ウィリアム・ピット (初代チャタム伯爵)

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大ピット(W.ホア工房制作,部分,1754,ロンドン国立肖像画美術館蔵).jpg

初代チャタム伯爵ウィリアム・ピット英語: William Pitt, 1st Earl of Chatham, PC, 1708年11月15日 - 1778年5月11日

イギリスの政治家。 R.ピットの子。ピット (小) の父。オックスフォード大学,ユトレヒト大学で学んだのち,近衛騎兵連隊の将校に任官。 1735年下院議員になり,R.ウォルポール首相の施政を攻撃し,雄弁家としての名声を確立,ウォルポール退陣 (1742) 後頭角を現し,46年2月アイルランド副会計官,2ヵ月後ウォルポールの後継者 H.ペラム内閣の軍事支払 (陸軍主計) 総監に就任。買収されて政府攻撃を弱めたと非難を受けると,軍事支払総監のすべての特権 (軍の資金を個人的利益をはかるために投資してよい) を放棄するとともに,部内刷新を行い,巨富を築いた前任者とは違い,清廉にして有能な軍事支払総監として名を揚げた。七年戦争 (56~63) 開戦とともに国務相になり,一時解任されたが,ニューカッスル (公) との連立内閣を組織し (57) ,事実上の首相として戦争を指導。 61年国王ジョージ3世がビュート伯を登用して対スペイン戦争を拒否すると,国務相を辞職。 66年チャタム伯に叙せられ,ロッキンガム侯辞任のあとをうけて再び内閣を組織したが,精神に異常をきたしたため政務を離れ (68) ,以後 10年間,グラフトン公らの政治グループを通して元老的存在となった。北アメリカ十三植民地の独立に対しては,強い反対の態度を示した。



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