オスカル・ガルベス・サーキット

提供: miniwiki
移動先:案内検索

座標: 西経58度27分33.65秒南緯34.6942722度 西経58.4593472度-34.6942722; -58.4593472

アウトドローモ・オスカル・アルフレード・ガルベス西: Autódromo Oscar Alfredo Gálvez, オスカル・ガルベス・サーキット)はアルゼンチンブエノスアイレス郊外にあるサーキット。名前はアルゼンチン出身レーサーであるオスカル・アルフレード・ガルベスにちなんで名付けられている。

敷地内のラインの組み合わせ方によって何通りものコースを造ることができるためF1では1953年1958年1960年の開催時、1972年1977年の開催時、1978年1981年開催時、フォークランド紛争により休止を挟んだ後の1995年1998年開催時それぞれサーキットの形状が違い、これら4種類のコースでアルゼンチンGPが開催された。

1970年代のコースは湖の外周路を用いる超高速区間とインフィールドの超低速区間が組み合わさったレイアウトであった。1990年代に使われたのはインフィールドエリアのみを用いた4.259kmの超低速サーキットであり、タイトなコーナーが延々続くレイアウトであった。再開されるもサーキットの形状が大きく変わったことなどから不評で1998年をもって打ち切られた。1999年も開催予定であったが、主催者とFIAの交渉が決裂した経緯がある。

2輪ロードレース世界選手権 (WGP) では1961年から1999年の間にアルゼンチングランプリが計9回開催された。1998年の250ccクラスでは、最終周回のシケインで原田哲也がチームメイトのロリス・カピロッシと接触して目前のタイトルを逃した。

関連項目