プロブス

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ファイル:Probus10.jpg
プロブスが印された硬貨

マルクス・アウレリウス・プロブスMarcus Aurelius Probus, 232年 - 282年)は、軍人皇帝時代のローマ皇帝(在位:276年 - 282年)。

生涯

ローマ属州パンノニアの州都シルミウムの出身であり、若年時より軍隊に志願、ウァレリアヌス帝の治世下で出世を遂げ、軍団長に抜擢された。271年、皇帝アウレリアヌスによるパルミラ王国への征討戦に従事し、パルミラ支配下にあったアエギュプトゥス(エジプト)を占領して勝利に貢献した。また、アウレリアヌスがローマへの帰路に着くに際しては、パルミラ王国が支配していた東方全域の防衛の任を受けた。

276年皇帝タキトゥスがシリアにて陣没した後、東方属州の軍の支持を受けて皇帝に名乗りを挙げ、西方属州及び元老院が支持したフロリアヌスと対峙したものの、フロリアヌスが暗殺されたことで解決をみた。

治世の大半をライン川ドナウ川戦線での蛮族迎撃に従事。軍人としての能力は高くローマ帝国への蛮族の侵入はほとんど撃破し、逆に蛮族の地に攻め込み国境の安定を図ることもなしえた。一方でローマ帝国内での内乱が絶えず発生し、280年にはエジプトでサトゥルニヌスらの反乱を鎮圧した。また荒廃した農地を復興させるという重要事を手掛けるが、それを担当した軍内に反発が生まれ、282年、ペルシア戦役に向かう途中で兵士たちに暗殺された。将官クラスは関与しない暗殺だったとされるが、近衛軍団長官のカルスが関わったともされる。

末裔

371年当時、コンスルであったペトロニウス・プロブスはプロブスの末裔を自称している。

人柄

エウトロピウスは彼の人柄をこう記している。

プロブス帝は公明正大でやる気に満ちた熱血漢であり、軍隊内での声望はアウレリアヌス帝に匹敵し、慈悲深さという面では勝っていた


参考文献

  • エウトロピウス 首都創建以来の略史第九巻