イモラ・サーキット

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テンプレート:Infobox motorsport venue アウトドローモ・インテルナツィオナーレ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ[1] (: Autodromo Internazionale Enzo e Dino Ferrari) は、イタリアイモラ市にあるサーキット。別名イモラ・サーキット (Imola Circuit) 。

フェラーリ創業者のエンツォ・フェラーリとその息子のアルフレード・フェラーリを記念してつけられた。当初は「アウトドローモ・ディーノ・フェラーリ」 (Autodromo Dino Ferrari) という名称だったが、1989年、エンツォ・フェラーリの死去に伴い、現在の名称になった。

歴史

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2007年3月のイモラホームストレートとピット跡
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2008年4月15日のイモラ。ピットとコースに改修が加えられた

イモラは全長5,017mの高速コースとして造られた。グランプリサーキットの中では珍しく、反時計回りで周回するサーキットである。ホームストレートの海抜は41m。北側にイモラ市街地があり、サンテルノ川を隔ててレーシングコースがある。サーキットの内側には陸上競技場がある他、南側の丘にはぶどう畑が広がり、この一帯はDOCワイン「コッリ・ディ・イモラ」で知られる。

1953年に開催されたオートバイレースが、初のレースイベントだった。1973年にはバリアンテ・バッサ、1974年にバリアンテ・アルタの2つのシケインが追加された。1981年にはアクア・ミネラリにもシケインが追加され、このレイアウトが1994年まで使用された。

F1のレースは1979年のシーズン終了後に非選手権戦として初開催された。1980年以降は選手権戦となり、1980年はイタリアGP1981年から2006年までサンマリノGPとして開催された。

1994年サンマリノGPでは大事故が多発し3名のドライバーが死傷し、その後コースレイアウトが変更された。タンブレロコーナーとヴィルヌーブコーナーは高速コーナーからシケインへと改修されたが、最終コーナー手前のバリアンテ・バッサの進入が緩やかになり、アクア・ミネラリのシケインは撤去された。これらの改修で平均速度は下がったが、元々コース幅が非常に狭い事もあり、以前と比べ追い抜きのしにくいコースとなってしまった。

2007年より、狭く老朽化したピットの改修工事に入った。それに伴いバリアンテ・バッサが撤去され、リバッツァ2からタンブレロまでをゆるいコーナーでつないだ形状とした。この変更でホームストレートが長くなった。これらの改修により、より高速のコースレイアウトになった。

F1は、1国1開催を重視することとなった2007年以後は開催されていない。このサーキットはFIAからグレード1T認証を受けているが、この認証ではF1のテスト走行を行わせることはできるが、レースを開催することはできない。

2015年にはジロ・デ・イタリア第11ステージ(5月20日)のフィニッシュとしてイモラ・サーキットが採用された。ジロ・デ・イタリアでの周回コースはイモラ・サーキットをそのまま使用するのではなく、途中バリアンテ・アルタからレーシングコースを離れ一般公道に入り、サーキット南側の「トレ・モンティ」の丘を経由しリバッツァの出口より再びレーシングコースに戻る特設コースが採用された。バリアンテ・アルタから一般公道に入る地点から周回コースを3周半し、ホームストレートにフィニッシュするこの特設コースで、イルヌール・ザカリンがステージ優勝を飾っている。

コースレイアウト

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1994年と1995年開幕前のコースレイアウト比較図
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4輪(上)と2輪(下)のコースレイアウト(2010年)

基本的には短い直線とシケインを組み合わせたストップ・アンド・ゴータイプのサーキットである。シケインの縁石を乗り越える部分が多いため、サスペンションセッティングがコース攻略の鍵となる。

ホームストレートから左に緩やかなカーブを描き、左・右・左と切り返すタンブレロ (Tamburello) を通過する。かつてはアクセル全開で通過する超高速コーナーであったが、1987年ネルソン・ピケが初日の予選中にクラッシュ、1989年にはゲルハルト・ベルガーがレース中にクラッシュしマシンが炎上、そして1992年にはウイリアムズリカルド・パトレーゼがテスト中にクラッシュし首を負傷するなど、テクノロジーの進化により危険なコーナーへと変貌していった。そして1994年、アイルトン・セナがレース中にクラッシュ、死亡するに至る。

これらのクラッシュは全てタンブレロを直進してコンクリート壁に激突するという共通点を持っていた。この種のリスクに対しては、コンクリート壁を後退させてランオフエリアを拡大するか、コンクリート壁の前にタイヤバリアを敷設するなどの対応が考えられるが、このコーナーのすぐ外側にはサンテルノ川が流れており、ランオフエリアのスペースを拡大することができず、タイヤバリアの敷設にしても衝突時の飛散のリスクを考慮すると、やはりコースとの距離が絶対的に不足しており、採用することができなかった。そこで高速コーナーを廃止し、1995年からは内側に切り込むシケイン状のコーナーに姿を変えた。

タンブレロを立ち上がると、直線を挟んで再びシケインのヴィルヌーブ (Curva Villeneuve) を通過する。ここも以前は緩やかに右にカーブするコーナーで、1980年のイタリアGPジル・ヴィルヌーヴが高速クラッシュを演じたことから命名された。1994年サンマリノGPの予選2日目でのローランド・ラッツェンバーガーの死亡事故を受けて、タンブレロと同じくシケインに改修された。

ヴィルヌーブに続いて、低速ヘアピンコーナーのトサ (Tosa) を廻り込む。タンブレロとヴィルヌーブが高速コーナーだった頃は、ここでのブレーキング勝負が見所となった。トサから先のコースは、土地の起伏を利用したアップダウンが続く。丘を上り、ピラテッラ (Piratella) を過ぎると下りとなり、窪地にある複合コーナーのアクア・ミネラリ (Aque Minerali[2]) を通過する。上り坂の先にあるシケインヴァリアンテ・アルタ (Variante Alta) は、縁石を使って直線的にカットする。

ダブル左回りのリバッツァ (Rivazza) は、エントリー部分が下り坂でブレーキングが難しい。ピット前のヴァリアンテ・ヴァッサ (Variante Vassa) は入口(右・左)と出口(左・右)のふたつのシケインで構成されていたが、1995年以降は出口のみとなり、ピット改修後は2輪レースで使用される。

データ

  • 公式オープン:
  • 総工費:
  • 所在地:イタリア、イモラ市
  • 運営:
  • 総面積:??
  • 収容観客数:??
  • コース1周:4.933km
  • 最長直線距離:?? km
  • カーブ数:17(右:7、左:10)
  • カーブ:最小半径 ?? m

レコード

悪夢の1994年

1994年にこの地で開催されたサンマリノGPでは、2件の死亡事故を含め大きなクラッシュが多発した。

金曜日のフリー走行において、ジョーダンルーベンス・バリチェロがヴァリアンテ・バッサでコースアウト、縁石で跳ね上がったマシンはタイヤバリアに乗り上げ横転した。バリチェロは鼻骨を骨折したものの幸い命に別状はなかったが、これが悪夢の端緒となった。

土曜日午後の予選、シムテックローランド・ラッツェンバーガーがヴィルヌーヴ・コーナーを通過する際にマシンのフロントウイングが脱落し、306km/hでコントロールを失いコンクリート壁に激突、マシンは惰性でトサ・コーナまで飛ばされるという大クラッシュが起こった。この事故によりラッツェンバーガーは死亡、モノコックに穴が開き、ラッツェンバーガーの上半身が外に露出するほどの衝撃であった。F1レースウィークにおいては1982年リカルド・パレッティ以来、テストを含めると1986年ブラバムエリオ・デ・アンジェリス以来の死者を出してしまった。

さらにラッツェンバーガーのための26番グリッドが空席のままスタートしたレースだったが、スタートに失敗したJ.J.レートベネトンペドロ・ラミーロータスが追突した。壊れたパーツが観客席まで飛散し、観客数名が怪我を負った。このクラッシュによりセーフティカーが入った。セーフティカーの先導が解かれた1周後にウィリアムズアイルトン・セナのクラッシュが発生した。

救急ヘリが直接コースに着陸という異常事態の中、救命措置が行われた。セナが病院に搬送された(レース終了後、セナは死亡した)後、レースは再開したがアクシデントはとどまらず、途中ピットインしたミケーレ・アルボレートのリヤタイヤが外れ、ピットロードを跳ね回った。このタイヤの直撃により、ロータスやフェラーリのピットクルーが重傷を負う事態となった。

ラルースチームのクルーのミスにより、赤旗提示中にエリック・コマスのマシンがピットアウトし[3]セナの事故現場(クラッシュしたマシンと作業中の多くのマーシャルや医療スタッフがいた)までレーシングスピードで走ってしまうトラブルも起きた。

何かに呪われたようなこの週末はそれまでの『F1安全神話』を完全に崩壊させ、新たな安全確保への規格の構築へと繋がっていった。

注釈

  1. アウトドローモ (Autodromo) は、イタリア語で自動車競技場を指す。アクセントを考慮すると「アウトードロモ」と表記するのが正しいが、「アウトドローモ」とする日本語表記が一般に流布している。
  2. アクア・ミネラリとはイタリア語で「ミネラルウォーター」の意。
  3. 赤旗提示中のピットアウトは禁止

関連項目

外部リンク