競技場第一体育館ではおニャン子クラブ解散コンサートが行われ、全国から3万人近いファンが集まった。また会場前の広場には チケットを手に入れられなかった数百人のファンが押し寄せ、その数は原宿駅に渡る歩道橋まで埋め尽くす程であった。そうしたファンは皆一丸となって会場から微かに聞こえてくる歌声を聞きながら声援を送っていた。

しかし、最終公演のアンコールに差し掛かった時に一部のファンが暴走。「突っ込めー!!」の合図と共に親衛隊を中心とした数十人が入り口のガラスを折りたたみ椅子で割るなどして乱入、これにつられて他のファン数百人も「俺達だって中に入る権利があるんだ!」と叫びながら警備員の制止を振り切って一気になだれ込んだ(この一件は翌日のニュースやスポーツ新聞で大きくとり上げられている)。

これ以後、毎年9月20日にファン有志が代々木競技場近くの代々木公園に集まって集会(解散コンサートのビデオ上映会)が行われている。[17]

パチンコ

2005年秋、サンセイアールアンドディからパチンコ台「CRおニャン子クラブ」がリリースされた。

ザ・ベストテンのランキング発表のような反転フラップ表示的な演出が特徴である。もっとも、視覚的には番組と同じなのはロゴとキャラクターの振り付けのみで、会員の実名は一切使われておらず、アニメ絵のキャラの顔も、特に会員に似せてはいない。登場キャラクターは全員学生服を着ているが、実際の番組では制服のまま出演することは許されなかった。

批評

音楽評論家の安倍寧は、おニャン子クラブと1934年公開の日本映画隣の八重ちゃん』との類似点を指摘している[18]

脚注

  1. 活動中期の1986年8月と9月に、中学生で加入してきたメンバーたち5人で括られた「おニャン子クラブB組」も作られた。高校生以上で構成される本体のおニャン子クラブとは区分されていたが、1987年4月にB組の面子が全員高校生になって本体に昇格したことで、発展的解消した
  2. おニャン子クラブB組のまま脱退した2人と『夕やけニャンニャン』番組末期に短期間だけ在籍した外国人の研修生1人には与えられなかった
  3. 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p.3.
  4. 4.0 4.1 「おニャン子旋風 不況レコード界の“救世主”」『朝日新聞』1986年7月17日付東京夕刊、15頁。
  5. “おニャン子クラブが日テレで一夜限りの復活ステージ”. 日刊スポーツ. (2018年6月16日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201806160000558.html . 2018閲覧. 
  6. THE MUSIC DAY 伝えたい歌(番組公式サイト)”. 日本テレビ放送網 (2018年6月16日). . 2018閲覧.
  7. 7.00 7.01 7.02 7.03 7.04 7.05 7.06 7.07 7.08 7.09 7.10 7.11 7.12 7.13 7.14 7.15 7.16 7.17 7.18 7.19 7.20 7.21 7.22 7.23 7.24 7.25 7.26 7.27 7.28 7.29 7.30 7.31 7.32 7.33 7.34 7.35 7.36 7.37 7.38 7.39 7.40 7.41 7.42 7.43 7.44 7.45 7.46 7.47 7.48 7.49 7.50 7.51 7.52 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p.92
  8. 2011年に活動を再開した時に所属した事務所であり、おニャン子クラブ時代は無所属であった。
  9. 河合その子、渡辺美奈代、工藤静香、高井麻巳子、岩井由紀子、我妻佳代らなどは、おニャン子クラブ所属前からレコード会社や芸能事務所に所属していた。
  10. ※AKB調べ」2014年11月13日放送分より。
  11. MCでは「今日は何の日?」 ファンが「終戦記念日!」と言うが、1分間の黙祷をする。
  12. 「各方面」とお断りした後、次のランキングの歌手がフジテレビからの中継となり、追っかけマンの松宮一彦が中継の冒頭で「こちら各方面です」と揶揄する事があった。
  13. 13.0 13.1 こニャン子クラブ編『おニャン子白書』、フジテレビ出版、1987年8月。ISBN 4594001696。pp.47-48.
  14. 当時、『お昼のワイドショー』(NNS系、但しテレビ長崎NNS非加盟)を放送していた影響で、『笑っていいとも!』を時差ネットしていた関係で。
  15. 長崎放送も『L4 YOU!』(2012年9月28日迄は『レディス4』、いずれもTXN系、ただし長崎放送TXN非加盟)の放送の影響で、『スーパーワイド』『わいわいティータイム』、『情報!もぎたてサラダ』(以上、14時台)『ジャスト』(15時台)、『イブニング・ファイブ』、『サカスさん』(以上、17時台)、『イブニングワイド』(17:50迄のパート)、『Nスタ』(2013年9月27日迄は17時台、2013年9月30日以降は16時台、17時台とも)が放送されていない。(その一方で、テレビ長崎は『スーパーニュース』17時台を、2007年4月2日よりネット開始(それ以前(2007年3月30日迄)は17時台ローカルワイドが組まれていた。また2009年10月2日から2010年9月24日の間、2011年4月12日から2013年3月22日の間はローカルワイド編成上の都合により時期、曜日により非ネットまたは部分ネット)。また長崎文化放送は『スーパーJチャンネル』17時台を、長崎国際テレビは『Newsリアルタイム』、『news every.』17時台をネットしている。またNHK長崎総合も『ゆうどき』を2007年度よりネットしている。)
  16. 秋田テレビ秋田県)、石川テレビ放送石川県)でも『夕やけニャンニャン』は未ネットであった(『お昼のワイドショー』は秋田県では秋田放送がネット、また石川県では『お昼のワイドショー』放送当時はテレビ金沢当枠ネット局)が未開局であった。尚、『L4 YOU!』(旧『レディス4』)は秋田県では未ネット、石川県では北陸放送がネットしていたが旧『レディス4』時代(2008年9月26日)に打ち切っている長崎放送と違い、『レディス4』ネット期間中もイブニング・ファイブ17時台が放送されない等の影響は出ていない))。なお、『お昼のワイドショー新潟総合テレビテレビ熊本テレビ大分鹿児島テレビ放送NNS加盟期間中も本番組は放送されていない(「暮らしのヒント」、「ごちそうさま」、「昼下がりのカルチャー」のコーナーのみの放送を除く)。尚、テレビ大分を除く3局は現在はNNSを脱退している。また、『L4 YOU!』(旧『レディス4』)は、青森県秋田県山形県福島県富山県福井県岐阜県三重県京都府兵庫県鳥取県島根県広島県山口県徳島県高知県佐賀県沖縄県では『レディス4』時代から放送されておらず(スペシャル版のみのネットを除く)、また、IBC岩手放送東北放送テレビ山梨静岡第一テレビ北陸放送南海放送熊本放送は『レディス4』時代に、南日本放送は『L4 YOU!』時代(2004年10月3日)に打ち切られた
  17. 2010年10月5日放送日本テレビ放送網「超豪華!!スタア同窓会 ゲゲゲッ!の再会SP」より
  18. 安倍寧「'86夏ポップス考 おニャン子現象」『朝日新聞』1986年8月9日付東京夕刊、3面。

関連項目

  • 夕やけニャンニャン
  • 秋元康 - 作詞家であり、おニャン子クラブの仕掛け人。
  • 後藤次利 - 作曲家として、おニャン子クラブの曲の多くを手掛けた。
  • とんねるず - 当時『夕やけニャンニャン』のレギュラーだった。
  • 息っ子クラブ - おニャン子クラブの男性版。
  • アイドル夢工場
  • 乙女塾 - 第二のおニャン子を目指すべく始まった『夕やけニャンニャン』の後継番組『パラダイスGoGo!!』から誕生したグループ。正確にはフジテレビ主催の「タレント育成講座」。
  • アイドリング!!! - フジテレビ及びCSフジテレビで現在放送中のおニャン子クラブの後継アイドルグループであるが、2015年10月末で活動終了(こちらを参照)。
  • AKB48 - おニャン子クラブ同様、秋元がプロデュースを担当したアイドルグループ。SKE48NMB48などといった姉妹グループ、乃木坂46欅坂46といったライバルグループも存在する。
  • モモコクラブ - 当時発行されていたグラビア誌『Momoco』(学習研究社刊)の美少女紹介ページ。メンバーの中には、のちにおニャン子クラブ入りした者も何人かいる。