ナツメヤシ

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ナツメヤシ(棗椰子、学名:Phoenix dactylifera)はヤシ科常緑高木。果実(デーツDate)は北アフリカ中東では主要な食品の1つであり、この地域を中心に広く栽培が行われている。

特徴

非常に古くから栽培されているため、本来の分布がどうであったかははっきりしない。北アフリカか西南アジアペルシャ湾沿岸が原産と考えられている。

雌雄異株。樹高は15-25mで、単独で生長することもあるが、場合によっては同じ根から数本の幹が生え群生する。は羽状で、長さは3メートルに達する。葉柄にはとげがあり、長さ30センチ、幅2センチほどの小葉が150枚ほどつく。実生5年目くらいから実をつけ始める。樹の寿命は約100年だが、場合によっては樹齢200年に達することもある。

歴史

メソポタミア古代エジプトでは紀元前6千年紀にはすでに栽培が行われていたと考えられており、またアラビア東部では紀元前4千年紀に栽培されていたことを示す考古学的証拠が存在する。ウルの遺跡(紀元前4500年代−紀元前400年代)からは、ナツメヤシの種が出土している。シュメールでは農民の木とも呼ばれ、ハンムラビ法典にもナツメヤシの果樹園に関する条文がある[1]アッシリアの王宮建築の石材に刻まれたレリーフに、ナツメヤシの人工授粉と考えられる場面が刻まれていることはよく知られている。

ナツメヤシはギルガメシュ叙事詩クルアーンに頻繁に登場し、聖書の「生命の樹」のモデルはナツメヤシであるといわれる。クルアーン第19章「マルヤム」には、マルヤム聖母マリア)がナツメヤシの木の下でイーサーイエス)を産み落としたという記述がある。アラブ人の伝承では大天使ジブリールガブリエル)が楽園アダムに「汝と同じ物質より創造されたこの木の実を食べよ」と教えたとされる。またムスリムの間では、ナツメヤシの実は預言者ムハンマドが好んだ食べ物の一つであると広く信じられている。なお、聖書ヨーロッパの文献に登場するナツメヤシは、シュロ以外のヤシ科植物が一般的ではなかった日本で紹介されたときに、しばしば「シュロ」、「棕櫚」と翻訳されている。

果実(デーツ)

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木になったデーツ
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スークでデーツを売る商人。クウェート

英語でナツメヤシの果実をさす「デーツ」の語源はギリシア語で「」を意味する「ダクティロス(Dactylos)」であるといわれているが、アラビア語の「ダクル(Daql)」(ナツメヤシの一種)または「ダクラン(Daqlan)」()であるとする説もある。ナツメヤシの果実はアラビア語ではタマルなど熟度に応じて17にも達する名称を持ち、例えば緑色のものはキムリ(kimri、未熟な)、赤みを帯びた黄色のものはハラール(khalāl、カリカリした)、熟したものはルターブ(rutāb、成熟してやわらかい)、完熟したものはタムル(tamr、天日で乾燥した)などと呼ばれる。

直径2-3cm、長さ3-7cmの楕円球型をしている。実が熟するまで少なくとも6か月を要する。色は品種にもよるが明るいから黄色で、長さ2-2.5cm、厚さ6-8mmの種子がひとつだけ入っており、干すと濃褐色になる。ナツメヤシはグルコースフルクトーススクロースの含有量によって、ソフト、セミドライ、ドライの3種類に分類される。

デーツはイラクアラブ諸国、西は北アフリカのモロッコまでの広い地域で、古くから重要な食物となっている。イスラム諸国では、デーツと牛乳は伝統的にラマダーン期間中の日没後に最初に取る食事である。また、長期保存ができ、砂漠のような雨が少ないところでも育つため、デーツは乾燥地帯に住むサハラ砂漠遊牧民オアシスに住む人たちにとっても大切な食料となっている。果物としてはカロリーも高いため、主食として主たる炭水化物源食物とすることも容易であり、遊牧生活を送るアラブ人であるベドウィンは、伝統的に乾燥させたデーツと乳製品を主食としている。

チュニジアではデーツを小麦粉で包み揚げ、砂糖シロップに漬けて完成となるマクルードがある。

新鮮なデーツには豊富なビタミンCが含まれ、100グラムあたり230kcalのカロリーがある。乾燥したものは100グラム当り3グラムの食物繊維と270kcalのカロリーがある。

栽培

デーツの2004年の全世界での生産量は670万トンに達し、主な生産国はエジプト(16.2%)、イラン(13%)、サウジアラビア(12.3%)などである。[1]

約400種のデーツの中でもイランの品種であるピアロム種が最高品種であると言われている。

ナツメヤシは自然界では風によって受粉が行われるが、近代的な商業園芸では完全に人間が授粉を行う。冒頭で述べたように、この人工授粉の技術は古代アッシリアの時代から知られていたと考えられている。人間が支援することで1本の雄株から50本の雌株に授粉でき、より多くの果実を生産できるようになる。雄株をまったく栽培せず、授粉の時期に雄花だけを市場で購入する生産者も存在する。

受粉は熟練した労働者によってはしごの上で行われるが、稀に機械的に風を起こして花粉を飛散させることもある。古代アッシリアの彫刻には、雄花の房らしきものを雌花の房の上で振って花粉を振りかけている様子が刻まれている。単為結実する栽培品種も存在するが、種子のない果実は小さく、また品質も劣る。

利用

デーツはやわらかくなったものや干したものをそのまま食べるか(レーズン干し柿の味を濃厚にしたような甘い味がする)、あるいはジャムゼリーハルヴァジュース菓子などに加工される。また、果糖を多量に含むため、水に浸したものを発酵させてアラックモロッコの「マヒア (mahia)」など)や醸造される。また、乾燥させ、粉にしたデーツは、小麦とまぜて保存食にする。また、乾燥したデーツはサハラ砂漠地帯ではラクダなどの餌にもされる。

古代メソポタミアでは、デーツは穀物よりも安価であることもあり、デーツのシロップ蜂蜜の代用品ともなった。現在でも、デーツシロップやデーツ糖としての生産・販売が行われている。

日本では種子を抜いて乾燥させたものが市場に出回っていることが多い。また、ウスターソースの日本風アレンジとして日本で売られている豚カツ用のソースオタフクソースお好み焼き用ソースには、デーツを原材料の一つに使っているものがある。これはデーツを使うことによって、これら独特のとろみや甘味が出るからである。

果実以外の利用

ナツメヤシの種子はラクダなどの動物の飼料とされ、また種子から取れる石鹸化粧品として用いられる。また、種子は化学的な処理によってシュウ酸の原料ともなる。種子を炭化したものは銀細工に用いられ、またそのままネックレスにしたりもする。

ナツメヤシの樹液は糖分を多く含むため、インドベンガル地方では樹液を煮詰めて砂糖を作り、干菓子として利用する。またリビアでは、樹液を醗酵させてラグビ(Laghbi)という酒を醸造する。

株の先端の若い芽はジュンマール(Jummar)と呼ばれ、野菜として食用にされる。若い芽は成長点を含み、これを収穫されるとナツメヤシは死んでしまうので、若い芽の利用は主に果樹としての盛りをすぎた木に限られている。葉は、北アフリカでは帽子の材料として一般的であり、敷物や仕切り布、かご、団扇などにも用いる。幹は建材としたり、燃料としても用いる。

ナツメヤシの葉はキリスト教での「棕櫚の主日」の祭事に使用される。ユダヤ教では閉じたままの若い葉をルラヴ(ヘブライ語:לולב)と呼び、「仮庵の祭り」で新年初めての降雨を祈願する儀式に用いる四種の植物の一つとする。イラクなどアラブ諸国には、祭日にナツメヤシの葉で家屋を飾る習慣がある。

ナツメヤシゲノム

ナツメヤシゲノムのドラフト配列が決定されている。 [2]

脚注

  1. 小林登志子『シュメル 人類最古の文明』 64頁
  2. Date Palm Draft Sequence Weill Cornell Medical College in Qatar

参考文献

  • Nasrallah, Nawal. Delights from the Garden of Eden. First Books Library, 2003.
  • Salloum, Habeeb. Classic Vegetarian Cooking from the Middle East and North Africa. Interlink, 2000, Brooklyn, NY, USA.
  • Simon, Hilda. The Date Palm: Bread of the Desert. New York: Dodd Mead, 1978.